第50話 望む夢望まぬ夢
ガイウスは短い一言でフローラの言葉を受け入れ、許した。
「構わん」
次には笑みを浮かべ、彼女を見つめる。
「フローラよ、先ほどの冷淡な物言い…………あれはわざとであろう。ワシを試しおったな」
フローラもまた小さく笑みを浮かべ、軽やかに答えを返す。
「ふふふ、はい。ガイウス様であれば、必ずや冷静な判断をなさると思い」
「今のやり取り……ワシが激昂しておれば、いらぬというわけだ。いやはや、末恐ろしい」
二人のやり取りを見て、俺は悟る。
それは、フローラが目指す道の一端。
彼女は他者に理解などを求めない――ただ道を示すのみ。
その道に魅力を感じる者だけが、共に歩むことを許される。
ガイウスは、王を救うという目的に魅せられ、その道を選んだ。
しかしそれは……どれほどまでに冷たい道なのだろうか?
これからガイウスが歩む道は、老骨には厳しすぎる、寒風吹き荒ぶ道。
この道が、フローラが歩む道だというのか?
これはもう、王道でも覇道でもない。感情を廃した支配の道だ。
無慈悲にして強烈なカリスマを持つ者が歩む道――道に名をつけるならば、冰道。
そんな俺の思考を、フローラの言葉が断ち切った。
「ヤーロゥさん、わたしだって人は選びますよ。ガイウス様だからこそ、これくらいは汲み取っていただけると思っただけですから」
「――なっ?」
フローラは、ガイウスが貴族としての誇りや感情を捨て、陛下への忠誠のために過酷な決断ができる男だと信じていた。
いや――信じていただけではない。
彼女は、そこまでを当然とし、求めていたのだ。
(困ったな、この子。もう、俺の手には余る……)
俺には政治の才なんてない。経験で補ってきただけだ。
だが、フローラはその経験を軽く凌駕し、さらに先へと歩み続けている。
その階段がどこまで伸び、どんなものになるか……もはや俺には見えない。
(とはいえ、このまま野放しというわけもいかない。どっかで上手く導いてやれる人物を探さないと)
ふと、頭に過ぎったのはアルダダスだが……さすがに、それは無理か。
だが、彼の近辺に王を支える王佐の才を持つ者がいるかもしれない。
「今度、問い合わせてみるか……」
「ん? どうしたんですか、ヤーロゥさん?」
「なんでもない」
そこで話は一旦途切れた。
まだ語るべきことは山ほどある――世界の現状、最東端の意義、勇者クルスや陛下の真実、そしてアルダダスがすでにそれらを把握し、対策を講じていることも。
どれもが重すぎる話で、今この場で一気に語るには余りに濃密すぎる。
だからこそ、休憩が必要だ。
そう俺が考えるまでもなく、皆も無言で同じ結論に至っていた。
重苦しい雰囲気が漂う中……アデルがお茶をすする音だけが響く。
「ずずずず、はぁ。話は終わった?」
「え? ああ、そうだな。侵略者の詳しい話は、ここじゃなくて後で俺からガイウスに伝える。もう、隠すことのないアスティについても、話せる範囲で」
「そっか……」
アデルは一度、フローラへ視線を向け……音を立てずに小さく息を吐いた。
フローラはその仕草を見て、眉間に皺を寄せる。
アデルがどうしてあんな態度を取っているのか――彼女には見当もつかない。
いや、フローラだけじゃない。
この場にいる誰もが、アデルの内心を読めなかった。
彼は一歩も二歩も引いた場所にいて、興味があるのかないのかもわからない……そんな距離感をずっと崩さない。
そのアデルはアスティへ話しかけている。
「まあ、あれだな。細かい話はともかく、これからもアスティの母親と妹探しは続けるってことだよな?」
「うん、そうなると思う。世界が大変なことになってるのに、私の身内探しがメインでいいのかなって、ちょっと思うけど」
「いいんじゃねぇの、別に?」
「そう?」
「……お前くらいは、そうであってほしいし」
「うん? 何か言った?」
「何も言ってねぇよ。俺たちの主目的は、アスティの親探し。そうだろ、アスティ?」
「え……うん、そうなんだけど……私、ちょっと別の目的? いや、目標ができちゃって~」
このアスティの言葉に、なぜかアデルは曇った表情を見せて、アスティの方は俺をちらちらと見てくる。
「あ、あの、お父さん?」
「ん、なんだ? 饅頭のおかわりか?」
「ちがう! そうじゃなくて……あのさ……えっと……」
アスティは言葉を選ぶようにして、指先をいじりつつもじもじと頬を赤らめる。
「私、お父さんの勇者の姿を今日初めて見たんだけど~」
「それが……どうしたんだ?」
「すごかった。あんなに殺気立っていた場を一瞬で変えちゃって。とっても、かっこよかった」
「ああ、ありがとう。いや、まさかと思うが……」
不意に、背筋に寒気が走る。
次にアスティは……俺が最も恐れていた、俺が最も望んでいなかった言葉を漏らした。
「それでね、私はこう思ったの。私も将来、お父さんのような勇――」
「――それだけは絶対に駄目だ!!」
気づけば、俺は立ち上がり、机を両手で叩きつけていた。
皆が驚いた顔を向けるが、そんなことはどうでもいい。
アスティを――――勇者なんかにさせてなるものか!
アスティは朧な声を漏らすが、続きを語らせることなく俺は捲し立てた
「お、おとうさん、ど、どうした――――」
「いいかアスティ!」
叩きつけた手を拳に固めて、声を震わせる。
「勇者なんてものはろくな生き方じゃない! そんなものに憧れては駄目だ!」
「な、何を言っているの、お父さん?」
喉奥から振り絞るように語る。
「勇者は、自分のために生きることを許されない……誰かを守るために生きることになる。自分の人生を、自分のためではなく他人のために……他人へ捧げなければならないんだ! 俺は、俺は、お前にそんな人生を歩んでほしくない!」
いまだかつて、これほどまでの剣幕をアスティに見せたことはなかった。
彼女もまた、見たこともない俺の姿に、驚きと涙を滲ませる。
「なんで……どうして、そんなことを言うの? 私はただ、お父さんがかっこいいと思って……」
「ああ、一見華やかに見えるだろう。だがな、彼らは勝手な連中ばかりなんだ。お前も見ただろ。皆のために戦ったお前たちを吊るせなどとほざきながら、次の瞬間には俺を讃え、手の平を返す。勇者になれば、そんな連中のために生きなければならないんだぞ!」
「たしかに、みんなは勝手だけど……そうじゃなくて、私は……お父さんのように、しっかり人の心に届く言葉を……」
「とにかくだ! 勇者を目指そうなんて考えるな! 目指せば、きっと――いや、必ず後悔する! だから――」
「そんな――お父さんは、勇者だったことを後悔してるの!? じゃあ、どうして勇者――ひっ!」
娘が怯え、言葉を詰まらせた。
その瞬間、俺はどんな顔をしていたんだろう。
ただわかるのは、『後悔』という言葉が、怒りと恥辱をかき立てたことだ。
「後悔……後悔だと……俺が後悔などするはずがないだろう!! 俺はな! あいつのために! 俺は、自分でこの道を――」
「ジルドラン! 鎮まれ!!」
「――――っ!?」
ガイウスの一喝が、雷のように響いた。
俺ははっとして足を引き、転ぶように椅子へと崩れ落ちる。
「……すまない、アスティ」
顔を伏せ、絞り出すように謝罪を行う。
向こうからは、娘のしゃくり上げる声が小さく響いていた……。




