チョコ・ティの告白
辺境深淵地域は人類未踏の大地が広がり、未だに数多く魔物が生息する未開の地であった。
そこに人類が最初の都市を築いたのは今から五十年ほど前になる。それから徐々に都市の数を増やしていき、現在までに九つの都市が造られた。
深淵の第九都市はその名の通り、辺境深淵地域に造られた九番目の都市で、ライン河より南側に入植し開発をほぼほぼ終えた、人類の生存権をさらに広げるべく、河を渡った先に造られた橋頭保としての役割を持つ城塞都市であった。
その為、街の東側と南側の城壁の外にはライン河を外堀として配し、北側と西側には頑強で背の高い城壁を持っていた。
そんなDA9にある宿屋の二階の一室から、アールがなんとも言えない表情をしながら出てきた。
部屋に戻ってくると思っていたチョコ・ティの姿がなかなか現れないからだ。
アールとしてはチョコ・ティが湯冷めしないようにと、先に汗を流して…いや、もしかしたら深層心理では、風呂上がりの女性が待つ部屋に風呂上がりの自分が入っていくという、あまりにもなシチュエーションを嫌ったのかも知れないが…入れ替わるようにお風呂に送り出したチョコ・ティが帰ってこない。
確かに、あまりにもと言えば、あまりにもな状況なので、部屋で待ってるとはハッキリと口にせず、曖昧な表現をした。
だからそれが原因か。とも思い直すアールではあったが、それでもチョコ・ティは、一人で酒場に行くようなタイプじゃないと思っているので不安が募っているようだ。
まぁ実際にアールが不安に思っているのは、風呂に入る前にチョコ・ティから伝えられた、まるで言い訳をしているかのような感謝の言葉。
あの感謝の言葉のあとに紡がれるかもしれないある種の拒絶の言葉、それを無意識のうち感じ取りにそれを宣告されるかもしれないという思いに、不安に感じていがのだが……。
そんな男の複雑な思いをよそに、アールが一階に降りて行くと「アールさんこっちこっち」と奥まった席に座っていたチョコ・ティが陽気な調子で手を振って迎える。
アールはそのチョコ・ティの陽気な調子になんとも拍子抜けした感情を抱きつつ、彼女の座る席に近づいていくが、そのテーブルの上に置かれたジャッキに目が留まり思わず言葉を詰まらせた。
「チョコ、お待た…んっ⁉」
「アールさん、お先に頂いてるんやけど、アカンかった?」
チョコ・ティは特に悪びれた様子もなく小首を傾げる。
この世界ではアルコールの摂取に年齢制限はない。前の世界でも、一部の地域には現代でも同じような風習が残っているが、要は栄養を円滑に補給する術として飲酒は認められている訳である。
例えばビールは穀物の麦を発酵させて作るわけだが、行程的にはデンプン質が麦芽糖に代わりその糖質がアルコールに変化して作られる。
そう、でんぷん質を吸収しやすい糖質やアルコールに変化させたものがビールとなるのだ。栄養価が高いのも頷ける。
さらにアルコールは消毒にも使われれるぐらい殺菌力の高い物質なので極めて腐りにくい性質を持つ。
つまり、お酒は”長期の保存が効き”なおかつ”摂取しやすい栄養素”として秀逸なのだ。
アールとしてもその辺りの事は雑学として理解していたので、別にチョコ・ティがお酒を飲んでいたとしても、怒る謂れはないと頭では解っている。
だが自分が好んで飲まないので、チョコ・ティも好んで飲まないものと決めつけていたのだ。
「別に駄目じゃないけど、前にチョコはお酒を飲まないとか言ってなかった?」
「普段は飲まへんけど、今日はアールさんおるし…大丈夫やろ。それにお酒の力を借りたいって事もあるん」
聞きようによっては、お持ち帰りオッケーのようにも聞こえるし、あるいは安牌認定されたようにも聞こえる。
「……お酒の力を借りたい事って?」
アールはとりあえず判断を保留して気になった事を尋ねてみた。
「今日のうちのミスの事にしてもそうやし、お店でのジェイクの事にしてもそうやねん。うちはな、アールさんに謝らなあかん事がようけあるの」
チョコ・ティがアルコールの所為かすこし潤んではいるが、しっかりとした目線をアールに向けて会話を切り出した。
「うーん、謝ってもらう必要はないかな。ミスは誰にでも起こる事だし、今後気を付けて貰えれば問題はないし……。
ジェイクの事にしてもオークの依頼については自分自身でもどうしようかと悩んでたしね。そもそもの話、それについてチョコが謝る必要はないしね」
アールはチョコ・ティの気迫にすこし気押されているのか、話の内容を無意識のうちに否定していく。
「ちゃうねん。実はな、オークの依頼の件はな、前からアールさんに話して欲しいってジェイクに言われててん。せっかくアールさんがうちらに有利な状況で”徳”を分配してくれてるんやから、稼げるうちに稼いでおこうって。
もちろん、あれやで。ジェイクも理由があるなら無理にって話やなくて、とりあえず話して欲しいみたいな感じやってん」
ジェイクがそう考えるのも理解できる。この世界では、むしろそういう発想にならない方がおかしいのである。
「でもな、うちも色々と悩んでて、それでアールさんによう伝えられんかってん。それで我慢しきれずって感じでジェイクがアールさんに……。
だからな、うちの所為やねん。
うちがきちんとアールさんに”徳”の話をせえへんかったから、あんなところでジェイクが”徳”の話を持ち出してもうて、それでアールさんが店の人に変な恩義を感じなあかんようになってしもうたん……」
ジェイクの行動を若さゆえの身勝手と断じるのは誤りだろう。
たしかに、上位者に対して気を使わなければ為らないのは当たり前だが、意味のない妥協は取り返しのつかない結果を招くのも事実である。
それをあの十四歳という年齢で理解しているのはやはり己の命、そして仲間の命を懸けて戦っているからなのであろう。
そこまで深く理解していたかは不明だが、アールはジェイクの行動に対して特に思う所はなく、またそれを気に掛けるチョコ・ティに対しても思い込みすぎだという印象をうけていた。
「まあ確かにフェイ・ユンに対して一寸した借りは出来たかもしれないけど、もともと奴には世話になってるし、それが少しばかり増えたところで問題はないよ。それにチョコが俺に気を使って”徳”の事を話題に上げにくかったのも理解できるし」
「アールさんがうちの事を気づかってくれてるんは分るんやけどな、それもな、ちがうねん。うちなアールさんにその事を話して、アールさんがギルドでオークの依頼を受けるようになって、それで”徳”が増えるんがな、ほんまはな、怖かってん……」
アールは、最終的には消え入るようなボリュームになったチョコ・ティの最後の言葉を繰り返す。
「怖かった?」
チョコ・ティは深く頷きしばらくの間は顔を伏せていたあと、目を赤くさせながらアールを見つめると口を開いた。
「”徳”が貯まったら検査して、それで問題なかったら、あれ……アールさんはうちと肌を合すん心待ちにしてくれてたやろ……」
チョコ・ティがそこまでいうと、アールの表情が言葉の意味を理解していくにつれて変化していき、頭の中に様々な思惑が浮かんでは消えて行く。
それって拒絶されてるってこと?
いや、そんな素振り今までなかったはず。
どちらかと言うと懐いてくれていたんじゃないのか。
というか、最初の約束は?
はあ……!?
パーティーを組んでここまでしてきて、嫌われているとか意味が分からん……。
混乱。失望。怒り、悲しみ。色んな感情が混ざりあった状態でアールは何とか言葉を紡ぎ出す。
「えっ、あっ、あれ……チョコは嫌だったのか?」
あまりにも予想外の告白に混乱が勝ったからか、それとも、それなり年を重ねてきた大人としての意地からなのか、アールはなんとかチョコ・ティを気遣う言葉を続けて口にする。
「……それならあの時の約束は、もう、忘れてくれてもいいから……」
アールにとってチョコ・ティはすでに、パーティーメンバーとして一緒にすごした仲間、性の対象であると同時に保護すべき対象にもなっていたのであろう。
だからこそ、こういう相手を気遣った台詞を口に出来たのである。もし、怒りにまかせた言葉をぶち蒔けていたら、最終的なチョコ・ティの態度も変わっていたかもしれない。
チョコ・ティの深層心理としては、己が初体験を迎えるという事に対して少なくない恐怖心があったのだ。
最初に会った時に、あの状況のまま初体験を迎えていたら、こんな恐怖心を抱く事もなかったのであろう。
アールという格上の存在が、わざわざ自分の為に時間と手間をかけてくれている。その事実がチョコ・ティにプレッシャーを与えていたのだ。
はたして自分にそんな価値があるのか?
さらに、初体験を迎えてしまうともう用済み、捨てられてしまうのではないか?
そんな思いが、今置かれた状況と入り混じりチョコ・ティは思い悩んでいたのだ。
だが結果としてアールのこの身を引くような発言が、チョコ・ティのアールを失いたくないという思いに繋がり、その心をがっちりと掴み取る結果となった。
「ちゃうねん、アールさん。そうやないん……聞いてくれる?」
とはいえ、そんな事まで解るはずもないアールは、混乱しながらも死刑を告げられるような心境で頷き、チョコ・ティが話の続き切り出すのを見守った。
「うちな、アールさんの事が好きになってしもうてん。でもな、うちアールさんと肌合すんな、考えると苦しいねん。
前はな、ええ人やなって思ってただけやったから、この人と肌合すんも、ええかなって思っててんけどな、いまはな、うちがな、アールさんと肌を合したいん」
アールは突然の話の展開に付いて行けずに呆然とする。
「抱き付いてな、キスしてな、あの時感じたあの熱いのをな、体の中で感じたいねん。
そう思うだけでな、うちの体も熱うなるん」
チョコ・ティの熱のこもったような視線が宙を彷徨う。
「でもな……オパカの事考えたらな、うちだけ、そんな幸せになるん駄目な気がするん。胸がな、ギュウッとな、苦しなるんよ。
だからな、もしアールさんが嫌やなかったら…許してくれるんなら、全部終わるまでうちの事、待ってて欲しいの……」
チョコ・ティはそこまで言い切ると、熱くぬれそぼったような目でアールを見つめていた。
アールは考える。
フラれたわけではなさそうだ……と言うか、求めてくれてる…のか?
チョコ・ティは待っていて欲しいと言っている。そう。待てば…条件が揃えば問題はない。
大体、今も待っているんだ。それが少しばかり伸びたところで変わりはない。
それにオパカの事は…つまりチョコ・ティたちのパーティーに元居たという娘の事については、今回の事がなくても何とかしたいとは、思っていたのだ。
ただ、どこまで踏み込んで良いのか測りかねていただけである。
「チョコ……」
アールは彼女の名前を呼び、その頭を撫でる。
チョコ・ティは真剣な表情を崩す事無くその行為を受け入れた。
アールはチョコ・ティのその態度に、彼女が自分以上に緊張している事を感じ取る。
ようやくここにまで至り、アールの混乱していた頭が回転し始めた。
「チョコが何を思っているかは理解した。けど、ただ待つだけってのは嫌かな」
了承か拒絶。その二択の答えを待っていたチョコ・ティはまだ身動ぎ一つせず続きの言葉を待つ。
「勿論、チョコとの事もあるけどジェイクもノーグも、もう俺の仲間なんだ。だからチョコとのエッチな事とは関係なしに、オパカって言うの? その娘の事はどうにかしたいと思ってた。
何となくは知ってるけど、所詮は何となく。俺から詳しい内容を聞いて良いのかも、分らなかったしね。
でも今言ったように、ただ待つだけってのは嫌かな。だから一度詳しい状況を説明して、チョコ」
「それは、アールさんは、うちの事を待ってくれるっていうことなん?」
アールがしっかり肯くと、チョコ・ティは嬉しそうな表情を浮かべたあと、それでも少し困惑した表情を浮かべ、鼻声でアールに質問する。
「でもオパカの事は、アールさんには関係ない事やのに……それでも話を聞いてくれるん?」
「今も言ったように、もうみんな仲間。それにさっきはチョコの事は関係ないって言ったけど、その事が片付かないと、チョコの事を抱きしめられないんだろ? なら、協力できることは協力するよ」
アールはチョコ・ティの目から零れ落ちる涙を隠すかのように、彼女の髪の毛を荒々しくかき混ぜた。
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