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元勇者、魔王の娘を育てる~父と娘が紡ぐ、ふたつの物語~  作者: 雪野湯
第二章 子どもたちの目指す道

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第36話 奪われた路

 エルダーの手を振りほどこうと、激情のままに身を捩るエミリア。

 その姿を目にしたジオラスは、喉奥から短く鋭い息を吸い上げ、次の瞬間には、まだ瞼の重い朝の町を叩き起こすように、腹の底から哄笑(こうしょう)を放った。


「クク……あ~はっはっはっは!!」


 エミリアはすかさず、その声に反応する。

「何がおかしいのですか!?」


 ジオラスは笑いを止めぬまま、口の端を上げて彼女を見下ろすように言い放つ。

「何がおかしいだって? そりゃあ決まってるぜ。公平だ? 誠実だ? 高潔だ? そんなまやかしを信じてる空っぽな貴族のお嬢様の姿が、滑稽で滑稽で、笑いがこらえきれねぇんだよ!! ぎゃはははは!!」


「お、お父様を侮辱するつもりですか!」

「侮辱じゃねぇよ、こいつぁ事実だ。ああ、たしかにあのメディウスって貴族は、オレの知る貴族の中じゃ、まだマシな部類だったかもな。だがなぁ、とんだ間抜けだ」

「な、何を……あなたは――」


「搾取してんだよ。他の村々からな。自分の町だけを飢えさせねぇために、周りから根こそぎ吸い上げている。その結果、弱いガキや老いぼれが飢え、死ぬ。そんなメディウスの、どこが公平だってんだ!? 」


「――――え? う、うそよ……そんなことに……なっているなんて……」

「へへ、まぁ、気持ちはわかるぜ。デルビヨはメディウスの領地の頭脳にして心臓。ここが潰れりゃ、全てを無くしちまう。だから、あらゆる犠牲を払ってでも守る必要がある。でもよ、それって公平か?」

「で、ですが……それは……仕方のない…………」



「はんっ、誠実だと言うがよ、王都のご機嫌伺いをして、袖の下を渡し、少しでも税を軽くしてもらおうっていう、小賢しい男のどこが誠実なんだ?」

「賄賂を? そんな話、わたくしは……」


「極めつけは、オレたちとの交渉だ。盗賊と交渉する貴族様が高潔って言えんのか? ほら、答えてみろよ――貴族のお嬢様!!」

「――――うっ!」


 エミリアは、口を開こうとして、何も言葉を紡げなかった。

 自分が知らなかった事実と、自分が知っている父の像との乖離を前に……。



 だがしかし、メディウス自身、この一連の施策が愚かであり、歪んだ均衡の上に成り立つものであることを痛烈に理解していた。だが、正す力を、彼は持ち得なかった。


 町を守る。ただひたすらに、それだけを願い、日々を凌ぎ、終わりの見えぬ人間族と魔族との苛烈な抗争が、いつか過ぎ去るのを待つこと。

 彼にできるのはそれぐらいだった。


 盗賊との交渉もまた同じ。


 武力をもって対処せんとすれば、民と兵は疲弊し、町は荒れる。

 加えて、己には兵を率いる胆力も、策を講じる才覚もないことは、誰よりも本人がよく知っていた。

 


 だからこそ、彼は交渉の場に臨み、貢ぎ物を差し出すことで、住民の不安と負担を少しでも和らげようとした。己の保身ではない。これは、民の安寧を願っての苦渋の選択。


 王都への賄賂とて、己の地位を守るためではない。課せられる税の重圧を、ほんのわずかでも和らげんがため――すべては、民のためであった。



 だがその裏で、デルビヨから遠く離れた村々が、静かに、そして確実に切り捨てられていた。

 彼には、その村々を救い上げるだけの才も力もなかった。

 メディウスは、弱き領主だった。だが、弱きがゆえに、民の痛みと恐れに最も敏感であろうとした男でもあった――。


 もし、時代が、戦の焔ではなく、穏やかな陽光に包まれた平穏の世であったならば、メディウスは民を慈しむ名領主として、長く称えられていたに違いない。



 しかし、しかしだ――――ジオラスにとって、民から搾取し、外縁の村々を見捨てたメディウスは、他の貴族たちと何ら変わらぬ存在。


 彼もまた、もとは一介の庶民であり、幾度も貴族たちの利のために蹂躙され、奪われてきた者にほかならない。


 冷めた眼差しで見れば、先ほど口にしたように、メディウスの選択に対して理解の余地もある。

 

 だが、搾取され続けてきた者としての心は、それを決して許すことができない。

 だからこそ、ジオラスの口からこぼれる言葉は、貴族という存在そのものへの呪詛であり、罵倒であった。



「ケケケ、結果はどうだ? 高潔な領主様とやらはまんまとオレに騙されて、胴から首を無くしちまう始末。な、間抜けだろ」

「あ、あなたは~~」

「そうそう、そのご立派な領主様はな、オレたちの前で糞と小便を垂れ流しながら命乞いしたんだぜ。お高そうな服を茶色に染めてな! あれは、実に、愉快だった。ぎゃはははははは!!」



 ジオラスの顔に浮かぶは、歪みに歪んだ笑み。

 あまりにも残酷で、底の知れぬ闇を(たた)えたそれは、エミリアの胸を怒りで焼き尽くした。  


「許さない、許すものですか……」

 エミリアは呟くように言葉を漏らしていく。


「縛り首などでは生ぬるい ……鞭で打ち据え、四肢を断ち、舌を抜き、眼を抉り、獣に食わせ――」

「エミリア様、どうかお気をお鎮めください!」


 エルダーは咄嗟にエミリアとジオラスの間にその身を割って入れ、熱を帯びていくエミリアの声が住民に届くより先に、自らの声を(もち)い膜を張ることで言葉を閉じさせた。



 傍らでは、ガイウスがジオラスへと一度、静かに首を横に振って見せる。

「そこまでにしておけ。十分であろう」

「――へッ、全然足りねぇけど、これで勘弁してやらぁ」


 

 これは、死にゆく者に与えられた最後の告解の時間――。

 ガイウスは、そのつもりでジオラスに言葉を許していた。

 せめて最期には、吐き出すものを吐き、魂を穏やかに鎮めさせようと。


 だが、過ぎたるは及ばざるがごとし。

 想像以上に乱暴で、毒気を孕んだ言葉が次々と溢れ出るさまを目の当たりにし、そして、激情に身を焦がすエミリアの有様を見た彼は、これは少々甘い采配であったかと、心の奥底で密かに悔いた。


 ガイウスはジオラスの紐を手繰っていた者へ、彼を牢へ連れていくようにと指示を与えようとした。



 だが、そこで――――エルダーが何気なく口にした一言が、まるで燠火(おきび)に油を注ぐが如く、ジオラスの心に眠っていた憎悪を焚きつけた。



「まったく、盗賊め。自ら堕ちたくせに、子どものような癇癪を見せるなんて」



 静まり返った空気が、わずかに軋んだ。

 ジオラスの顔が、ぐいと上がる。


「…………おい、そこのお坊っちゃん。今、なんて言いやがった?」

「ん? 下らん癇癪で人を傷つけるなと言ったんだ」

 エルダーは、淡々と告げる。その若々しい瞳には、揺らぎも躊躇いもない。  



「癇癪、だと……?」


 その呟きには、にわかに熱が帯びていた。

 押し殺された咆哮の予兆のような、不穏な揺らぎが潜む。  

 それを感じ取れることのできないエルダーは、過分な言葉を積み上げていく。



「ああ、癇癪だろう。人は皆、道を選ぶことができる。どのような境遇であれ、自らの選択で生きてゆく。貴様がどのような道を歩んだか知らないが、他者を蹂躙してよい理由にもならないし、今のように癇癪を見せてもよい理由にはならないだろう」



 これはたしかに、正論であろう。

 人生を歩む中で、様々な選択肢を迫られ、それを自らの意思で選び、歩む。

 善か、悪か、義か、利か。

 ゆえに、道を誤れば、己の責任となる――そう語るのは、倫理の上では正しい。


 だが、人生というものは、それほど単純で潔癖な構造ではない。


 望んでもいない選択肢を突きつけられることがある。

 選びたくもない二者択一しか与えられないことがある。

 時には、選ぶという行為そのものが幻であり、強いられた()をただ進まされるだけのこともある。

 人生には、(あらが)いようもなく、歩まされる道というものがある。


 人はたしかに選ぶ。

 だが、選択肢を与えられる者と、選択肢の中身を決められる者とでは、その重さが違う。


 エルダーは若く、そして下級とはいえ、貴族としてガイウスの庇護のもと、飢えや寒さとは無縁の生活を送ってきた

 だからこそ、正論に過ちはなく、文字通り、正しいものだと思い込んでいた。


 だが、それは過ちのない未熟さにすぎない。  

 経験の足りなさ故に、人生が孕む複雑さを、歪みを、エルダーは未だ知らない。


 この無垢な刃が、ジオラスの心を抉り、剥き出しにする。

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