第42話 理想を織る者
フローラは、さながら小うるさい子虫を払うかのように、わずかに手を振り、唇の端を冷たく弧に歪めた。
深く澄んだ蒼の瞳が、広場を取り囲む民衆一人ひとりを射抜く。
そのまなざしには、理想が現実へと届く階梯を登る、決意と確信が宿っていた。
「わたしたち三人は、人間族と魔族が共に生きる地――大陸の最東端にある村にて、育まれた」
この言葉に、ささやかな声が波紋のように広がり、ざわめきを生む。
「聞いたことがある……最東端には、そういう村があるって」
「ああ、僕も噂で。だけど、まさか、本当だったの?」
「本当だったのかもしれない。そうでなければ……」
半魔・人間族・魔族――その並び立つ異端の絆が、嘘ではないと証明するには、それしかない。
しかし、その直後、どこかから絞り出された呟きが、空気を裂いた。
「だけど……」
とある男が零れ落とした言葉。それは否定の走り。
それをよく理解しているフローラは、言葉の先に触れる。
「そのような村があったとしても、世界に適合するものではない。ましてや、子ども三人が、千年の価値観を覆すなど、愚にもつかぬ戯言。フフ、そう思っているんですね?」
彼女はいつもの穏やかな口調に戻り、言葉を洩らした男へ微笑んだ。それはとてもとても冷ややかな笑みで……。
冷笑に言葉を凍りつかされた男は唇を震わせながら、ジワリと閉じていった。
再び、フローラは言葉を尊大な調べへと戻し、理想の階段を歩んで行く。
「ええ、子どもが夢を見ているだけ。わたしたち三人の姿を見てもそう感じ取ることしかできないだろう。だが、その理想の村を生み出した者が、歴代魔王の中でも最強と謳われし存在――――魔王ガルボグであったならば!!」
その名が発された瞬間、空気が変わった。
魔王ガルボグ――忌むべき魔族の王でありながら、人間族すら畏敬の念を抱いた、王の中の王。
見目は美しく、政治・軍事に通じ、魔法と剣の実力もまた他の追随を許さず。
幾百を束ねた魔族の将に匹敵すると評された勇者ジルドランでさえ、引き分けることがやっとだった無比なる存在。
ここでようやく、ジルドランことヤーロゥはフローラの意図が見え始めていた。
その先に続く、あり得ない結末が……。
しかし、彼はフローラを信頼していた。そこまで踏み込むはずがないと思い、小さく首を横に振った。
フローラは彼の反応を見逃さなかった。
時間がない――――自分の意図を見抜かれれば、ヤーロゥは是が非でも止めに入る。
だからここからは、一気に終着まで駆け抜ける!!
「魔王ガルボグは、血と憎しみに濡れた歴史の果てに、一つの理想を見出した。人間族と魔族が互いに歩み寄り、憎しみの連鎖を断ち切る世界。彼はそれを信じ、東方の果てに理想郷を築いたのだ!」
魔王ガルボグがそんな理想を? ――そう、皆が疑問を浮かべるが、それに応える時間は残されていない。
ヤーロゥが動くより先に、彼女が目指す場所へ――。
「村はガルボグの理想を現実のものとした。確信を得た彼は理想を世界へ広げようとした。その矢先に、息子カルミアに討たれてしまう。カルミアは父の理想を否定した。そのために、父王を討ったのだ!!」
これは今ここで編まれた、フローラの嘘物語。
カルミアが父を討った理由は定かではない。世には『偉大すぎる父を前に玉座が回らぬと焦り、力で奪った』という説が広まっている。
フローラはその虚に、真実と理想を溶かし込み、語り続ける。
「もし、ガルボグが健在であれば、このような戦乱の時代はなかった! 勇者ジルドランの時代もまた、人間族と魔族は争っていたが、これほどまでに過酷で熾烈な世界ではなかった。それは魔王ガルボグが先を見据え、憎しみを募らせぬようにしていたからだ!!」
住民たちは疑いながらも、どこか納得の思いが広がる。
フローラの言葉通り、魔王ガルボグは歴代の中でも最も強き王と呼ばれながらもも、今のような苛烈な戦を仕掛けてくるようなことはなかった。
ましてや、民の虐殺など犯さない。常に戦争規約であるジエラン協定を順守し、違反者は魔族であろうと容赦なく断罪していた。
現魔王カルミアのように規約を破り、禁止兵器を使用するなどということは絶対になかった。
何故か――――それは魔王ガルボグが理知的な存在であったからではなかろうか?
しかし、その存在はもはやいない。
結局は、ガルボグもまた現実に屈した。
これが結末なのか――?
戸惑う者、沈黙を纏う者、繰り言を漏らす者。
現実という重さと厳しさを前に、誰もが諦めを抱く。
その現実をぶち壊すように、フローラは空を仰ぎ、手を振り上げ、悲憤と情熱を込めて叫んだ。
「世界は理想を失い、現実がわたしたちを嘲る。このまま、殺し合いが続くのだろうか!? 不安におびえ、頭をもたげ、青き空を見上げることなく、冷たい地面を見続ける毎日となるのだろうか!? いや、そうはならない――――なぜならば!!」
振り上げた手をアスティへと向けて、こう言い放つ!!
「ここに魔王ガルボグの理想を受け継ぎし忘れ形見――魔王の娘、アスティニア姫! すなわち、プリム様がご健在である!!」




