36話 ドロテアの憤怒
コツコツとヒールの音を立てながら、ドロテアはシェリーに近付いていく。
今までどれだけ我が儘を言っても、尻拭いをさせても、ここまで怒りに満ちたドロテアを見たことがなかったシェリーは、虚勢を張りながらも内心では困惑していた。
「なっ、何よ……!!」
「もう一度聞くわシェリー。貴方、ヴィンス様に向かって暴言を吐いたわね。……訂正と謝罪をしなさい……! 今すぐに!!」
──ドロテアがバルコニーの騒ぎに気付いたのは、令嬢たちと話し終え、ヴィンスを探していたときだった。
ヴィンスは立場的に多くの人と話すものの、逆にその立場から安易な発言はできないために気を使うことが多い。おそらく疲れた頃だろうと、人気の少ないバルコニーにいる可能性を考慮して探していた、その矢先の出来事だった。
(シェリー……ディアナ様だけでなく、ヴィンス様にまで暴言を吐くだなんて……!)
まだ生演奏が鳴っていなかったため、シェリーの発言がしっかり耳に届いたドロテア。
もうこれ以上ヴィンスに汚い言葉を浴びせてほしくないからとその場に乗り込むと、シェリーはキッと睨みつけてきたのだった。
「……っ、お姉様久しぶりね? そ、そういえば私の代わりに謝罪に行ったから求婚されたんでしょ? 良かったじゃない! たとえ相手が獣だとしても! 結婚願望だけは立派にあったんだもの? 一生独り身よりマシよね?」
「……っ、だからシェリー貴方ね! ヴィンス様になんてことを……!!」
ドロテアは、自分のことを何と言われても構わなかった。家族から散々言われてきたのだ、今更傷つくようなものではなかった。けれど。
(ヴィンス様のことを悪く言うのは許せない……!)
ドロテアの中で、人生で感じたことがない程の怒りがふつふつと湧いてくる。
聖女だから、可愛いから、妹だから、家族だから。
──そんなふうに思うことによって我慢してきた怒りの全てが溢れ出しそうになり、ドロテアは勢いに任せてシェリーの頬に向かって手を振りかざしたのだけれど。
「ドロテア、落ち着け」
「……っ、ヴィンス、様……」
その手はヴィンスによって優しく捕われたと思ったら、彼の腕の中に引き込まれる。
ちょうど耳あたりにヴィンスの心臓のトクトクという音が響き、ドロテアはそれだけで少し冷静さを取り戻した。
「こんな奴に何を言われても、俺は少しも傷付かないからドロテアが心を痛める必要はない」
「……っ、それでも……! 私が嫌なのです……! ヴィンス様のことを悪く言われるのは……私が、嫌なのです……っ」
「優しいな、ドロテアは」
そう言ったヴィンスに、優しく頭を撫でられる。
大丈夫、大丈夫だから、とそんな気持ちが伝わってくる指先に、ドロテアはなんだか涙が出そうになって、フルフルと頭を横に振った。
するとそんな中、ヴィンスは優しい声色で囁いた。
「だが俺も同じ気持ちだ。俺は何を言われても良いが、お前が侮辱されるのは聞いてられん」
「ヴィンス様……」
「こんな女の言葉でドロテアの心が少しでも傷つくかと思うと──」
そのとき、ヴィンスはドロテアに向けていた優しい瞳を、剣のような鋭い瞳に変えてシェリーを睨みつけた。
「王という立場を忘れて、今すぐあの女の息の根を止めてやりたくなる」
「ヒッ、ヒィッ……!!」
会場では生演奏が響き渡り、一同が楽しそうにダンスを踊る中、シェリーはあまりの恐怖にその場にぺたりと座り込んだ。
「何でそんな、大事そうに……まるで、お姉様のことを愛してる、みたいに……」
ドロテアが愛されるなんてあり得ない。自分がこんな目に遭うなんて信じられない。
シェリーはその考え方を、今更直ぐに変えることなんて出来なかった。だから、自信や計画が全て崩れ去っていったこの現実を受け入れることは中々に難しかった。
「だって私は可愛いのよ……? 何をしたって許されてきた……聖女で……ケビン様の、婚約者……で」
ボソボソと、壊れた玩具のように繰り返し呟いているシェリー。
ドロテアはヴィンスの腕の中から抜けてから、そんなシェリーを見下ろした。
「シェリー、ヴィンス様に謝罪なさい」
「でも、だって……私は……誰よりも……可愛い……だから……」
「シェリー!! いい加減にしなさい……!! でもでもだってでもありません……!!」
「ふえっ、ふぇぇぇぇん……!!」
ヴィンスの恐ろしさ、結局はいつだって優しかったドロテアからの叱責、受け入れがたい現実、自身に待つ哀れな未来への絶望。
そして、貴族としての矜持、淑女としてのプライド、この場を切り抜ける頭脳、精神。それらの全てを持ち合わせていないシェリーは、まるで子供のように泣き始める。
同時に、ダンスの楽曲が変わるために生演奏が一旦止み、シェリーの不細工な泣き声は会場中に響き渡った。
ざわざわとした会場で、そんなシェリーやドロテアたちの様子を見た淑女たちが、扇子で口元を隠してヒソヒソと話し始める。
『何あれ……シェリー様が泣いてらっしゃるわ』『というか来ていたのね? 今日は居ないから楽だと思っていたのに』『誰かシェリー様にお声をかけて差し上げないの?』『え、嫌よ。詳細は知らないけれど、どうせ我儘を言ってそれが叶わなかったから泣き喚いているのでしょう?』『けどあの方は聖女よ? 媚を売っておけば……』『あ、ねぇ、そのことなのだけれど──』
シェリーの父と、ロレンヌの耳に入ったように、情報とはどこかから漏れ出るものだ。そしてそれは、噂好きの令嬢たちにとって、日々の楽しみでもある。
だから、誰かが言った『聖女の称号って、無くなるのでしょう?』の言葉は、瞬く間に会場に響き渡った。
そして別の誰かが言った『それなら殿下との婚約も無くなるのでは?』という言葉は、令嬢たちが感じていたシェリーに対する不満を刺激するのに、十分過ぎた。
──『哀れなこと……ドロテア様は将来の王妃だというのに』『もうこれであの女に媚びへつらわなくて良いと思うと清々するわね、ふふ』『あら、笑っちゃ可哀想よ……それにしても、元聖女様は何て、無様なのかしら……』
敢えてシェリーに聞こえるように言う者たちも現れ、会場中の嫌悪の視線はシェリーに注がれる。
流石のシェリーもそれを感じ取ったのだろう。今までお姫様のように扱われてきたシェリーにこの状況を耐えられるはずもなく、怒りよりも恐怖が勝った彼女はその場に座り込んだまま、肩をカタカタと揺らした。
(流石にこれは……)
ドロテアも会場全体の雰囲気を感じ取っていたし、隣りにいるヴィンスから会場の声を耳打ちしてもらっていたので、まさに針の筵であるシェリーに同情の瞳を浮かべた。
ヴィンスに対する暴言を謝罪させたかっただけで、何もここまでの状況になることは望んでいなかったから。
「シェリー……立ちなさい。一旦奥の部屋を借りましょう。……お父様たちも来ているのでしょう? 二人も呼んで、きちんと話しましょう」
けれどシェリーは、ドロテアの言葉に頷くことはなかった。
(シェリー……)
相当精神的に堪えているのだろう。俯いたままのシェリーに、ドロテアはどうしたものかと思案する。
ヴィンスへの暴言は到底許されるものではないが、シェリーの性格がここまで捻れ曲がった原因が、全てシェリーにあるわけではないことに、ドロテアは気付いていたから。
しかしその時だった。会場のざわめきが増し、ドロテアはシェリーに向けていた視線を会場の方へ向けた。
現れたその人物にドロテアは深く頭を下げると、その男はシェリーの姿をキッと睨みつけてから、ヴィンスとドロテアに対して口を開いた。
「レザナード国王陛下、並びにドロテア嬢……ここでどんな会話がされたかは、先程騎士から耳にしました。生誕祭の件も正式に謝罪できていないというのに、我が国の者が……大変申し訳ございませんでした……!」
そう言って深く頭下げたのは、シェリーの婚約者であるケビンだ。
シェリーはケビンの登場に、ゆっくりと顔を上げた。
そんな中、ヴィンスはドロテアの肩を抱き寄せながら、鋭い視線をケビンに向ける。
「此度の件、貴国の責任は重いぞ。レザナードの王として、シェリー・ランビリスにはそれ相応の罰を求める」
「もちろんでございます……!! 全ては我が国の責任でございます……! 厳重な処分を下しますので、どうか同盟破棄だけは……! なにとぞ……!!」
ケビンの登場と深々とした謝罪。ケビンの後を追ってきたのか、少し遠目からこちらを見つめる国王、王妃や王子たち。
そして、騒ぎを聞きつけてやってきた、青ざめた顔をしている両親をドロテアは視界に収めてから、再びケビンに視線を移した。
ケビンはゆっくりと顔を上げるとくるりと振り返り、ヴィンスたちに向けていた表情とは一転した怒りに満ちた形相でシェリーを睨みつけたのだった。
「シェリー! どうして……こんな馬鹿なことをした!!何で自分の首を絞めるような真似を……!! 手紙の二枚目をきちんと読まなかったのか!?」
「にまい、め……?」
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