第34話 常識の敗北・異常の勝利
丘の上に残った盗賊の男は、蜘蛛の子のように散っていく仲間たちに向かって声を張り上げるが……。
「お前ら! どこへ行くつもりだ! このガキどもを血祭りにしろ! おい! 俺の声が聞こえねぇのか!!」
もはや、誰の耳にも声は届かず、盗賊たちの瞳には、ただひたすら黄金の光のみが映っていた。
男は忌々しげに、ジオラスを睨みつける。
「……なん、でだ……なんで、このガキどもを助けるような真似をしやがる?」
その呪詛にも似た問いに、ジオラスは肩をすくめ、どこまでも軽薄な声で返す。
「な~に、気まぐれよ、気まぐれ。ま、ちょいとばかし、なが~い気まぐれになりそうだけどな」
「このっ――――くそったれが!!」
「ほら、てめぇも早く行かねぇと食いっぱぐれるぞ」
「…………いらねぇ」
「あん?」
「いらねぇよ、そんなもん……ああ、ジオラス。負け犬のてめえのおこぼれなんぞいらねぇ! 俺の物語はまだ続いてんだ!! てめぇは勝手に一人で終わってやがれ――お前ら!!」
盗賊の男が近くにいた男たちに呼びかける。
彼の呼びかけに応じ、幾人かの男たちが集い、ジオラスの財宝には背を向けて、この場から離れようとする。
彼らの背にジオラスは声をかける。
「オレのお宝をもってけよ。盗賊なんぞしてても、下らねぇ死に方するだけだぞ」
「うるせえよ、半端もんが」
「なに?」
「盗賊の分際で、最後の最後に剣士だった頃の自分を思い出しちまうお前は、半端もんだ! 俺は糞の中に身を沈めようとも……半端はしねぇ」
そう言い残し、盗賊の男とその仲間たちは夜の帳の向こうへと姿を消した。
残されたジオラスは頭をぼりっと掻いて、心にて呟いた。
(半端もんか……言葉もねぇ。だが……最後は盗賊として、無様に糞撒き散らして死のうかね。が、その前に……)
ジオラスはアデルを見た。
彼は剣を鞘に戻すことなく、その剣を睨みつけている。
途中でジオラスの視線に気づいた彼は、さらに不満げな顔を露わとした。
その顔を殴りつけるように、ジオラスは言葉を叩きつけた――。
「いい加減にしろよ、このガキが! いつまで拗ねてんだよ! てめぇはこのオレ様に勝ったんだぞ」
「勝ち? あれが勝ちだって! あんな、あんな――あんなハンデ付きの勝負のどこが勝ちだよ!!」
「ハンデ? なんのこった?」
「とぼけんなよ!」
「は~ん? とぼけちゃいねぇぜ。マジでわからねぇんだ」
「嘘つけよ! じゃあどうして、奥義で迎え撃ったんだよ、あんたは!?」
「…………」
「俺があんたの奥義を待っていたのはわかっていただろ! だったらいきなり奥義を使わず、剣で応じて、隙を突いて奥義を放てば、勝敗はわからなった!! なのに!! くそっ!!」
悔しさが籠る声を吐き出して、地面を蹴り上げたアデル。
その姿にジオラスは、両手をわなわなと振るわせて、心底、鬱陶しそうに怒鳴り声を返した。
「めんっっっどくせいガキだな、てめぇは!! オレが四劔輪舞に絶対的な自信があったのはわかってんだろ! そいつをてめぇみたいなガキが破ろうとしてんなら、やれるもんならやってみろと奥義で迎えるに決まってるだろうが!!」
「それでもいきなり使う奴がいるかよ! このバカ!」
「バカ? バカだと! バカはてめえだろ!! 勝ったてのに勝利宣言もなし、負けたオレに『負けました』と言わせる始末。情けってもんがないのか、てめえには!!」
「うるせい、悪党が情けなんか欲しがってんじゃねぇよ!!」
「悪党にも五分の魂って言葉も知らねぇのか、このガキ!!」
「それを言うなら一寸の虫にも、だろ!!」
「かぁあぁ! ああ言えばこう言いやがって、これだからガキは! ガイウス、ちゃんと躾とけよ」
「はぁ~、何故かわからんが矛先がこちらに飛んできたな。とりあえず、ジオラスを縄で縛るとするか、できれば猿轡も……」
ガイウスの呟きに呼応するように、斥候の一人が木陰から現れ、懐から太い縄を取り出す。
彼の近くでは、盗賊たちが霧散するまでフローラが警戒を示し、魔導杖を手にしていた。
だが、フローラもまた戦の空気が去ったことを肌で感じ、警戒を解く。
そして、静かに懐から取り出したのは……ガラスの小瓶に封じられた紫色の液体。
「あ~あ、せっかく用意した特製の毒が無駄になりましたね。毒蛇と毒蜂の毒を合わせた特別配合だったのに。あ、そうだ、いまからでも騒がしいジオラスさんを黙らすために」
と言って、フローラはジオラスをちらり。
その視線に蒼褪めるジオラス。
「アデルもやべーと思ったが、もっとやべー奴がいやがった。正気かよ?」
「盗賊のあなたにそんな言い方されるのは心外ですね。はぁ、本来は弓かナイフに毒を塗って、ブスリ。という予定でしたのに……」
「えげつねぇ……」
「もしくは、あなたが眠る幕舎の周りに油を撒いて、とても熱々な暖を取ってもらう予定でしたが」
「この嬢ちゃん、盗賊よりヤバくねぇか? おい、ガイウス! どんな教育してるんだよ?」
「だから、ワシにそんな矛先を向けられても知らぬわ。そもそも、教育係でもないからな。それよりも縛るぞ。無駄な抵抗はするなよ」
「いまさらするかよ。好きにしな」
そうしてジオラスは大人しく縄を受け入れ、斥候がしっかりとその縄を手繰った。
その様子を見つめていたアスティの瞳には、なぜか寂しげな色が浮かんでいた。
「ねぇ、ジオラス。あなたは何度か気まぐれと言ったけど、それは……死を意味するんだよ。なのに……」
ジオラスは領主を手にかけた。その罪は重く、当然、死罪は免れない。
そうであるのに……そのような末路が待っているのに、彼はアデルとの勝負を受けて、さらには戦としての勝ちを捨てた。
彼は答えず、ただ自嘲するように笑う。
「……気まぐれ。そう、ただの気まぐれさ。盗賊ってのは、気まぐれでいい加減なもんだぜ。へへ」
だが、その内心では正直な思いが密やかに響いていた。
(ガキの剣気に当てられて、昔の自分を思い出しちまった。で、ムキになっちまった――なんて、こっぱずかしくて言えるかよ……いや……………それだけじゃねぇか)
彼は小さく息をついて、さらに奥に眠っていた心に触れる。
(どこかで、終わりにしたかったのかもしれねぇな。フフ……)
夢破れ、堕ちた男が新たに夢見たものは、終わるべき場所。心に浮かべた笑みには悟りにも似た諦観が宿る。
そんな彼に、アスティはなおも寂しげに話しかける。
「町に戻れば、あなたは死罪。それがどのような形になるかまではわからないけど。そうなれば、もう二度と……」
「なんだよ、嬢ちゃん? まさか、こんな領主殺しの極悪人に同情でもしてくれてんのか? へ、お優しいこった。どっかのガキどもと違って、まともな奴もいたん――――」
と、言いかけたその時、アスティは人差し指を一本、ピンと立てた。
「死罪になる前に、私と一勝負して」
「……は?」
「あなたが死罪になっちゃったら、もう、あの奥義・四劔輪舞を受けられないじゃない。アデルとの戦いを見て、私なりの攻略法を見つけたの。それを試したいから、ね!」
「…………なぁ、ガイウス」
「知らん! ワシは言われても知らん!」
ジオラスは空を仰ぎ、天を呪うように呻いた。
「ああああ~、こんな血も涙もない異常者どもに負けたのかよ。あれか……本物の道を歩む奴ってのは、やっぱ普通じゃないんだな。自己中で自分の都合しか考えちゃいねぇ。どうりで、常識人のオレじゃ本物になれねぇわけだぜ」
彼のこの声に、三人の子どもたちは一斉に不満の声を上げた。
「ちょっと、私のどこが異常なの! 盗賊のあなたからそんなこと言われたくないよ!」
「まったくだぜ! 領主様を騙して、命を奪ってるくせによ!! どの口がまともなんて言うんだよ!」
「わたしはせっかく用意したものが無駄になったから残念だなぁ、と思っただけですよ!!」
「うっせいよ、オレは世の道理から外れちゃいるが、お前らは人の理から足を踏み外しまくってんだよ! ったく、まともぶった異常者ほど手に負えねぇもんはねぇな」
「な、なんですってぇえ!!」
「んだと、おっさん!!」
「撤回しなさい!!」
盗賊たちが霧散し、森に静けさが戻ったその場所に、三人の子どもたちの賑やかな叫び声が木霊した。
森に散っていた斥候を含む工作員たち戻りつつある中、ある者がこの奇妙な状況をガイウスへ尋ねる。
「ガイウス様、これは一体? ジオラスと何故、口喧嘩などを……?」
「さてな……ワシにもさっぱりわからん。まったく、極秘の作戦だというのに、どうにも賑やかな凱旋になりそうだ。あははは」




