第47話 黄昏に芽吹く火
フローラの圧を孕んだ問いに、戸惑いとたじろぎを交えながら言葉を返そうとするが……。
「誰もそんなことは――――」
そう、言いかけた俺の言葉を、フローラがさらりと上書きした。
「それに、あーちゃんの背負うものを考えると最東端以外にも……味方は絶対に必要なんです」
「味方だと?」
問い返すと、彼女は静かに頷く。
「はい。外の世界にあって、安全地帯と味方の確保。その筆頭が、このデルビヨの町となります」
その瞬間だった。
まるで空気に目に見えないヒビが走るような音が、耳の奥で弾けた気がした。
フローラの瞳。
あの、どこまでも冷たい蒼の奥に――今、何か灼けるようなものが灯っている。
鋼をも溶かす炎のように、激しく猛る熱。
あれは、俺が最も苦手とする類の才――政治……。
あの瞳に宿るは、為政者としての才能。
理想を掲げ、理念を語るまでは誰にでもできる。
だが、現実に影響を及ぼすためには、領土や民心、力の構造を知り、それを動かす術を要する。
あの瞳は、それを本能で掴んでいる者の目だ。
彼女の言葉に、隣に座るガイウスがため息交じりの声を返した。
「やはり、そう来たか……」
「ガイウス? あんたにはフローラの言っていることが理解できるのか?」
「うん? 鈍いな。お前とて、そろそろ気づきそうなものだが?」
「気づくって……なにに――――」
言葉途中に、背筋を虫が這うような嫌悪と寒気が全身を撫でた。
政治というものは苦手だったが、それでも勇者と呼ばれ、各地を駆け巡り、貴族と渡り合い、戦いのなかで多くを見てきた――その中で培っていたものが、すべて消え失せていたことに、いまここで、気づかされた。
この致命的な衰え……体力や剣術とは違う、変質した世界を旅するにあたって、最も必要な才が……錆びついている。
俺は独り言ちのように呟き、己を省みて、眉をひそめる。
「クルス、デルビヨ、住民、盗賊、騒動……少し頭を回せば、今回のことだって起きなかった……俺はここまで……」
「どうした、ジルドラン?」
ガイウスが眉を折り問いかけてくる。
しかし、俺は問いに答えず、逆に問い返した。
「……いや、あんたはフローラの何に気づいているんだ、ガイウス?」
「とても単純かつ冷酷な話だ」
そう言いながら、彼は目を細め、フローラを敵将でも見るかのような目で睨み据えた。
「フローラよ。このデルビヨを……奪うつもりであろう」
「――――なっ!?」
俺は即座に顔を向けた。
まさか、という思いが先に立つ。
だが、フローラはその言葉を受けても、顔色一つ変えない。
それを見て、広間の空気が凍りついた。
アスティが、アデルが、エルダーが……彼女を見つめる視線に、驚愕と困惑を滲ませる。
ガイウスは卓にいる面々を一瞥し、やがてアスティとアデルに視線を定めた。
「……妙に世相に疎いと思っていたが、お前たちは最東端……噂では人魔が共に暮らす場所があると聞いていたが、それは本当であり、世界を知らず、そこで過ごしてきたのだな」
「はい、その通りです」
アスティが素直に頷き、すぐ隣でアデルも口を開く。
「……うん」
ただ、その返事はどこか鈍く、心が抜けているように感じた。
それは、何に対しても興味を持たないような態度……どうしたんだろうか?
アスティもそれに気づいて、そっと声をかけるのが、アデルは首を横に振り、それを否定する。
「まだ拗ねてるの?」
「それはもう割り切ったよ」
「じゃあ、どうし――――」
「話の腰を折るだろ。ガイウスのじっちゃん、続きがあるんだろ?」
「ああ、ジルドランの反応がいまいち鈍い理由に、ようやく合点がいったところだ」
合点だの納得だのと言われても、当の本人である俺には、さっぱり見当がつかない。
思わず眉間に皺を寄せる。
「何の話だ?」
「お前もまた最東端にずっと住み続け、この十五年、外と接触することはなかったのだろう。そのため、世相に疎く、フローラの目指すものとその可能性に気づいておらんという話だ」
「この話には、世相とやらが関係するのか?」
「ああ、大いにな……」
ガイウスは一度、ふうと静かな息を吐いて天井を仰いだ。
そして視線を戻し、フローラをまっすぐ見据えた。
だが、それはさきほどのような敵意を含んだ視線ではない。
どこか、畏れ……あるいは、警戒心すら含んだような、重たい眼差し。
「フローラ、お前が至った見解の出発点は、ジオラスと盗賊の会話だな」
「さすがはガイウス様。その通りです」
「そこに、エミリア嬢の姿。町の現状――いや、世界の現状。さらに加えるのは――――」
「勇者ジルドラン。そして、魔王の娘アスティニアことプリム姫……」
「ああ、見事なまでにそろっておる。もはや天が用意した盤とすら思えるほどだ。地の利に、人の利、天の利の全てがそろっておる。常人では手に入れることのできぬ機会。なんとも恐ろしい……だが、まだ足らぬ」
「わたしでは不足でしょうか?」
「いや、お前自身の才もまた恐ろしい。まさに今日という日のために培ってきたのかと思うほどにな。ワシが足らぬと言ったのはお前の才でない。単純に、力だ」
フローラの答えに、ガイウスが即座に応じる――そうして二人だけで理解し合い、ただ言葉を進めていく。
そこに、少しばかり気圧された様子のエルダーが割って入った。
「あ、あの、ガイウス様? 先ほどから、いったい何の話を……?」
「…………」
しかし、ガイウスはその問いに言葉を返すことなく、黙ってフローラを見つめていた。
その視線には無言の問いが混じり、それを受けてフローラはこう答えた。
「最東端には魔王ガルボグ様によって、相応の蓄えが用意されております。その蓄えは、人間族・魔族の両陣営に匹敵するほどのものです」
「な、なんだと……?」
ガイウスは両手で長卓をバンっと叩きつけるように立ち上がった。
そして、俺へ顔を向ける。
「今の話は本当か、ジルドラン!?」
「……まぁ、な。だが、俺は詳しく話せる立場じゃないから、あんまり突っ込んでくれるなよ」
「あるのはたしかなのだな? そうか、それほどのものが……」
彼は膝から力が抜けたように、ドスンという派手な音を立てて席へ腰を落とした。
そして、エルダーが先ほど尋ねてきた疑問へ答えを渡す。
「エルダー、今までの話は……フローラの理想に必要なものがすべてそろっているという話だ」
「フローラさんの理想? それは人間族と魔族の共存、という話ですか?」
ここで俺が語気を荒げて、ガイウスに言葉を叩きつける。
「おいおい、ガイウスまで何を言っているんだ? それは到底不可能なことは、あんたが一番わかっているだろう!」
「ジルドラン! 不可能ではなくなったのだ!! たった今、それが証明された!!」
「な、なにを?」
俺の言葉を遮るように、ガイウスの声が鋭く響く。
「十五年前、お前が現役であった時代であれば、ワシとて鼻で笑った。だが、あの日より十五年。世界は変わった。それにより、フローラの理想が可能となったのだ。このデルビヨを手に入れることで!!」
そう言い終えると、ガイウスはのそりと立ち上がり、卓の向こうにいるフローラへ太き腕を持つ手を伸ばす。
「戦乱に疲れ果てた民は、希望に飢えておる。その渇望の中心に、勇者と魔王の娘という象徴を据える。理想の言葉を掲げることで、人心を掴むのだ」
開かれていた手のひらが、堅き拳へと変わる。
「このデルビヨは領主を失い、娘エミリア嬢は、お前の罵倒によって後継に相応しくないと印象づけられた。さらに――――」
フローラが続きの言葉を奪う。
「ジオラスさんと盗賊の会話。あの夜、盗賊の男はこう話していた」
《デルビヨの町が手に入れば、王国だってそう簡単に手出しできねぇ。なにせ、交易の要で、街道を封鎖すりゃ十万の軍だって動きが鈍る!》
「……つまり、この町を抑えてしまえば、王国とて、そう簡単には手出しをできない」
――それを聞いて、俺の中で錆びついていた思考が、ようやく軋みながらも動き出した。
そもそも、人間族も魔族も内部の守りはあまり固い方ではない。
――それは何故か?
それは両種族ともに強固な一枚岩であるため、国家を脅かすほどの内乱を想定していないからだ。
あの魔族側のカルミアによる父殺害という簒奪でさえ、混乱は招きはしたものの、人間族と戦うという統一思想の下でまとまりを見せている。
話を王国へ戻すが……大規模な内乱を想定していないため、このデルビヨのような内地で不測の事態が起きても、ほとんどの兵を前線に配置しているため即応できない。
さらに、盗賊の男とやらの言葉。
――街道を封鎖すりゃ十万の軍だって動きが鈍る! ――
つまりは、防備を固めてしまえば、いよいよを持って対処ができなくなるということ。
しかし、ガイウスは力が足らぬと言った。
ああ、そうだ。いくら要となる拠点を抑え、街道を封鎖しても、いずれ国家という巨大な力によって圧し潰される。
――そう、ガイウスが「足らぬ」と言ったのは、そういう意味だ。
だが…………フローラは盗賊たちと違い、最東端という切り札を手にしている。
最東端――つまり、魔王ガルボグが育み残した蓄えを持った、独立勢力が存在する。
そして、その最東端もまた、今後、異界との侵略者に備えた橋頭保を築きたいと考えるはず。
最東端は……フローラの案に乗る。




