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元勇者、魔王の娘を育てる~父と娘が紡ぐ、ふたつの物語~  作者: 雪野湯
第二章 子どもたちの目指す道

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第53話 不安は灯に変わりて

 その場で崩れ落ち、俺は執務机を背にして座り込んだ。背中には重い木のぬくもり、胸には拭いきれぬ焦燥が渦巻く。

 か細く、乾いた声が自然と漏れた。


「……だけど、この不安は消えない。頭ではわかっているつもりだ。けれど……心が、娘を守れと叫び続けている。たとえ、それが過保護と呼ばれようとも……」


 無意識のうちに、声に熱が籠る。


「なぁ、ガイウス。どうすれば……この不安は和らぐ? いつまで、続く? あんたは他の貴族とは違った。自らの手で息子と娘の背を押してやれた男だ。だからこそ――教えてくれよ。俺は、どうすればいい……?」



 俺はガイウスを見上げ、縋るように問うた。それはもう、誇り高い父であろうとした自分ではなく、ただ一人の、弱き親としての問い。



 ガイウスは、ふと目を伏せる。白髪を撫で、顎に手を添えたのち、肩を竦めながら一言。

「どうすればよいかは……人による」

「…………なんだ、それは?」


 思わず立ち上がり、声を荒げて詰め寄る。それには怒りというより、呆れと戸惑いが入り混じる。

「さんざん説教を垂れておいて、その結論かよ!? もっとこう……あんたなりの『答え』ってもんはないのか!?」


 

 しかし彼は片手で俺の動きを制し、続きを言葉として表す。


「まぁ、待て、ジルドラン。確かに説教はしたがな、子を育てるというのは、常に手探りだ。家庭環境も、性格も、親子の距離も――すべて違う。正解がないからこそ、誰もが迷い、苦しむのだ」

「だからって、何か一つくらい!」


「子の教育に正解があるなら、誰も苦労はせんよ」


「だ~か~ら~、さんざん説教垂れてそれは――」

「まぁ、ワシがどう克服したかでよければ、語ってやらんでもないが?」


 その言葉に、俺は思わず口を噤んだ。

 数瞬の沈黙の後、しぼり出すように言葉を返す。

「ああ、頼む……」



 俺は詰め寄るのをやめて、食い入るように体を前のめりした。

 すると彼は、実に気の抜けた調子で口を開いた。


「あ~、ワシの場合は~、息子や娘が結婚したら、不思議と肩の荷が下りた気がした。ああ、一人前になったな、と」

「……なんだ、その、どこかの啓発書にでも載ってそうな答えは? もっと、あんたなりの経験に基づく特別な何かはないのかよ!? だいたい、結婚したからといって、親と子の関係が変わるものじゃないし、不安は失われないだろう」



 そう訴えた途端、ガイウスは抜けていた顔を真面目なものに戻し、彼なりの価値観を伝えてきた。

「変わる。変わるのだよ、ジルドラン。少なくとも、ワシはそうだった」

「変わる? 何がだ」


 彼はゆっくりと、自分の胸に手を添える。

「我が子は我が内に在り。心の奥に、魂の片隅に、常に共にある存在。愛情も、不安も、希望も、すべてが血肉のように混ざり合っていた。それが永遠に続くようにも感じた」


 言葉は静かに紡がれ続ける。


「だが、ある時、子らはワシから離れ、新たに共同体を持った。伴侶を得て、自らの家を築いた。そのとき、こう感じたのだよ。ああ、子はついに、ワシという共同体から独立したのだと」

「…………」

「そうなれば、もはや、そこに口を挟むのは、ただの干渉に過ぎぬ。もちろん、親としての絆は消えない。だが、今や彼らもまた『親』となり、新たな命を守る立場になった。ワシの不安など、余計な雑音にすぎん」



 ガイウスは微笑みながらも、寂しげな瞳を見せる。

「子だった存在が、親になる。その瞬間、初めて『愛』の変質を知る。ワシもまた子を愛し、子もワシを愛してくれるが……伴侶への愛はまた、別のもの。その愛の違いを知って、ワシの手から離れたことを理解した」

 

 瞳を一度伏せて、彼は確固たる意思の宿る瞳でまっすぐと俺を見据える。

「もし、子が、ワシか伴侶かを選ばねばならぬなら、迷わず伴侶を選ぶべきだと思うておる」

「ガイウス……」


「子が注ぐべき愛は、親ではなく、その伴侶と……やがて生まれてくる新たな命へと向けられるべきものだからな ……と、少し話が脱線してしまったかな?」

「……いや、そうでもないさ」


 彼の言葉は、決して感傷ではなかった。人生を積み重ねた者だけが語れる、確かな実感。


――育む愛と、頼られる愛。そして、注がれる愛。


 それらの違いを知ったとき、子は真に自立し、未来を歩む力を得るのだと。そして、親もまた、子から独立する……そう確信しているようだった。

 

……強い。なんと強い男だ、ガイウスは……。




 ガイウスの想いと、その揺るぎなき強さを前にして……俺は奮い立つどころか、むしろ打ちのめされていた。

 口を開けば、力なく頼りない声が漏れる。

「俺は、あんたみたいに、強い親には、なれない……」

「……ふぅ。まぁ、こういった心の在り様は一朝一夕では――――」

「そもそも……」

「どうした?」


 俺は両手で顔を覆った。

 視界が闇に閉ざされると、言葉が勝手に零れ出す。

「アスティが俺の元から離れ、結婚となったら、見知らぬ男と一緒になるということじゃないか?」

「……は?」

「ああ~、どうしよう。そんな日が来たら? そんな奴にお父さんなんて呼ばれてたら、殺すかもしれない」



 ガイウスの眉間に、深い皺が刻まれる。

 次いで呆れた声が降ってきた。

「ジルドラン、お前……バカ親どころか、駄目親になっているぞ」

「駄目親って言うな! あんただって娘を送り出したとき、そんな気持ちあったんじゃないのか?」

「あるにはあったが、娘が決めた相手だ。ワシの娘の目利きならば、誤りはないと信じられる、フフ」


 自信満々の笑みを浮かべるその顔に、俺はすぐさま毒づいた。

「あんたこそ、バカ親じゃないか……」

「お前と一緒にするな。ともかく、ワシの場合は結婚という節目が不安を手放す契機になったというだけの話だ。お前はお前なりに、アスティを認める何かを模索するがいい」


「模索……何か……」

「例えば、お前が心から認めるほどに強くなったとか、多くの人に慕われる存在になったとか……。形は何でもよい。お前が納得できる証を探せ」

「俺が、納得すること……?」



 ふと、頭に浮かんだことを言葉に出す。

 しかしそれをガイウスは盛大にツッコんできた。


「……パン屋を開くとか?」

「意味がわからんぞ! 今の流れでどこからパン屋が出てくるんだ?」


 そう言われて、俺は軽く首をひねり、しぼんだお腹をさする。

「ああ~、あれだ。今日は饅頭しか食べてないから、腹が減ってるんだな。おそらく、それで……」

「いや、だからと言って急にパン屋はないだろう。一体、お前は何を考え……ん?」


 ガイウスは急に押し黙り、何やら思案顔になる。

「どうした、ガイウス?」

「いや、お前、もしや……」

「なんだよ?」


「……いや、やめておこう。話が逸れるな。ともかく、お前が娘を認められる何かを探す間は、決して頭ごなしに否定するな。それは……お前にとって、相当に難しいことだろうがな」

「……ああ、そうだな。さっきのように感情的にならないように、気をつけるよ」


 ここまで話をして、解決らしい解決は見つからなかったが、それでも心は落ち着けた。

 


 俺は暗闇を歩む子育ての途に、一本の指針という名のランタンを手に入れた気がした。

 その灯がどのような色を放ち、何を燃料(かく)として輝くのかまでは、まだ定まってはいないが……。

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