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元勇者、魔王の娘を育てる~父と娘が紡ぐ、ふたつの物語~  作者: 雪野湯
第二章 子どもたちの目指す道

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第40話 世界を砕く覚悟

 囁きが騒めきを呼び、騒めきは喧騒へと変じ、やがてその喧騒は罵声と化して荒れ狂う。

 その先陣に立ったのは――この町、デルビヨを預かる領主の令嬢、エミリアだった。

 彼女は町を救ったはずの者たちを、忌むべき存在として指差し、鋼の意志とともに命じる。


「今すぐこの者たちを捕らえなさい!!」


 その叫びに、兵士たちはたじろぎを見せた。

 彼らは知っている――この少女たちがどれほどの勇気をもって戦い、どれほど町を守ろうと尽くしたかを。

 たとえ、魔族であろうとも、声にも態度にも出せないが、心のどこかに少女たちを肯定し認めたいと、胸の奥底に疼くものがあった。



 だが――戦いの場に立つことのない多くの民は、違った。

 彼らは、知らない。

 この町でなされた献身も、血を流して歩んだ苦難も、戦いの中で見せたあの背中も。

 知らぬ者にとっては、真実など意味を持たない。

 ゆえに声が上がる。


「そうだ、早く捕らえろ!」

「魔族がこの町に潜んでたんだぞ!」

「盗賊の仲間に決まってる! どうりでガキが盗賊の(かしら)を倒せるわけだぜ!」

「ああ、全部仕組まれてたんだよ! そうして町を乗っ取るつもりだったんだ!」


 もはや、支離滅裂、論理などなく、言葉に筋道はない。

 理由はわからないが、相手は魔族。だから、人間族に仇を成す。


――魔族はナニカを企み、ナニカをするつもりだ! 


 そのナニカが何かと問う者はおらず、考える者もいない。

 ただ、魔族であるという事実のみが、すべての正当性を飲み込み、群衆を暴走させる。



 ガイウスが鎮めんと口を開こうとする――だが、それより先に声を放ったのは、やはりエミリアだった。


「ガイウス様! 何をなさっているのですか!? すぐにでもこの魔族を捕らえるべきでしょう!?」

「落ち着け、エミリア嬢! まず彼女たちの声を――――」

「そのような状況ではないでしょう!! 魔族がわたくしの町にいるのですよ!! これが中央に知れたらどうなるものか!!」 


 その声には、冷静さの影などなかった。

 焦燥と怨嗟と恐怖が、剥き出しの形で(ほとばし)る。


「ましてや、魔族の力を得て盗賊を退(しりぞ)けたなどという――――そう、そういうことだったのですね!!」


 エミリアは形のなかったナニカに、自らにとって都合の良い形を与えることへと至った。

 空白の因果に『形』を与えることで、己の正義を確信したのだ。


「お前たちはこの町を滅ぼすために現れたのですね!! そうでしょう!? この件が明るみに出れば、町は人間族の敵と見なされる!! 中央からの咎めは免れません! だから、ここで止めるのです!! 町を――お父様が愛したデルビヨを守るために!! ガイウス様!!」



 彼女の声が導火となり、群衆は一斉に点火される。

「エミリア様の言うとおりだ……もし、こんなことが王都に知られたら、町は人間族の敵と見なされるぞ!!」

「そうだ……王都に知られたら町ごと焼かれる!!」  

「そうなったら税金の話どころじゃねぇ!! 粛清だ、軍が押し寄せるぞ!!」

「どうすればいい!! どうすりゃ助かる!?」



 その混乱の最中、誰かが――誰とも知れぬ、名もなき一人が、ぽつりと呟いた。


「……吊るせばいい」

「え?」

「奴らを吊るせば、すべて解決だ。奸計に嵌められかけたが、それに気づいて処断した。そう主張すれば……お咎めはない」

「なるほど、吊るす……」

「ああ、そうすりゃ、王国だって納得する……」

「そうだ、吊るせば……」


 声は一つの合言葉となり、地を打ち鳴らす。  

「吊るせ……」

「吊るせ」

「吊るせ、吊るせ」


「「「吊るせ! 吊るせ! 吊るせ! 吊るせ! 吊るせ!」」」


 幾百の声が重なり合い、一つの怒涛となって町の広場を覆い尽くす。

 それは理性の消失。正義の名を借りた狂乱。

 多くの者たちが大義を抱え、一つの方向へと歩み――――いや、走り始めてしまっては、もはや、誰にも止めることなんてできない。

 


 ジオラスは声を荒げ、なおもアスティに向かって叫び続ける。

 それはここに至っても、自分との関係を下卑た勘繰りが挟み込まぬように、アスティを気遣い、誰にも聞こえぬ強き声で……。

「逃げろ! 早く!! ぼさっとしてんじゃねぇ!!」

 その叫びは、怒声というにはあまりに必死で、警告というにはあまりに痛切だった。  

 


 アデルは怒声と罵声の奔流に逆らい、声を枯らして吠える。

「ふざけんな! 俺たちは――――」

 しかしその言葉も、たった一人の叫びに過ぎない。

 

「「「吊るせ!! 吊るせ!! 吊るせ!! 吊るせ!! 吊るせ!!」」」


 怒涛のごとく押し寄せる百声千声(ひゃくせいせんせい)が、アデルの意志をいともたやすく呑み込み、踏みにじってゆく。  

「くそったれ! 聞けよ! 俺の話を!!」

 その声は、群衆の渦の中にかき消えた。  



 ガイウスは大槍を握りしめ、その長大なる武器の柄が歪むほどに力を込める。

 その巨躯に言霊を溜め、場を貫くべき唯一無二の一声を放たんとしていた。

(この事態……半端な言葉では届かぬ! ならば――一閃にて、民の混濁を断ち切るしかない)

 

 一方、ヤーロゥは静かに退路を測っていた。

(ったく、こいつら! いっそ、俺の正体を明かして治めるか? いや、王都に俺の所在を知られるのはまずい。調査されれば、アスティの出自を知られる可能性が出てくる。そうすれば、余計に追い詰めることになる。となると……)


 狂乱に踊る民衆へ目をやる。町を救ってくれた少女へ罵倒することに酔いしれ、その瞳に正気など微塵もない。


(チッ、全員の頭を叩き割ってやりたいが、そういうわけにもいかない。この様子じゃ、説得のみでこの流れを治めるのは無理だな……今は、アスティたちを連れて町を離れるのが最善か。さらなる誤解を呼ぶとしても、それは致し方ない)



 アスティは、群衆の言葉に心を幾度も打たれながら、右手を胸元に押し当てる。唇は噛みしめられ、瞳には涙が滲む。


 そのとき、一つの視線を感じて、そこへ小さく、瞳を揺らした。


 そこに居たのは西門の兵士長……年上でありながら、アスティを敬愛し、慕ってくれた青年。

 彼と瞳が交錯する。

 すると――――


「あ、あ、あ、あ……その……」


 兵士長は苦悶と恐怖がないまぜになった顔で、たじろぎ、そして……沈黙のまま目を逸らした。


 アスティはここで、涙を落とす。

 当然、この涙には民衆に裏切られた悲しさと痛みが混じっていただろう。

 だが、それ以上に――



「ご、ごめんなさい、フーちゃん、アデル……私のせいで……」

 

 それは、自らの選択が、愛する幼馴染を危地へ巻き込んでしまったことへの悔恨。

 理想を夢見、真実を語ることが正義だと信じたがゆえに、周囲に負わせた苦しみ。

 その痛みが、涙へと変わり、静かに頬を伝った。


 大地は揺らぐように震え、人々は叫びを重ねてなお高めてゆく。

 狂騒の波は頂点に近づき、何者の手にも止められぬ臨界点へと向かっていた。



 その渦の中で、エルダーはただ一人、ある一点を凝視していた。

 それは――フローラ。


 綿あめのようにふわりと揺れるオレンジの長髪。

 複雑なレースとフリルを何層にも纏い、貴族の令嬢すら霞ませる気品を放つ蒼黒のドレス。

 その中に潜む曲線美と艶やかな気配は、まだ少女と呼ぶには危うい成熟を思わせ――蒼空の宝石のような瞳を……どす黒い殺意の炎に染め上げていた。



 彼女はそのすべてを纏ったまま、殺意を孕んだ静寂の中に立ちつくしている。  


 怒号、罵声、狂乱の音波が溢れかえる中で、フローラに囚われたエルダーには何ひとつ耳に入っていなかった。


(フ、フローラさん、何をするつもりで……?)


 今、この極限の状況下で、フローラの秘めたる才が開花しようとしていた……。




――フローラの瞳が、静かに揺れ始めた。

 数多の罵倒は鼓膜を、心を素通りして、彼女の何にも響かない。

 それらはもはや音として認識されず、意味を失った空虚な音塊でしかない。  

 

 揺れた視線は、やがてアスティの姿を捉え、ぴたりと止まる。

 金の瞳から、静かに零れ落ちる清らかな涙――それは、どこまでも澄み切り、罪なき者の純なる哀しみを象徴していた。

 

(あーちゃんが、泣いてる……どうして?)


 再び、瞳は揺れ、人々の姿が映り込む。

 それはアスティを指差し、吊るせと叫び、狂乱に酔い痴れる者たち。

(どうして、そんなことを言うの? あーちゃんは……みんなのために、あんなに頑張ったんだよ)

 

 揺れた瞳はアデルを映す。

 彼は怒りと悲しみの狭間で煮えたぎるような憤激を抱き、今まさに剣の(つか)に手をかけようとしていた。 

 その瞬間、フローラの瞳が鋭く閃き、怒気を帯びた光を宿す。


(アデル!!)


 その視線に込められた意思に、アデルははっとし、奥歯を噛みしめて拳を下ろした。



……瞳は揺れる。揺れ続ける。


 その揺らぎのなかに映るのは、愚かしき群衆――くだらぬ戯言を振りまき、自らを正義と信じ、他者を裁こうとする、醜く未熟な人間たち。



 なぜ、これほどまでに愚かしいのか?



(よぎ)った疑問――――疑問は問いを生み、問いは答えを導く。そして、その答えに宿る本質を見抜いた者こそが、真に知性を得る』



――この言葉。アルダダスもまた近しい言葉をジルドランに渡していたが、元々は知恵者たちに伝わる基本理念。フローラは父ヒースから学者の基本として、この言葉を学んでいた。これは千年以上前に『叡智』をほしいままにした、三賢者なる存在の偉大な教え。



 憎しみと怒りは、アスティの涙に呼応して沸き立ち、心を焼かんばかりに燃え上がった。

 だけど、疑問。そして、問い。

 そこから先にある答えによって、フローラは沸騰した感情を凍りつかせることができた。


(悪いのはみんなじゃない。この世界。この世界がそういった価値観で構成されているから、みんなはそれに囚われているだけ。歪み、(かたよ)り、過ちを正義とする価値観……その構造に囚われた人々が、結果としてこうなってしまう。では、どうする?)


 瞳の揺れは収まらず、揺らりと線を描き、民衆をなぞった。

 そこで、彼女は見つけた。

 いや、見つけてしまったというべきか?


 その中に紛れていた、ヤーロゥの姿を……。


(ヤーロゥさん……あっ!?)


 その姿を見た瞬間、フローラの思考は更なる段階へと昇華した。

 この騒乱の、行き着く果て。

 これから始まる未来――――フローラが歩むべき道!!



 彼女の中で遠謀が雷のように閃き、視線に意志を籠めてヤーロゥを見据える。

 気配を察したヤーロゥが動こうとしたが――


(フローラか。ああ、わかっている、すぐに対処――え?)

(動かないで)

 彼女の視線は言葉を帯び、殺気と共に巨大な意志を乗せて、ヤーロゥの足を縫い留めた。  


(――な!?)


 数え切れぬ死線を越えてきたヤーロゥでさえ、己の背筋を駆け抜けた電流のような圧に言葉を呑む。


 

 彼を縫い留めた彼女は、次にガイウスを見やる。


 ガイウスもまたこの事態を治めるために声を発しようとしていたが――

(ガイウス様、駄目です)

 その視線にもまた、静かなる殺気と、尋常ならざる意志が宿っていた。 


 ガイウスは目を見開き、拳を緩める。 

(な、なんと?)




 フローラは笑みを零す。

 それは慈しみの笑みでもなければ、無垢なる少女の微笑(びしょう)でもない。

 激情と冷徹が混在し、理想と憎悪が交錯した、凍てつくような決意の笑み。


 罵倒を重ね続けるエミリアの姿・デルビヨの町。

 アスティ・ヤーロゥ。

 戦争・盗賊・あの夜での盗賊とジオラスの会話――そして、失われた希望。

 


 それらが一つに集約されることで、フローラはある可能性を見出した。



 彼女は言った――――それは大広間にて、作戦を立案していた時だ。

 アスティが自身を魔族だと隠していることを、気に病む姿を目にした時に彼女はこう言った。



――間違っているのは外の世界――



(ええ、間違っている。こんな世界…………疑問と問いに対する答え、そこに内包された本質。過ちで構成された世界そのものが、過ちを産み出している。そう、これこそが世界の本質……)

 

 その瞳に、ついに揺れが消える。

 凍てつく静寂の奥に燃え立つのは、理知と破壊、理想と破滅を背負う者の覚悟。  


(だったらこんな世界……わたしが――――ぶっ壊してあげる!!)

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