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元勇者、魔王の娘を育てる~父と娘が紡ぐ、ふたつの物語~  作者: 雪野湯
第二章 子どもたちの目指す道

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第37話 嘘の宿り木

 十八歳の青年・騎士エルダー。

 彼の言葉には、悪意など微塵もなかった。

 むしろ、それは誇り高き正義の名のもとに語られたもの。清廉にして真摯なる条理の表明であった。


 大勢を殺め、略奪を重ね、悪逆の限りを尽くした盗賊。

 この男は、領主の命を奪い去ったばかりか、その遺された娘の心までも、鋸の如き言葉でぐちゃぐちゃに斬り潰した。


 だからこそエルダーは、彼の発する声を、ただの癇癪として軽んじ、唾棄して見せた。



 この一言……もし、エルダーの言葉に支配階級たる悪意が溶け込んでいたならば、ジオラスも受け流していたであろう。


 しかし、彼にはそれがなかった。

 

 正論を正論として、ジオラスの顔に唾を吐き捨てた。



 悪意のなく、無知であるがゆえに、どこまでも誇り高き貴族としての言葉。労苦の痛みも苦しみ知らぬ言葉はジオラスの心を抉る――――――――それは、全てを諦め、己の破滅をも受け容れんとしていたジオラスの心奥(しんおう)に眠っていた憎悪の火を再び灯し、炎として蘇らせてしまった。



「はっ、癇癪ね……てめぇら貴族はいつだってそうだ」

「何を言っている?」

「力でオレたちを抑えつけ、束縛し、一方的に与えられた道を歩かせながら、自業自得だとのたまいやがる」

「貴族批判をしたければすればいいが、それとお前の所業は全くのべつもの――っ!?」



「別物じゃねぇんだよ!! このクソガキがぁぁあ!!」



 ジオラスは憤怒のままエルダーへ詰め寄らんとする。

 (いまし)めを操る工作員が懸命に縄を引くも、その力を持ってしても、彼の歩みを止めるには足らない。

 ジオラスはなおも前進し、もう一人が駆け寄って必死に縄を引き留めることで、ようやくその動きを制した。


 それでもなお、ジオラスは顔を、胸を、エルダーへ乗り出し、口角泡を飛ばす。



「全部が繋がってんだよ!! てめぇらはオレたちから奪っていきやがる! 奪うばかりだ!! 手を土に浸して大切に育てた小麦も、指先を痛めて紡いだ小物も、わずかな利を積み重ねた蓄えも、何もかもだ!!」

「――――ッ!」



 エルダーは怒気に染め抜かれた表情の前に声を詰まらせ、唇を噤んだ。

 もはや言葉はジオラスひとりのものとなり、彼の胸中からは、心の堰を破って激情が溢れ出す。


「奪い、奪い、奪いつくされて、何一つ残らねぇ! 奪うものがなけりゃ、今度は罪人に仕立て上げ、大切な家族を奴隷として売り払おうとする! それだけじゃねぇ。兵が足らねぇからと言って、オレの兄貴と親父を奪っていきやがった!」

「へ、兵役は、領民の義務だろ。だから――」


「くだらねぇ魔族との戦争のためにがか!?」


「そ、それは……」



 この一言で、エルダーは完全に言葉を失った。

 何故ならば、彼自身がいま、魔族との(いくさ)を推し進める王を諫めるべく、ガイウスと共に王都へと向かっている最中であったからだ。

 まさしく、ジオラスの言葉どおり、無意味な(いくさ)と、それに伴う過酷な負担を終わらせるために。



 ジオラスはその場に膝をつき、縛られた手で地を掴んだ。

 美しい白の石畳にこびりついていた土を、指先で、爪の先で、深く握り締めながら、静かに語り出す。  


「働き手だった兄貴と親父がいなくなって、家は一気に貧しくなった。与えられた扶持(ふち)は雀の涙。オレは剣に覚えがあったが、まだ十四で戦場に立てる年じゃねぇ。それにお袋もいたから、オレまで家を空けるわけにはいかなかった」


 彼は拳のなかで、土を固く、固く、押し固める。


「だからオレは必死に働いた。なんでもした。どんな理不尽にも歯を食いしばって耐えた 。オレには、目標としている人がいたから。その人のようにいつか『本物』になりたいと願って……だがな……それさえも奪われたんだよ。お前ら貴族たちに……」



 その瞳には、底知れぬ深淵が宿る。

 それを直視することができず、エルダーは、そっと目を背けた。


「……なぁ、オレは間違っていたのか? オレのどこが間違っていたんだ? 教えてくれよ…………クク、ククク、あはははははッ!」

 

 突如、狂気を帯びたような笑声を漏らしつつ、ジオラスは拳で地を打ち据え、再び顔を上げた。

 そして、その目に烈火の激情を宿し、エルダー――いや、この国のすべての貴族に向けて、咆哮を放つ。


「親父と兄貴は戦場で死んじまった! それを聞いたお袋は心を病んで命を絶った! 残されたオレは、税が足りねぇってだけで、奴隷として売られそうになった! だからオレのことを捕らえに来た兵士と貴族をぶっ殺した――ひひひ、クソ貴族様は必死に命乞いをしてやがったぜ。散々威張り散らかしたってのによ……そこでオレはようやく理解したんだ。悟ったんだ」



――力がないから奪われる。だから、力が必要だ。その力で、貴族のように奪う側に回ってやる――


「ってな……」



 ジオラスはふらつく足取りで立ち上がると、指先に食い込んだ土と、爪から滲み出す血潮とを黙然と見下ろした。

 爪の下にこびりついた泥は、まるでこの世界の穢れを象徴するかのように、彼の手から離れようとしない。


「この世界は糞ばかりだ……」

 低くくぐもった声が、大地に染み入るように吐き出される。


「貴族様はこう仰せになる。宿敵の魔族を滅ぼし、人間族に平和と安寧をって。その終わりはいつだ? 十年後か? 二十年か? オレたちはいつまで耐えればいいんだ? いや、終わりなんてねぇんだ。(いくさ)が終わっても、別の理由で搾取され続ける。それが庶民ってもんだ」



 彼は深く息を吸い、瞳に滲んだものを必死に(こら)えながら、蒼穹を仰いだ。

 その眼差しは、天へと、(おの)が慟哭を託さんとするかのような姿。


「――――ああああああああ! 全部嘘っぱちなんだよ! 平和? 安寧? 笑わせるなよ――そりゃ、てめえら貴族様だけのもんだろ! そうだ、この世界は嘘塗れだ!! 誰もが怯えながら偽りにしがみついて生きてやがる!!」



 彼の激情は鎮まる気配はない。

 ゆえに、ガイウスが言葉に寄り添いを籠めて、諫めようとするが……。


「……ジオラス、もうよかろう」


「よかねぇよ! 全然だ! 全くだ! こんな何も知らねぇ貴族のクソガキに小利口な説教されてよ。これがオレの最期かよ、ふざけやがって! あはは、似合いっちゃあ、似合いか!」


「ジオラス……」

 そう言葉を零し、ガイウスは無力に目を伏せる。


「なぁ、ガイウス。あんたは立派な人物だ。それはオレの腐った鼓膜にまで響いてるさ。あんたは大貴族なのに、常に前線で踏ん張ってた。だから、理不尽な死や飢えも知ってるだろうよ。だけどな、あんたは経験したことがあるか? 自分の家族が飢えに喘ぎ、干からびた唇で水を乞う姿を!?」


「……ないな」

「そうだろうな! だがオレたち庶民はそれが当たり前のように付きまとう! そいつはすべての庶民にだ!!」



 ジオラスは周囲の群衆をぐるりと一瞥し、唇を強く噛みしめてから叫んだ。

「ここは裕福な町だ。だが、その豊かさが、どれだけの搾取によって成り立っているか……お前らだって、知ってるだろ!? それが永遠には続かねぇことにも、な!!」


 彼の声は怒りに震え、語るごとに熱を帯びていく。

「この町の豊かさも穏やかさも賑やかさも、しょせんは嘘。嘘で嘘を塗り固めてできた薄っぺらな世界なんだよ!!」



 ジオラスの言葉は止まらない。同じ庶民である彼らに己の叫びをぶつけ続ける。

「弱い者から削られ、切り捨てられ、残るは貴族様だけ。 オレたちに明日なんてない。常に怯えて、いつ見捨てられる側になるのかと怯える毎日。それのどこに平和があんのかよ! どこに安寧があんのかよ!!」



 ここでジオラスは、アスティ・フローラ・アデルへ崩れた笑いと顔を見せる。涙と鼻水が混じり合い、そこにはもう、凶賊ジオラスの面影はない。



 彼は、静かに三人の子らへと視線を向け、ゆるやかに語りかけ始めた。

「お前たちは……まだ真っ直ぐで、世界の穢れなんて知らねぇんだろうな。だが、すぐに気づくさ。この世界は虚飾と汚物に塗れてるってな」


 この言葉にアデルとフローラは戸惑いを覚え、アスティは目を伏せる。

 彼の声は低く、どこか諦念に染まる声を生み続ける。

「いいか、世の大半は、自分のことで手一杯なんだ 。誰かを助ける余裕なんざ、ありゃしねぇ。ましてや命を賭してまでなんて……そりゃあ、馬鹿のすることだ。だってのに、どんだけお人よしなんだよ、フフ」


 小さな笑いを落とし、なおも語りを続ける。


「いつか、お前たちは裏切られる。救おうと伸ばした手を切りつけられる。理不尽だが、みんな生きるのに必死なんだ。お前たちよりも大切なモノを守るために、裏切るんだ。これはある意味仕方ねぇことだ。だけどな、若いお前らはきっと傷つくだろうな。その傷は、心に深く刻まれ、癒えぬまま疼き続ける」



 彼は結われた両手で自身の心臓をポンっと軽く叩き、肩を竦めてみせた。

「で、出来上がったのがオレってわけだ。み~んな、自分に嘘をついて、誤魔化して、現実から目を背けて、生きていく。掲げた夢も希望も、すべては幻。大きな力に踏みにじられる運命さ。だから、あんまお人よしはやめとけよ」



 それは実に奇妙な忠告だった。

 敵であったアスティたちへの気遣いとも取れたが、同時に――裏切りという現実を否定せず、むしろ『恨むな』と諭すようでもあった。



 裏切られることが必然の世界。嘘をつかれること、嘘をつくことが当然の世界。嘘は呼吸のように吐かれ、信じるという行為すら愚かとされる。

 ジオラスの言葉は、そうした現実を理解しろという、あまりに悲しい教育。


 理想と夢の衣を纏った虚構と、剥き出しの現実との乖離――それを知った上で歩めという、彼の言葉。



 言葉を紡ぎ終えたジオラスは、がくりと項垂れた。

 魂の灯火を失ったかのように、その身そのものもまた垂れた。


 その沈黙を、切り裂くように放たれた声が上がる。

 ここまで黙していたエミリア――いや、怒りを胸に煮え滾らせていた少女が、感情を爆ぜさせる。  



「よくもまぁ、抜け抜けとくだらない戯言を!」


 人差し指をジオラスへと突きつけ、彼女の心に溢れる父への思いが怒声となって響き渡る。

「だから、何だというのですか!? そのようなお父様を侮辱する意味不明な告白で、あなたの罪が昇華されるとでも! わたくしのお父様の命を奪ったことが許されるとでも!? そんな愚かな話――あるわけないでしょう!!」



 彼女は言葉の刃を振るい続けた。それは止めどなく、痛烈に。

 だが、ジオラスは一言も返さない。

 ただ黙し、光を失った灰色の瞳を地に伏せていた。  

 


 沈黙の中、エミリアの声だけが響く。



 群衆は何も語らず、その視線は彼女を避け、ジオラスに注がれる。


――なぜ、町の皆は沈黙なのか? 盗賊如きに罵倒され、奪われ、痛みを受けたはずの彼らは、なぜ言葉を返さないのか? ――



 力なく頭を下げているジオラスの姿を前に、老人が小さく頷き、若い母親の唇を噛む音が響く。

 ジオラスは盗賊。このデルビヨの町を脅かし、先の(いくさ)においては知人や友人を傷つけ、命すら奪った存在。


 だからこそ、エミリアのように罵倒を浴びせることが自然でなかろうか?


 そうであるのに、彼らは言葉を産み出せずにいた。

 それは、理解してしまったから、ジオラスの気持ちを――その底に流れていたものを!!


 彼らもまた庶民。搾取される側。

 終わりの見えぬ魔族の戦い。増え続ける税。強制徴募。

 それはデルビヨから離れた村からゆっくりと、だが確実に行われていった。


 ひたりひたりと、足音を立てて近づいてくる破滅。

 それはいつ来るのか。数年後か? 来年か?



 このデルビヨの町に初めて訪れた際、ヤーロゥが感じ取った、あの違和の正体がここに浮かび上がる。


《栄えているように見えるが、どうも住民にいま一つ生気がないような? 何やら未来を憂いる沈痛な色が見え隠れしているな》※第二章15話


 不安。

 未来が見えない。

 終わりしか見えない。

 破滅の輪郭が、日に日に濃くなってゆく  

 愛する者と歩むべき道は、絶望で覆われている。

 子らに夢を語ることすら、もはやできない。


 どれほど町が栄えて見えようとも、心の奥底には鬱々たる現実が巣食っていた

 だからジオラスの言葉が心に響いていた。響いてしまった。

 彼が綴る残酷な現実……今まで目を背けていた現実が心に突き刺さる。


 彼はただの盗賊ではない。

 あれは、自分たちの『行き着く先』なのではないか。  

 そして、破滅の先にあるのが、ジオラスの姿ではないのかと。

 破滅の……(すえ)の姿ではないのか――と。

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