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103話 語られる手記の欠片

 

「私たちがヴィンスを軟禁したのには、理由が三つあるわ」


 そう、アガーシャが改めて話し始める。

 彼女の声はいつもと淡々としたものではなく、少し震えていた。


「三つ……? 狼化が知られれば国民に不安を与えかねず、また他国に知られれば国の危機に陥る可能性になりかねない為、狼化の原因が確実に分かるまで俺を軟禁したのではないのですか?」


 十五年以上ずっと、ヴィンスはそう思ってきた。だが、アガーシャ曰く、他にも理由があるらしい。

 ヴィンスは自身でもあれこれと考えながら、アガーシャの返答を待った。


「そうね。一つ目の理由はヴィンスの言うとおりよ」

「では、他に何が……。まさか、ディアナですか?」

「ええ、そうよ。狼化のことが周りに知られれば、ディアナを王にと担ぎ上げようとする者が現れる可能性があったの」


 レザナードでは、女性でも爵位が持てるのと同様、王位を継ぐことも可能だった。


 ヴィンスとディアナの歳の差、そしてヴィンスの有能さから、周りからディアナを次期王にという声は上がらなかったが、ヴィンスの狼化が明らかになっていたらどうだっただろう。

 少なくとも、ヴィンスを王にするべきなのかという不安の声は上がっていたに違いない。


「私たちは親として、兄妹で争ってほしくはなかった。……それに、争いの原因が自分であると、ヴィンスに思わせたくなかったの」

「……!」

「……貴方はとても優しい子。だから、自分の狼化が原因で争い事が起きたら、ヴィンスがそれを一生背負うことになると……そう、思って……」


 アガーシャは声を詰まらせる。

 必死に語るアガーシャの言葉を一言も逃さぬよう、ヴィンスは集中した。


「三つ目の理由は、初代国王の手記に書かれていたとあることが原因よ」

「あの手記に? ……どういう」


 ヴィンスは一瞬考える素振りを見せ、そしてハッと目を見開いた。


「もしかして、手記の最後が破られていたことに何か関係が?」

「……ええ。あれはね、私と主人で破ったの。貴方に見せたくなくて」

「…………。破られた箇所には、一体何が書かれていたのですか」


 ちらりとドロテアを見れば、彼女に動揺の様子はなかった。この場を準備していることからして、おそらく今から語られることも知っているのだろう。


 ヴィンスはドロテアから両親に視線を戻す。

 少しばかり緊張した面持ちで彼らを見つめれば、アガーシャが話し始めた。


「あの手記の意図は、後世に残すためのもの。けれど、最後のページだけは……初代国王の悲痛な思いが綴られていたの」

「……!」

「初代国王は、狼化のことを家族にだけは打ち明けていたらしいのだけれど、愛する家族にさえも疑心暗鬼になっていたようなの。家族に気持ち悪がられていないか、嫌われていないか、このまま側にいてくれるのか。それに、もし家族が狼化のことを周りにバラしたら、自分は王ではいられなくなるのではないか。周りから、誰一人いなくなってしまうのではないか……。自分は──化け物なのか……。狼化することに対しての孤独感。それを家族が知っているからこそ不安感。そこからくる負の感情が、これでもかと書かれていたわ」


 両親が初めてその手記の最後のページを読んだ時、まだヴィンスは生まれていなかった。

 まさか自分の子に狼化の現象が現れるとは思ってもみなかったようで、初代国王の悲痛の思いに関してはそれほど深く考えなかったらしい。


 ──けれど、息子のヴィンスは狼化した。

 アガーシャとデズモンドにとって、初代国王の悲痛の思いは、他人事ではなくなったのだ。


「あの手記の内容を思い出して、私たちは怖くなったの……。家族に対してでさえあんなに不安になるのに、もしも周りに狼化することが明らかになってしまったら? そうしたら、ヴィンスはこの手記に書かれているよりも、もっと辛い思いをするんじゃないかって……っ」


 アガーシャの肩が小さく震える。

 デズモンドは、そんなアガーシャの肩を優しく叩いた。


「……だから、私たちはお前の狼化の現象を隠すためにはどうすれば良いのか、ということに尽力した。……いや、ヴィンスの気持ちを気遣う余裕がないくらいに、隠さなければと必死だった。……それが、お前を傷付けない一番の方法だと、信じて疑わなかったんだ」

「うっ……」


 アガーシャは、もう限界だというように口元を手で押さえた。そんな彼女の目からは、薄っすらと光るものがある。


(母上の涙を見たのは、いつぶりだろう)


 遠い記憶過ぎて、もう覚えていない。

 けれど、こんなにも申し訳無さそうに涙を流すアガーシャを見るのは、おそらく初めてだろう。

 デズモンドがこんなにも必死に言葉を紡いでいる姿もだ。


「だが、私たちは違う形で、ヴィンスを傷付けてしまった」

「……父上」

「軟禁を解いてからもヴィンスが狼化しないかという不安に囚われていた私たちは、お前の私たちを見る目が変わったのに中々気付かなかった。……気付いた頃には、私たちを見るお前の目は冷たくなっていた。話しかけても、会話は最低限になり、避けられるようになり……。軟禁という事実にヴィンスが怒りを覚えていると思っていた私たちは、これ以上ヴィンスに嫌われないよう、距離を置いた方が良いのかと思っていたんだ」


 それからアガーシャとデズモンドは、ヴィンスを気にかけつつも、必要以上には関わらないように過ごしていたようだ。


 デズモンドが王位を生前退位し、ヴィンスが新たな王に即位する直後。

 初代国王の手記を渡す際に最後のページを破ったのは、少しでもヴィンスに負の感情を覚えてほしくないためだったとデズモンドは語る。初代国王の感情にヴィンスがひっぱられてしまうことを、両親は恐れたのである。


「ごめん、なさい、ヴィンス……っ」


 嗚咽を漏らしながら、アガーシャが謝罪を口にする。


(母上……)


 弱々しいその姿に、ヴィンスは胸がギュッと締め付けられた。


「傷付けてしまって、本当にごめんなさい……っ」

「……っ」


 アガーシャの顔は、涙でぐちゃぐちゃになっている。いつも冷静で、どこか冷たくも美しい、アガーシャがだ。

 ヴィンスは驚きのあまり、上手く声が出せないでいる。


「私からも謝らせてくれ……。すまなかった、ヴィンス……」


 眉尻をこれでもかと下げたデズモンドが深々と頭を下げるその様は、ヴィンスの記憶にある父とはかけ離れている。


 頭がうまく働かないでいると、デズモンドはゆっくりと顔を上げる。そして、悲痛な表情で口を開いた。


「だが、一つだけ信じてほしい……。方法は間違ってしまったが、私もアガーシャも、お前を愛している。……親として、ヴィンスを心から愛しているんだ」

「…………」


 アガーシャとデズモンドの話を聞いて、ヴィンスの中の二人の印象はガラリと変わった。


(……そうか、俺は……)


 軟禁の理由は王族としての責務だけではなかったことも。

 より添う余裕がないほどに自身を案じてくれていたのだということも……話を聞いてちゃんと分かった。


(息子として愛してもらっていたんだな──)


 それなのに、胸のしこりは完全に取れない。両親に息子として愛されていたことは心から嬉しいのに。


「俺は……」


「分かった」「もう良い」そう言おうとしても、うまく喋ることができなかった。


 子どもだった頃の自分が、今の自分の手を引いてくる幻想が見える。本当にそれで良いのかと、涙ぐみながら問いかけてくるのだ。


「……っ」

「ヴィンス様」


 ヴィンスが息を呑むと、背後から名前を呼ばれた。穏やかなドロテアの声だ。


 ヴィンスは振り返り、こちらを真摯な瞳で見つめるドロテアと視線を合わせた。

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