第49話 忠義は道を裂く
ガイウスのため息。
その意味するところを問おうと口を開いたが、先にガイウスの声が響く。
彼はフローラを真っ直ぐに見据え、低く圧の籠る声を放った。
「フローラよ……お前が目指す道は理解した。実現できるだけの土台も揃っており、そして、お前自身がそれを承知していることもな。だが――」
一拍の沈黙の後、彼の瞳に殺気が帯びる。
「ワシはガルデシア王国の将。デルビヨを奪い取るなどという発言、到底看過できぬ! それはお前もわかっているはず! ……何故、あえてワシの前で口にした!」
重い声が広間を満たす。
ガイウスは王国に忠義を誓う将軍だ。
その前で、王国の領土を奪い、王国に反する組織を立ち上げると口にするなど、本来なら断じて許されぬ。
それでもフローラは、この場で語った。
そこには、必ず理由がある。
皆の視線が彼女に集まる中、フローラは静かに答えを唱えた。
「ガイウス様は……素晴らしき御仁です。見識深く、懐も深く、多くの民に慕われる方。そのような方に……無駄死にをして欲しくないからです」
「――――っ! どういう意味だ、それは!?」
フローラは一度こちらに視線を流し、すぐにガイウスへと戻した。
「ヤーロゥさんはご存じではないでしょうが、ガイウス様は国王陛下の度重なる出征を諫めるために王都へ向かっている最中なのです」
「王都へ……あ、そういうことか。たしかに、無駄に終わるな」
口に出した瞬間、久しく鈍っていた勘が少しずつ戻るのを感じた。
いや、これは俺の領域に近い話だからこそ、すぐに合点がいったのかもしれない。
領域外にいるガイウスとエルダーは眉を顰め、老将が低い声で問う。
「お前たちは何の話をしている? いや、何を知っていると言うのだ?」
さすがは獅子将軍と呼ばれ、生涯現役を掲げ、そして文字通り今もまだ、戦場に立っている老将。
俺たちが何かを知っているからこそ、自分の説得が無駄に終わると指摘されたとすぐさま気づいたようだ。
その理由をフローラが語ろうとしたが、俺は片手で制し、代わりに言葉を紡いだ。
ここは俺の言葉の方が信用されやすいだろうから。
「現在、レオナルド陛下は普通ではないんだ、ガイウス」
「普通ではない、と?」
「ああ。少々……いや、かなり馬鹿げた話に聞こえるだろうが、現在、この世界は異界の侵略者と言う存在に攻め込まれている最中でな」
「異界の侵略者?」
「で、そいつらの姿かたちは俺らに似ているが、中には精神生命体と言って目に見えない幽霊みたいなやつも存在する。その見えない連中は俺たちの心を……人間族、魔族と関係なく操ることができるんだ」
そう返すと、ガイウスの目が大きく見開かれた。
「心を、操る…………まさかっ、それは――!?」
「そのまさかだ。陛下は心を乗っ取られ、操られている」
「な、なんと……」
「そして、それは陛下だけじゃない。王国の重鎮たち、そして、あのクルスもまた異界の侵略者に心を侵されている」
「勇者、クルスまでもが……」
「もし、いつもの陛下であれば、ガイウス……あんたの声は届くだろう。だが、今、玉座に座っているのは、陛下であって陛下ではない。だから、説得は不可能なんだ……」
「ば、ばかな、そんな話があるわけが……」
「俺がこういう冗談を言う人間じゃないことは、ガイウス、あんたが一番知っているはずだ」
「……ぬ、ぐぐぐ……」
老将は深くうつむき、樫の長卓に爪を立てて低い声を押し殺した。
代わりに、彼に付き従う騎士のエルダーが口を開く。
「今の話は事実なのですか、ジルドラン様!? 本当に、王国が……陛下が……」
「ああ、残念ながらな。少し話を加えると、これについてはアルダダスも把握していて、つい数日前にこの件について話し合いを行ってきたばかりだ」
「アルダダス様と!?」
驚愕の声に重なるように、ガイウスが顔を上げる。
「それは本当なのか!?」
「本当だ。これから、最東端とアルダダスの間で話し合いが進むだろう」
「む……なぜそこで最東端が関わる? 」
「ああ、そっちは説明してなかったな。二人は事情をまったく知らないんだった……詳しいことは後で全部話す。今は、侵略者が存在し、人間族と魔族の双方に潜み、争いを煽っている――それだけ知っておいてくれ。フローラが語ろうとしている核心は、そこにあるだろうから」
そう言って、俺は視線をフローラへ渡した。
彼女は小さく頷き、要となる言葉を告げる。
「はい。ですので、ガイウス様……あなたには、わたしたちの陣営についていただきたいのです」
フローラがガイウスへ言い放った「こちらへつけ」という言葉に、俺は思わず額を押さえた。
(いくらなんでも、言い方があまりに直球すぎるだろう )
これはつまり、長きにわたり忠義を尽くしてきた国と王を裏切れという話だ。
それほどまでに重い言葉を何の虚飾もなしに言い放ち、フローラは氷のような冷たい視線と感情の見えぬ能面のような表情をガイウスへ向ける。
それに対して、ガイウスは眉間に深い皺を刻みつつ、彼女を睨みつける。その瞳の奥にはフローラを観察……いや、値踏みするような光が宿っている。
この、あまりに軽々な言葉を前に、騎士のエルダーは堪えきれず怒声を放った。
「フローラさん……あなた、自分が何を言っているのか理解しているんですか!?」
「寝返ろ。そう申し上げたつもりですが?」
「な、な、な、なんてことを!? ゴールドクレスト家はヘーゼルクラウン王家の重鎮! 大陸国家が統一する以前――アイリスフォートの時代からお仕えしている名門中の名門! 大貴族なんですよ! それを、裏切れと!?」
「国王陛下を救うために、こちらへ力を貸してほしいのです」
「な、何を言って……」
「先ほどヤーロゥさんが話した通り、レオナルド陛下は異界の侵略者に精神を侵されています。王の心が縛られている以上、ゴールドクレスト家がどれほど忠義を尽くそうとも、その声は陛下には届きません」
「し、しかし……しかしですね! あなたの物言いは……あまりにも配慮に欠ける!」
ここで、沈黙を守っていたガイウスが低く響く声を上げた。
「エルダー、もう良い」
「よくはありませんよ、ガイウス様! 数百年にわたり、我らは王と共に歩み、国家を築き上げてきたのです! ええ、多くを積み重ねてきました! その伝統を、歴史を、こうもあっさり投げ捨てろなどという発言はさすがに――――!!」
ガイウスは首をゆるりと横に振り、寂しげに語る。
「だが、今の陛下には……ワシの声は届かぬのだろう。異界の侵略者とやらに囚われ、正しき道から遠ざかっておられるのなら……」
「ガイウス様……」
「我らが忠義を尽くす相手は、玉座に座す肉体ではない。王という存在、王国の正道にこそ誓いを立てたのだ。その道を踏みにじる存在が侵略者ならば――そやつこそが真の敵。陛下のために、そして世界のために……討たねばなるまい」
老将は長卓に置いた拳を強く握り締めた。
木が軋む音とともに、奥歯を噛みしめ、深く首を振る。
そして、喉の奥から絞り出すような声を響かせた。
「エルダー、王都及び王国内部に住まう親族に文を届けよ」
「ガイウス様……つまり、それは……」
「……どうやら、王都へ赴き陛下に諫言を申し上げることは叶わぬ。触れだけを回すことになってしまったな」
二人の様子から見て、本来であれば、王都で王に直言する前に、親族を保護する手筈だったようだ。
エルダーは文を携え、ガイウスの私兵たちで彼らを守る――そう決めていたのだろう。
その予定は、今ここで失われる。
つまり、それは……レオナルド王を――王国を裏切るということ!!
エルダーは顔を青ざめさせ、必死の声をあげた。
「何をおっしゃっているんですか、ガイウス様! 王国を裏切る? 名門ゴールドクレスト家が? それは、何百年と積み重ねてきた信頼を、誇りを、すべて失うことになります!! ゴールドクレスト家の名は地に堕ち、汚泥に塗れ、永遠に穢され続けるのですよ――ガイウス様!!」
「……わかっておる」
「いいえ、理解しているとは思えません! これはガイウス様だけの問題では――――」
「ああ、それもわかっておる。親族たちはワシを罵り、後ろ指を指すであろうな。分家は納得せず……主家から離反する者も出る……ゴールドクレスト家は、分裂する」
「ご理解されているならば、なぜ――!」
老将は視線を鋭くし、断固とした声音で言い放った。
「だがな、エルダー。我らゴールドクレスト家の役目は、ひとえに、陛下のため、王国のためにある。たとえ、その名が地に堕ちようとも、汚泥に沈もうとも、果たすべき責務を全うせねばならん」
「そんな、そんな、そんな……ガイウス様……」
エルダーの声は震え、掠れた。
だが、老将の決意は微塵も揺るがない。
己が一族の誇りも、名誉も、全てを犠牲にしても――王を救う。
それが、老将ガイウスの選んだ道であり、覚悟であった。
貴族としての誇りすら犠牲にし、なお王への忠誠を貫こうとするガイウスの覚悟に、俺は胸が締めつけられるような物悲しさを覚えた。
同時に、そこまで彼を追い込んだフローラに、少なからず怒りが湧く。
「フローラ、理屈の上ではお前の考え方は正しい。だがな、言葉は選べ」
そう告げると、フローラは小さく口を開きかけ――すぐに閉じた。
するとここで、意外な人物から擁護の声が上がる。
それは追い詰められたはずのガイウスからだった。




