110話 プシュの活躍と煙突の老朽化
「プシュが……? それは一体どういうことだ?」
声を出したのはヴィンスだったが、皆の視線がドロテアの手のひらに乗っているプシュに注がれた。
なんとなくこの場の空気を感じ取っているのか、プシュはふふんっと誇らしげだ。ヴィンスにお尻を向け、ふりふりとする姿なんて、とても可愛らしい。
(プシュくんにこんなふうにお尻を振ってもらえるなんて、ヴィンス様が羨ましいわ。ああ、もふもふしたい……)
何故かヴィンスは「挑発しやがって……」と額に青筋を浮かべているのだけれど。
こんなに可愛いのに。……と、それはさておき。
「実は先程、サリーさんに頼んでアガーシャ様の自室に案内していただいたのですが……。アガーシャ様の部屋の暖炉に近付いた途端、プシュくんが暖炉に向かって威嚇を始めたのです」
「薪に使われているクヌキの木から毒が発生していることを感じ取ったということか?」
「その通りです、ヴィンス様」
プシュ……というより、野生に住む動物の多くは、危機察知能力が高い。
嗅覚や聴力がとても人間よりも発達していることはもちろんだが、食料や草木、水などに毒が含まれているか否かを判断する能力に特に長けているのだ。
生きていくために、自然に身に付いているのだろう。
「ドロテアの言うことは分かった。だが、まだ疑問が残る。今回の毒の原因がクヌキの木だとして、何故この屋敷で母上しか被害に遭っていない? それに、さっきお前はこの部屋の暖炉については安心だと言っていたが、それはどうしてだ?」
ヴィンスの疑問は最もだった。確かに……と一同が不思議そうに眉を顰める。
しかしそんな中、サリーだけは違った。
「煙突の……老朽化」
ポツリと呟いた彼女に一斉にアガーシャ以外からの視線が向けられる。
サリーはこの場で許可なく発言してしまったことに後悔し、深く頭を下げた、のだけれど。
「サリーさんの言う通りです。詳しくは私から説明させていただきます」
ドロテアが再び話しだしたことで、皆の視線はドロテアに戻った。サリーはホッと胸を撫で下ろす。
「この屋敷でアガーシャ様しか毒の被害に遭っていないのは、アガーシャの様の自室のみ、煙突が老朽化していることが原因です」
それからドロテアは、暖炉の仕組みを簡単に説明した。
そもそも暖炉とは、暖炉の中へ石炭や薪を入れて燃やすと、炎の放射熱によって部屋が暖まるという仕組みだ。その際に発生する煙は壁の中を通る煙突を抜けて、外に排出される。
つまり、部屋中に煙が充満しないのは、煙突が正常に機能しているおかげなのである。
「しかし、長年暖炉を使っていれば、遅かれ早かれ、煙突は老朽化します。すると、煙の排出がスムーズにいかなくなり、燃焼効率が悪くなったり、煙突から排出されない煙が室内に漏れだしたりする危険があるのです」
「……つまり、母上は自室で、その漏れ出したクヌキの木の煙を吸ったから毒に侵された、と。そういうことか、ドロテア」
「はい」
現に、プシュはこの部屋では、一切暖炉に対して反応を見せなかった。
しっかりと煙突が機能していれば、いくらクヌキの木を燃やしたことで毒の成分が入った煙が上がっても、部屋に充満することはないのだ。
デズモンドは口元に手をやりながら、苦しんでいるアガーシャの顔を見た。
「煙突の老朽化については、アガーシャから話を聞いていたが……まさかそれが原因だなんて……」
是が非でも新たな煙突を設置させるべきだった。そう呟き、悔やむデズモンドの表情に、ドロテアの胸は痛んだ。
この部屋に戻る前にサリーから聞いた話では、この屋敷はデズモンドの先々代が造らせたものだそうだ。
しかし、先々代が亡くなってからデズモンドたちが『レビオル』に移住してくるまで、この屋敷に主はなかった。
そのため、屋敷は手入れが行き届いておらず、改装、改築をしてこの屋敷を使うことに決めたようだ。
だが、アガーシャは自室にあまり手を加えたがらなかったらしい。建物や家具などから歴史を感じるのが好きだったアガーシャは、必要最低限の補修のみを命じた。
だから、アガーシャの部屋の暖炉に繋がる煙突だけ、老朽化していたのだろう。
更に、アガーシャは部屋で過ごす際、暖炉の前に揺り椅子を起き、そこによく座っていたようだ。
扉や窓の開閉で部屋が換気される機会もあっただろうが、暖炉の間近にいれば、それはあまり意味をなさなかったのだろう。
「おそらく、『レビオル』住民や『アスナータ』での体調不良も、同じ理由でしょう。煙突の老朽化、もしくは煙突の清掃不足により、部屋にクヌキの木の煙が充満したからかと」
ヴィンスは腕を組み、思考を巡らせる。
「……なるほどな。約二週間前からの体調不良、そして今日、急に母上の症状が重くなったことを考えるとクヌキの木の毒は体に蓄積するタイプのもの。そして、ある一定量を超えると明らかな毒症状が現れる、と考えて良さそうだ」
住民たちの症状のばらつきから察するに、その一定量というのも人それぞれなのだろう。性別や年齢、体重など様々な要因が考えられる。
「私もそう思います。お医者様はどう思われますか?」
「ええ。アガーシャ様の症状や状況から見ても、私も同意見です。あとは解毒剤さえできれば、アガーシャ様も、住民の皆さんも毒から解放することができます!」
シャーリィーの発言に、ぱぁぁっと皆の顔が明るくなる。
デズモンドなんて、安堵のあまり目に涙を溜めていた。
「ドロテア嬢、ありがとう……っ、本当にありがとう……!」
「い、いえ、そんな……!」
デズモンドと同様、アガーシャの侍女たちも目に涙をため、安堵の言葉を口にしている。
ナッツは「ぷっきゅーんっ!」と言いながら尻尾をぶりんぶりんと振っており、ハリウェルは「さすがドロテア様です!」とこちらをキラキラとして目で見つめていた。
ドロテアが感謝されているのを感じているのか、プシュが嬉しそうにしている。それも、また可愛い。
(……でも、不幸中の幸いだったわ。もしかしたら今頃、住民の全員が毒に侵されていたかもしれないから)
現在、『レビオル』の住民で毒に侵されているのは僅かだ。
おそらく、煙突から排出される煙はかなり濃度が低いため、人体に影響が出るほどではなかったのだろう。
「ドロテア、お手柄だ」
ヴィンスに優しく頭を撫でられ、ドロテアは無意識に入っていた肩の力を抜く。思っていたよりも緊張していたらしい。
「本当に、ありがとう。やはり、ドロテアは凄いな」
「ヴィンス様……」
褒められたドロテアは、小さく首を横に振った。
「できることをしたまでです」
「……まったく、控えめ過ぎる奴だ」
突然ふに、と頬をつまんでくるヴィンスに、ドロテアは驚きのあまり「へっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
いちゃつくな! と言わんばかりにヴィンスを威嚇するプシュに苦笑いを零したドロテアは、次にアガーシャの侍女たちに視線を移した。
「お二人はアガーシャ様の部屋に頻繁に出入りしていたはずですから、念の為に体調には注意してくださいね」
「「はい……!」」
それからシャーリィーの指示のもと、屋敷に待機させていた調合師を寝室に呼んだ。
犬の獣人の、高齢の男性である。名前はバーフ。
彼は屋敷に常駐している調合師で、その道四十年以上の大ベテランだ。
解毒剤は劣化が早いため保存できず、必要があればその都度新たに調合しなければならなかった。
とはいえ、クヌキの木が毒を発生することは今日発覚したため、もちろん解毒剤は開発されていない。
しかしクヌキの木と同じ分類である『落葉高木』の一部の木から発生する毒に対しての解毒剤は存在しているらしい。
今回の毒と過去の毒を比べ、症状なども酷似していることから、その解毒剤で十分に効果はあるだろうという結論がシャーリィーとバーフの間でなされた。
「ようやくですね、ヴィンス様」
「ああ」
それから少しの間、寝室には穏やかな空気が流れた。
──アガーシャのことは心配で堪らないけれど、それももうあと少しなのだからと、皆が信じてやまなかったというのに。
「大変申し上げにくいんだがなぁ……。その解毒剤を調合するには材料が一つ足りず……作ることはできないんじゃよ……」
気まずそうにそう発したバーフに、皆の顔はさぁーっと青ざめた。




