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後妻はもう恋をしない。愛をくれたのは、この子だけでした  作者: 秋月 爽良


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25話 崩れ落ちた誇り

 アルベルトの妻――カサンドラは時折戸惑いを顔に浮かべながらも、ゆっくりと静かに語り始める。


「私が夫の異変に気が付いたのは、エリシア様の婚約破棄が発表される3ヶ月ほど前のことでした」


 カサンドラは一瞬、言葉を探すように目を泳がせたあと、俯いた。


「お恥ずかしい話ですが……、夫はこれまで幾度も浮気を繰り返しておりました。

けれど、普段なら決して屋敷に愛人を連れてくるようなことはしなかったのです。

ですがその頃、特に執着していた女性をとうとう屋敷に連れてきたのです。……10代の女性と共に」


 話を聞いていたセドリック殿下が、そっとカサンドラを気遣うように口を挟む。


「……カサンドラ夫人。もしかしてその女性が、弟の浮気相手かな?」

「はい、殿下。ご明察の通りでございます」


「ち、違うんだ! カサンドラ! あの女とはそんな関係ではない――」


 アルベルトは必死に弁解し、夫人のもとへ駆け寄ろうとする。


「近寄らないで!! もう2度とあなたに触れられたくないの!」


 カサンドラはバシッと、夫の手を振り払った。

 怒りに震える瞳で、彼女の声は次第に大きくなる。


「私を心から愛していると言いながら、次々と愛人を作っていたことを私は知っていたのよ!

他人を信用できないからって、私に毎食の食事を用意させ、今回のパーティー用のワインですらそうだったわ!」


 カサンドラの剣幕に、会場中が息を呑み空気が張り詰めていく。


「『アルベルトは奥さんにも心を許さない男よ?

食事も共にせず、言葉を交わすのは最小限。すべてを自分の思い通りに動かそうとする。

少しでも逆らえば冷たく距離を置くくせに、『女性としての役目』だけは強制してくるの。奥さんも大変ね?』

――なんて愛人に面と向かって言われた私の気持ちが、あなたに分かる?」


 (うわぁ……。叔父様、結構マニアックなんだ)


「ち、違う! 私は本当に君だけを愛していたんだ!」

「違う。貴方のは、愛ではなくて支配よ」


 凜としたカサンドラの声は、冷たい響きとなってこの場に落ちた。


「私は一度だって、自由を与えられたことがなかった。夜会は必ずあなたと一緒、お茶会は参加も許されず、お友達も作れない。

実家に手紙を出せば中身を読まれ、帰省できるのもあなたが同行する時だけ――」


 アルベルトの肩が小刻みに震える。その震えは怒りか羞恥心か、それとも恐怖からか。


「あなたが浮気していた間、私はずっと……屋敷の中でひとりだったのよ」


 カサンドラはスッと表情を引き締め、震える手で懐から1通の封筒を取り出した。


「……殿下。これは、夫の書斎から見つけた書類です。彼がこれまで密かに進めてきた取引や、偽装工作の証拠が記されています」


 会場中が一気にざわめく。

 セドリック殿下が慎重に封筒を受け取ると、その場で中身に目を通し始めた。


「……なるほど。確かに、これは決定的な証拠になり得るな」


 殿下の言葉に、アルベルトの顔色がさらに青ざめる。


「違う! 違うんだよ、カサンドラ! お前、そんなものをどこから……!」

「私が知らないとでも思った? あなたが私を監視していたつもりでも、実はあなたこそ見張られていたのよ?」


 カサンドラは冷たい声で告げると、ゆっくりと顔を上げた。


「アルベルト。私はずっと耐えてきたけど、もういいの。あなたの偽りの言葉には、これ以上付き合わない。

……あなたが本当に気持ち悪くて仕方ないわ」


「違うっ! そんなのは……ただの誤解だ!! カサンドラ、君は少し疲れているんだ。そうに違いない!」


 アルベルトは青ざめた顔で、妻に向かって手を伸ばす。

 だが彼女は一歩も動かず、その目にはすでに一切の情が宿っていなかった。


「君の言っていることは全部……、私の評判を落とすための作り話だ! あの女に騙されているんだよ。そうだろう!?

なぁ、誰か。そう思わんか!?」


 アルベルトは、会場の貴族たちに縋るように訴える。

 しかし誰ひとりとして口を開こうとはせず、視線は逸らされるだけだった。


「殿下! お願いです、お聞きください! 私はこの国のために尽くしてきたのです。これまでもいくつもの難題を――」


「……その成果が、裏での偽装工作と不正取引によるものだったとすれば、それは『尽力』ではなく『謀略』と言うんだよ?

フォルスター侯爵」


 セドリック殿下の低い声が、場の空気をぴたりと止める。


「ち、違います! 私は……、そんなつもりでは……っ!」


 アルベルトの肩が震え、膝がガクガクと揺れる。

 追い詰められた獣のように見開いた目で周囲を見回すが、誰一人として彼の味方をしようとはしなかった。


 「父上!!」


 ――バン!


 重たげな扉が、勢いよく開く。


 誰もがその音に振り返る。

 そこに立っていたのは少年と呼ぶには少し大人びた、まだ若い青年だった。

 

 整えられた黒髪と落ち着いた瞳。その姿に、アルベルトの表情が一瞬で凍りつく。


「……ア、アントン」


 彼はまっすぐに父のもとへと歩を進めた。会場がざわめきを飲み込むように、静まり返る。


「父上……。どうか、真実を語ってください」


 低く、けれどはっきりと通る声だった。


「母上の言葉が嘘だというのなら、それを証明してください。

 けれどもし、これ以上言い逃れができないのなら……。どうか、逃げずに向き合ってください。

 父上が、かつて私に教えてくれた『誇り』という言葉を……。今こそ、示してみせてください」


 その言葉にアルベルトの口がわななき、震える手で何かを掴もうとするが――。

 何も掴めず、ただ力なく肩が落ちる。


「……私が。全部やった。すべては……、くだらない見栄と欲のために。

『婿養子のくせに』って、貴族連中に笑われて……。兄は家督を継いでいたのに。甥のレオニスにも、何をしても敵わなかった。

だから誰よりも『上に立ちたい』と、そう願ったんだ……!」


 アルベルトは天井を仰ぎ見る。


「しかし気づいたときには、全てが手遅れになっていた……!」


 会場に満ちていたざわめきは、重く沈んだ沈黙へと変わり、誰もその哀れな男に言葉をかける者はいなかった。

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