27話 抱きしめたいのは、あの子だけ
アレクシスが退場し、空気が落ち着きを取り戻し始めたその時。
誰もが一息ついたような、そんな空白を縫うように──。
セドリックが、ゆるやかな足取りで私の元へと歩み寄る。
「……やれやれ、あの弟には最後まで頭が痛いよ」
肩をすくめるような仕草に、どこか少年時代の面影が残っていた。
「君があれだけビシッと締めてくれると、こっちとしては助かるよ」
「恐縮です、殿下。お騒がせしてしまって、申し訳ありません」
礼儀正しく微笑みながら、ほんの少し肩の力を抜いて返した。
セドリックはそんな私の様子に気づいたのか、一瞬だけ目を細める。
けれど、すぐに冗談めかして言葉を続けた。
「なあ、もしさ──僕がもうちょっと早く『君の手を取る勇気』があったら……。
あの頃、君のこと、本気で好きだったんだ。
今さらズルいってのは百も承知。でも、ちょっとだけでも聞いてみたくてさ。
『王太子の妻』って選択、もしアリだったとしたら──どう思う?」
私は一瞬、目を瞬かせる。
隣で、レオニスが小さく反応したのが分かった。
表情は変わらないけれど、唇の端がほんのわずかに引きつっている。
「殿下ってば……冗談がうまいんですね?」
微笑をたたえたまま、少しだけ首をかしげてみせる。
「でも私、リオン一筋ですから」
セドリックは、はっとして、それから苦笑した。
「……そっか。リオン君か。あの子、いい子だもんな」
視線の端でレオニスを捉え、何も言わず、ただ小さく息を吐く。
──今さら彼女を気にかけてるのかよ、と。言葉にはしないけれど。
「ま、幸せになってくれ、エリシア。……リューンハルト公爵も、彼女を大切に──」
わざとらしく肩をすくめ、最後にそう残してセドリックは観客の中へと戻っていった。
その背中を見送りながら、小さく息を吐く。
(ほんと、今さらなんだって。エリシアが困ってたのに、気づくのちょっと遅かったんじゃない?)
心の中でそう呟いて、視線を前へと向け直した。
セドリックの背中が人混みに紛れていったあと、ふいに背後から気配がする。
「……『リオン一筋』、か」
静かに――けれど明らかにひっかかりを含んだ声。
振り返ると、そこにはいつものように無表情を保ったレオニスが立っていた。
「ん? 何なの、レオニス? どうかした?」
そう尋ねると、彼は眉ひとつ動かさず、ほんの少し視線を外す。
「別に。ただ──妙に胸に刺さっただけだ」
(その表情は、何なのよ……)
「リオンは、私にとって『かけがえのない存在』なの。当然でしょう?」
あえて『あなたの息子』とは言わずに、そう返した。
レオニスがわずかに目を細める。
でも、私は知っているんだから。
この人が、以前のエリシア──私が来る前の彼女に対しては、
まるで興味もなかったことを。
だからこそ──。
今こうして、ほんの少しでも『気にしてる彼』が、不思議だった。
「……何か言いたいことがあれば、遠慮なくどうぞ?」
私の問いかけに、レオニスは少しだけ口を開きかけて……結局、何も言わなかった。
「……いや。今日はもう、疲れただろう」
ぽつりとそれだけ言って、レオニスはくるりと背を向けた。
その背中を見送りながら、私はそっと、胸の奥に浮かんだ言葉を押し込む。
──私は、まだあなたのことを『好き』ってわけじゃない。
でも、きっとあなたのことを、知ろうとしてる最中なんだと思う。
夜会から戻った私は、寝室のドアの前でほんの少し立ち止まる。
扉の向こうにいる小さな存在──リオンのことを思って、自然と口元が緩んだ。
……それと、ついでに、あの人のことも。
ドアをそっと開けると、ベッドの真ん中にリオンがすやすやと眠っていた。
その横では、レオニスが目を閉じたまま仰向けに寝ている……ふりをしている。
「……起きてるんでしょ?」
そう声をかけても、彼は反応しない。
だけど、微妙に呼吸のリズムが乱れたのを私は見逃さなかった。
何があったわけじゃない。
ただ──こうして一緒に寝ることを、彼が『当然』のようにしてくるようになったのは、
あの戦地から帰ってきてからだ。
無理矢理と言えば、まあ、無理矢理。
でも、リオンが間にいることで、私はそこまで拒絶もできずにいる。
(川の字って、絶妙な配置よね……ほんと)
私はそっとリオンの隣に横になり、小さな寝息に耳を傾ける。
それから──ほんの少しだけ、向こう側の彼の気配にも。
夜の静けさの中で、私たちは言葉もなく、ただ3人、同じ布団の中で眠りについた。
◆
まぶたの向こうに光を感じて、私はゆっくりと目を開けた。
ベッドの真ん中では、リオンが小さく伸びをしながら、まだ夢の中にいる。
その向こう側──レオニスと目が合った。
「……おはよう」
ひとまず形式的に挨拶してみると、レオニスは少しだけ眉を動かして、低く返す。
「ああ。……よく眠れたか?」
「リオンのおかげで、ぐっすりとね」
言葉を交わすのはそれだけだったけど、
なぜだかレオニスの視線は、リオンの寝顔から私へと、何度も往復していた。
(……リオンにだけじゃなくて、私にも目を向けてくるようになったんだ。
ほんと、今さら……何なのよ、この人)
あれだけ距離を取ってたくせに、手のひら返したように『家族ごっこ』を始めようとするのは、
正直ちょっと呆れる。
(でも──まぁ。事件のときは、ちゃんと頼りになってたし)
そんな自分の心の引っかかりを、私は小さく息と一緒に吐き出して、もう一度目を閉じた。
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ご理解のうえ、お楽しみいただければ幸いです。




