第56話 地図を広げて足を上げて
――――アデルを探して……
住民たちに姿を見られぬようにこそこそと移動。
町の北を目指し、アデルの気配を探る。
そうして訪れたのは、町を守る北壁。
その上にアデルは立ち、まっすぐと北にある森を見据えていた。
周囲には守備兵がいたが、彼らにしばらく離れていてくれと頼む。
すると、アデルにも同じことを言われたと彼らは言っていた。
一人で何やら考え事をしたいようだが…………ここは放置するよりもあえて踏み込もう。もし、邪魔となれば、立ち去ればいい。
「アデル」
名を呼ぶと、彼は北を見つめていた視線を動かし、次に体ごとこちらへ向けた。
「……どうしたの、おじさん?」
「会議でお前の様子が妙だったんで、気になってな」
「そう……アスティのことは?」
「さっき話してきた。感情的になったことを謝り、夢を追う背中を支えることにした」
「そっか……よかったな、アスティ」
彼は微かな笑みを見せるが、すぐに表情を曇らせる。
そこには何かの迷いがある――そう、感じ取れる。
「アデル、何か悩みがあるなら相談に乗るぞ。もちろん、無理強いはしないが」
「悩み、か……うん、ごちゃごちゃでわかんないんだよなぁ」
「わからない?」
彼は再び、北の森を見た。顔を歪め、痛みに苛まれた表情で……。
「剣士っていいなぁって思ってた。だけど、ジオラスのおっさんとの戦いで、あんまり向いてないと実感したんだ」
「それについては会議の前にガイウスからあらましを聞いた。彼はとても褒めていたぞ」
俺はアデルの左の二の腕……僅かに血の滲む包帯を見つめた。
ジオラスという盗賊との死闘。
相手はアデルよりも強く、たしかな腕を持つ。
だが、アデルは己の知恵と閃きと冷静さとを重ね合わせ、勝利を手にした。
話を聞いたときには親の立場として、身の毛もよだつ思いだったが、一人の剣士の成長の歩みの一歩としては、これほどまでに素晴らしいことはないだろう。
だが、彼はそんな自分に対して、剣士は向いていないと言う。
何故だろうか?
それを問おうとすると、彼が言葉を被せた。
「あれは褒められるような内容じゃないよ、おじさん」
「……なぜだ? 話によると、相手が初めから奥義ありきで対応しようとしたことに不満があったようだが、そのことか?」
「それもあるけど……それだけじゃない。俺はあの時、フローラやアスティやガイウスのじっちゃんの存在も勝利の計算に入れていたんだ」
「ん?」
「大きな傷を負っても……フローラがいるから大丈夫だって思った。だから無茶できた。俺が倒れてもアスティがいる、じっちゃんがいる。だから――勝てるって、思い込んでたんだ」
アデルは左腕の包帯を睨みつけ、拳を握りしめる。
滲む痛みに顔を歪めながら、それでも言葉を吐き出した。
「……でも、本当は違った。俺一人だったら、何もできなかった。自分の腕を試したいって……ただそれだけで命を張った。勝ちが曖昧なのに、何とかなるなんて思い上がりでさ……もし、何とかならなかったら……アスティたちまで危険にさらしてたんだ……」
その声は震えていた。怒りとも、悔しさとも、情けなさともつかない感情が入り混じっている。
(――この子は!?)
冷静な自分と、猛る自分。
その狭間で足を取られ、抑えきれずに踏み出してしまったことを悔いている。
だがだ、俺は十五歳の少年がそこまで考えて、そこに悔しさを覚えることを素晴らしいと考える。
(十五歳で……自身の才能だけに囚われずに、心の在り方まで見つめることができるのか? 俺がその年の頃なんて、何にも考えちゃいなかった。――アデル、お前は俺とは比べ物にならないくらいに賢く、強い)
才能の先にではなく、心の奥に答えを探そうとしている――その姿勢が、今の彼を突き動かしているのだろう。
アデルは頭を派手にぼりぼりと掻いてから腕を組み、頭を斜めに傾けた。
「それにさ、かーちゃんに俺を信頼してくれてって言いながら、こんな無茶をやっちゃったし。自分を簡単に見失うようじゃ、剣士家業は合わないなぁって。そう思ったんだ」
カシアか……そうか、母親の心配さえもアデルは汲み取って……だけどそれでも、合わないと見切るには早すぎる。
心は成長するものだ。
それを伝えようとしたが、彼はすでに違う自分を模索しようとしていた。
そしてそれこそが、アデルの悩みの根源でもあった。
「剣は楽しいけど、無謀な真似はしたくない。そんな自分が嫌いだし、合わないってのもわかった。だから、新しい何かを見つけたいんだけど……はぁ」
彼は言葉の途中でため息を漏らした。
そして、寂しげな顔を俺に向けた。
「……フローラは王を目指すって。話が大きすぎて、俺にはわけわかんねぇ。アスティは勇者を目指すって。俺は誰かのために何かをしたいってあまり思わない。だけど、二人は道を見つけたんだな……」
ここまで聞いて、ようやく俺は、彼の迷い、思い、苦しみを知った。
(幼馴染の二人が道を見つけ、歩み出そうとしている。アデルは自分だけ置いてけぼりを食らったように感じたんだな)
いつも一緒だった友達・仲間・幼馴染。同じ時間と道を歩んでいた。
だけど、その時間も道も分かれようとしている。
しかし、彼は道を見失い、立ち止まってしまった。
幼馴染が歩む道は彼の理解の及ばない大きなもの……そこにまた、寂しさを覚える。
(だから、会議の席ではずっと上の空だったのか。アスティが勇者を目指すとしたときも微かに顔が歪んだが、そういう思いがあったからか)
それを今知った俺は、すでにこのことに気づいていたガイウスの瞳に驚きを禁じえない。
(ガイウスはよくこれに気づいたな。昔から観察眼に優れていたが、心の機微を読みすぎだろ)
そのガイウスは俺にこう言っていた。
――今のあの子に必要なのは父親ではない。今のお前だ――
と。
(父としての俺じゃなく……勇者としての俺でもなく……ただの俺? いったい何を求められているんだ?)
俺は手探りで、アデルへ問いかける。
「道か……それを見つけるのは難しい」
「おじさんも悩んだの? 勇者を目指して旅に出たんじゃないの?」
「俺が勇者に成ったのは、友の遺志を継いでだからな。元々は――――ああ、そうか、そういうことか」
――アデルは昔のお前によく似ている――
ガイウスのこの言葉。それはこういうことなのかもしれない。
「おじさん、どうしたの?」
「いや、ふとな……」
「ん?」
「アデル、お前が旅に出ようとした目的はなんだ? アスティの母親や妹探しの協力だけが理由じゃないだろう?」
「それは、自分の腕がどこまで通じるか試したくて。でも、それも……」
「それだけか? まだあるんじゃないのか?」
「え?」
俺は遥か西へ手を伸ばす。
「なぁ、アデル。知ってるか? このアデンドロン大陸から離れた遥か西の果てに別の大陸がある。そこには翼の生えた馬がいるらしい」
「――え!? 馬に翼が生えてるの? そ、それって空を飛んだりして?」
「ああ、話によると人を乗せて飛ぶことが可能だそうだ。天馬騎士と呼ばれる者たちがいるとか」
「す、すげぇ、そんな騎士が……」
「ふふ、だろ。俺もその話を聞いたときには心が踊ったものだ」
さらに、東へと手を伸ばす。
「東の大陸にはな、八つの首を持つ山のように大きな蛇がいるとか」
「そ、そんな蛇が? そんなのがいたら誰も住めないんじゃ?」
「それがな、無類の酒好きで女好きで、接待さえしていれば問題ないんだってさ」
「ええ~、なんだそれ。すっごい怪獣みたい姿なのに、あはははは」
他の大陸の話を紡ぐたびに、アデルの黒の瞳は輝きを帯びて、光は増していく。
(そうか、この子は少年時代の俺と同じ……)
手を降ろし、アデルと向き合う。
「アデル、俺が旅を始めた理由は凄く単純明快だ」
「それは、なに?」
俺は満面の笑みを見せて、こう言葉を渡した。
「冒険がしたかったからだ!」
「冒険……」
「ああ、大陸の片田舎で育った俺は世界を見たかった! 俺の知らないものを探して旅に出た。ま、色々あって、それはかなわず、勇者に成ってしまったが……アデルが旅に出た時はどうだった?」
「俺が旅に出た時は……」
彼は自身の手のひらを見つめ、ゆっくりと閉じ、ぐっと握り締めた。
「世界を知りたかった。村の外を見たかった。世界がどんなものなのかを自分の目で見たかった。そうか、俺は……」
柔らかな弧を描く唇。アデルの姿を見て、俺はさらに言葉を続けた。
「夢や道の大小なんてどうでもいいんだよ。誰かの上に立つ夢だろうが、誰かのために生きる道だろうが、結局は自分が納得しなきゃ意味がない。自分のために夢を見て、自分のために道を歩み、自分のために生きる。それでもいいんじゃないか」
アデルは固めた拳をトンと胸に置いた。
「そっか、そうだよな。俺が俺のために生きるなんて当たり前のことだ。そうだ、俺が何をしたいかだ。俺は……世界を知りたい。王とか勇者とか剣士とかじゃなくて、世界を冒険したい。俺は――――冒険家になりたい!!」




