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元勇者、魔王の娘を育てる~父と娘が紡ぐ、ふたつの物語~  作者: 雪野湯
第二章 子どもたちの目指す道

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第51話 落暉

 屋敷の大広間に、娘のすすり泣きだけが淡く響いていた。

 誰もが声を出せない雰囲気の中で、近くに座っていたエルダーが、おずおずと手を挙げる。


「その……いったん休憩を挟みませんか? 今日は深夜からずっと慌ただしくて……皆さん、頭の整理もついていないでしょうし」


 誰も返事はしなかったが、異を唱える者もいない。自然と、その提案が受け入れられた。

 

 俺はそろりと顔を上げた。

 フローラが涙に暮れるアスティの肩を抱き、必死になだめている。


「ひっぐひっぐ、なんでよ? どうして、怒られなきゃならないの? 私はただ、私はただ……」

「うんうん、わかってる。あーちゃんは悪くない。とりあえず、ここから出て外の空気を吸おう、ね?」

 

 フローラは一瞬だけ俺を見た。

 その視線は、幼いころのものと変わらぬはずなのに……底知れぬ怒りが混じっていた。

 俺は感情を抑えられなかった己を恥じ、視線を逸らす。


 そんな中、アデルが二人を見つめてぽつりと呟く。

「……はぁ、アスティもか」



 それから、落ち着いた声で話しかける。


「アスティ、平気か?」

「……ぐすん、わかんない」

「アスティは、勇者になりたいんだ?」

「そうだけど、お父さんが、すごく怒って……」

「……そうか」

 アデルは湯呑みを手に取り、残ったお茶を飲み干すと、淡々と続けた。


「もし勇者になるつもりなら、フローラが頑張らないとな」


 この言葉にフローラは小さな疑問の音を立てる。

「え?」

「え、じゃねぇよ。アスティは魔族なんだぜ。今日、外の世界のことを知ったばかりだけどさ。このままだと、人間族の勇者になるなんて厳しいだろ」

「ええ、おそらく……」

「じゃあ魔族で勇者かっていうと、それも変だし。そもそも王族なんだから魔王になれよって話だろ」

「そう、かも……」


 アデルは空になった湯呑みを机に置き、はっきりと言った。

「だったら、フローラの創る国で勇者になるしかないだろ」

「あ、たしかに……」



 アスティは涙を何度もぬぐい、腫れた目でアデルを見つめる。

「そっか、私はこのままだと勇者にはなれないんだ……」

「ああ、そういうことだ。ってことで、アスティもフローラの国づくりに協力しないとな」


 アデルは立ち上がり、軽く手を振った。

「……まぁ、少しは落ち着いたみたいだし、あとはフローラに任せるよ」

「待ちなさいよ、アデル。さっきもあーちゃんが言ってたけど……なんか変だよ」

「変か……俺にはわからねぇんだよ。ただ……」



 アデルは二人をじっと見つめ、眉をわずかに歪める。

「今のままじゃ、俺は……いや、いい。自分で考えることだ。……じゃあな」

 そういって、ぶっきらぼうに片手を上げ、広間を後にした。


 彼の様子が変なのは明らかだ。それはこの会議が始まってからずっと。

 何か理由があるのだろうか?

 すると、隣に座るガイウスがか細く声を漏らす。


「なるほどの、そういうことか」

 

 彼には、アデルの様子がおかしい理由がわかったのだろうか?



 フローラは出ていくアデルの背中に言葉をぶつけている。

「ちょっと、アデル! もう! ……あーちゃん、わたしたちもいったん外に出よう」

「……うん」


 アスティは怯えるように俺を見た。

 その視線を受け止められず、俺は顔を背ける。

 アスティはしゅんと肩を落とし、フローラと共に広間を出て行った。


 俺は頭を抱え、短慮だった自分を呪うように奥歯を噛み締めた。

 ガイウスはエルダーに指示を飛ばし、それから俺を見据える。

「エルダー、アスティとフローラの様子を見ておいてやってくれ。二人きりで問題ないなら、無理に付き添う必要はない」

「はい、ガイウス様」


 エルダーが出て行くのを見届けると、ガイウスは低く告げた。

 

「それでだ……ジルドラン、話がある。顔を貸せ」




――――メディウス屋敷・執務室



 今は亡き領主メディウスの執務室を借り、俺とガイウスはそこに足を踏み入れた。

 主がいないというのに、一粒の塵すら落ちていない机。

 それだけで、メディウスと仕えていた者たちの間にあった信頼と敬意が感じ取れる。

 

 俺は机に指先を置き、爪を立てるようにしてから拳を握った。

 背後でガイウスが声をかけようとするが、それを遮って言葉を吐く。


「ジル――」

「二度だぞ……」

「ジルドラン?」

「ちがう、三度だ。旅に出て、まだひと月も経っていないというのに、俺はあの子たちの命を三度も危険にさらしているんだ!」


 拳で机を叩きつけ、横を向いて絞り出す。


「クルスと出会った。あいつは異界の侵略者に心を侵され、俺を殺そうとした」

「なんと、そのようなことが……」

「あの時、子どもたちには待ってろと言ったのに、あの子たちは来てしまった。俺は、俺は……その気配に気づかなかったんだぞ!!」


 さらに机を叩き、言葉を続ける。

「あの時はクルスとの戦いに集中するあまり、周囲への警戒を怠ってしまったからだと思っていた。だがな、現役時代の俺なら気づかないわけがない! そうだろ、ガイウス!?」

「……ああ、昔のお前ならば、見落としはすまい」


「このデルビヨに訪れたときもそうだ……町の連中が口々に盗賊の噂を話し、代々凡庸と呼ばれるメディウスが自ら討伐に出たと言っていた。住民たちの表情は不安に曇っていた。これだけの情報を得ながら、俺はのんきにこう思っていた。立派な領主だ。城壁もしっかりあるし大丈夫だろ、とな!」



 俺は自身の頭を押さえ、激しく首を振る。

「なぜだ? なぜあの時、俺は気づかなかった? 最悪の状況を想定すれば、子どもたちをこの町に残していくなんていう選択肢はないはずだ。それなのに――昔の俺ならすぐに察し、こんな選択肢を選ぶはずがない!」

「……ああ、確かにな」

「そうだろう。もし、俺がここに残っていれば、盗賊との(いくさ)なんて存在しなかった! 子どもたちの命を危険にさらすこともなかった!! 極めつけは――」



 押さえていた頭から手を外し、わなわなと震える両手を見下ろした。

「アスティだ……娘が追い詰められているのに、この場から立ち去ることばかりを考えていた。娘を守るための選択肢として、それが最良か? あの時、フローラに正体を明かされるより前に、娘のために俺は名乗り出るべきだったのでは? いや、しかし――――」


 俺はその選択肢を選べない理由を前に、最良であるはずの選択肢が霞んで見える。

「正体を明かせば、王国が俺の所在を知ることになる。そうなると厄介。いや、最優先事項は子どもたちの安全確保。だが、正体を明かせば結局……ああああ!!」


 苛立ちを足に込め、執務机を蹴り上げる。

 鈍い音が響き、空気が震えた。

 そして、ガイウスに向かってやり場のない感情をぶつける。


「俺は……こんなにも鈍ったのか!? 衰えは身体だけだと思っていた! だが、違う……旅に必要な状況判断、あの頃なら当たり前にできていた危機の察知――それら全部、錆びついてやがる!! このままでは、このままでは――――」


 肩が震える。

 俺は拳を握り締め、声を絞り出した。



――どこかの時点で、子どもたちを失うことになる――



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