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元勇者、魔王の娘を育てる~父と娘が紡ぐ、ふたつの物語~  作者: 雪野湯
第二章 子どもたちの目指す道

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第32話 才気の証明

 戦場を支配していたのは、剣戟の名残すらも虚無へ帰すような沈黙であった。

 盗賊たちは息を呑み、ひとつも言葉を発することなく、動けずにいた。


 ガイウスとアスティが見守る視線のもと、フローラは静かにアデルのもとへと歩みを進める。

 彼は依然として沈黙を纏い、剣先をなおもジオラスの首元へ添えたまま動かない。

 

 勝者でありながら、そこに勝利の昂りはない。 歓喜も、誇りも、ただのひと言の勝利宣言すらない。

 あるのはただ、内に渦巻く悔恨の色――その表情は、敗北者のように歪んでいた。



 フローラはその不自然な様子に一抹の疑問を抱きつつも、まずは彼の負った深手を癒すべく、そっと寄り添う。右の掌に淡い緑の光を宿し、慎重に傷口へと魔力を注ぎ込んだ。

 慣れた手つきで、血潮を止めながら骨の状態を探る。


「……うん、骨に浅くひびが入った程度。これなら、わたしでも十分に癒せる。それでも、数日は安静にしておいてね、アデル」


 しかし、アデルは返答をしなかった。彼女の優しさ、気遣いは心に届いている。

 そうだというのに、彼の顔はますます悔しさに歪み、奥歯をきつく噛み締めていた。


 

 ジオラスはそんな彼の姿を見上げながら、顰めた眉に苛立ちを滲ませた。

(んだよ、その顔は? 不満かよ)


 ちらりと視線を滑らせ、アデルの傷を一瞥する。

(不満はあれじゃない。あの傷は、このガキにとっちゃ織り込み済み 。こいつが抱いている不満は……まったく、へへ)


 盗賊としての己を忘れ、剣士として相対したジオラスは、アデルが抱く剣士としての不満をよく理解していた。



 それは剣を交えた者にしか分からぬ不満。剣士としての、それゆえの悔しさ。  

 だからこそ、理解できてしまった。ゆえにこそ、鬱陶しくもあった。



 ジオラスは腹立たしげに唇を歪め、一言でも、二言でも、何か言い返してやろうとした 。

 その時だ――張り詰めていた沈黙の鎖が、不意に音を立てて(ほど)けた。



「……まだだ。まだ、終わっちゃいねぇ」

 盗賊のひとりが、まるで我知らずといった風に呟き、次の瞬間、掠れた声を振り絞って叫ぼうとする。


「なぁ、ジオラス! まだ、おわってな――」

「――黙ってろ」


 低く、重く、押し潰すような声音(こわね)が、(やいば)よりも鋭く空気を断った。

 ジオラスが静かに、だが圧を籠めて発したそのひと言は、鉄槌のように盗賊の口を封じた。

 他の盗賊たちも、彼の言葉に逆らうことはできなかった。



 ジオラスは、なおも首元に(やいば)を突きつけられたまま、しかし怯むことなく、まっすぐアデルを見据え、 問う。


「『あの瞬間』、お前は何をした?」



 問われて、アデルは悔しさを宿していた表情をひととき曇らせる。そして、その面差(おもざ)しから感情を払いのけるように、淡々と応じた。


「あれは、とっさだった。あんたの剣技は、俺の予想を超えていた。だから、とっさに――」

「それじゃあ、だめだ」

「え?」



 遮るように放たれたジオラスの言葉は、鋼よりも硬く響く。

「いいか、くそガ……いや、アデル。『とっさに』やら『直感だった』やら、そんなもんねぇんだよ。体が動くときには、しっかりとした理由がそこにあんだ」


「理由?」



「ああ、だから、それをしっかり言語化しろ。言葉にして、自分がしたことを心に刻め。それを文字に起こして、記憶としても刻め。そうすりゃ、お前はもっと強くなる」


「おっさん、あんた……?」

「さぁ、言え。お前が何を思い、何を感じ、何を行ったのかを……。最初からな」

「あ、ああ」


「それとだ、オレはまだ二十七でおっさんじゃねぇ!」

「十分、おっさんな気も……」

「いいから、言え! ほら!」



 地に膝をつき、首元に(やいば)を当てられながらも、実に不遜な態度でジオラスは手を振り、アデルに自分が為したことを話せと催促する。

 アデルは、すべてを失った男が何を託そうとしているのか、薄らと悟り、彼の声に従った。



 アデルは、紡ぐ――――自らの歩みを、思考の軌跡を、才気へと至る、その一歩を。

「初めて、あんたの……ジオラスの剣を受けた時、とても素早く重かった。それはアスティの剣速を超えて、俺の膂力(りょりょく)も超えていた。斬撃を受けるたびに剣は弾かれ、構えが乱れ、姿勢を保てないほどに。だけど……」


「だけど、なんだ?」


四劔輪舞(しけんりんぶ)……この技を受けた時、俺はあんたの剣を弾き返せた。そこで気づいたんだ。この技は力を犠牲にして、速度を増してるって」

「チッ、一度受けただけで気づきやがったのか。んで、続きは?」


「二度目の四劔輪舞(しけんりんぶ)、さらに速度は増したが、威力はそのまま。あの時、俺が対応できたのは一度受けて、どういう動きになるか予測できたから。アスティが初撃よりも対応できたのは、力に(あらが)わず、受け流す戦い方を選んだからだと思う」



「ああ、そうだな。あの嬢ちゃんは嬢ちゃんでやってくれる。しかも、剣筋に関して言えば、お前よりも読みにくい。その理由は、オレにもわからんがな」

「アスティの剣筋が読みにくい? そんなふうに俺は感じたことは……」


「そいつはどうでもいいから、続きだ続き。二度目のオレ様の奥義で気づいたのは、それだけか?」


「いや、もう一つある。『同時』に襲ってくる四つの斬撃。でも、それは完全に同時じゃなかった。ほんの僅かに、順番があったんだ。順は、上、下、右、左。これは最初の四劔輪舞(しけんりんぶ)でも同じだった――と、あの場で俺は、それを思い出した」



 ここでジオラスは表情を曇らせた。

 それは自身の奥義の単調さ。

 その弱点について、彼自身もまた熟知していたからに他ならない。


 だが、技のリズムを変えることは、口で言うほど容易ではない。

 また、変化などさせなくとも、今まで敵は最初の一撃すら耐え切れずに倒れていった。

 だからこそ、彼の奥義はここで進化が止まっていた。

 それ以上、進化する機会も必要もなかったから……。



 さらに、アデルは言葉を紡ぐ。

「順番がわかれば、あとはどう対応するかを考えるだけ。俺の剣の速度と腕力……それを見極めての限界値は……三刃目の右までしか対応できない。だったら、四刃目はどうするか?」

「どうする気だったんだ?」


 そう問われたアデルは、ちらりと二の腕に刻まれた傷へと目を落とし 、ひとつ小さな息を吐いて、こう声に出した。

「前へと身を押し出し、自らの体で受け止める。押し込めば、刃の先ではなく根元で受けられる。剣は、剣先か剣の腹が最も威力が発揮できる場所。根元となれば、威力は半減以下になるからな」



 そう、これがアデルが導き出した答え。

 三刃目を弾いた瞬間、そのまま体を押し込み、ジオラスの四刃目を剣の根元で受け止める。

 己の身を代償とし、彼の懐に踏み込み、自らの剣をもって敵の心臓を貫く――


 だが――。



「だけど、予想に反して、三刃目を弾こうとしたときには、四つ目の斬撃がすでに迫っていた。速度もそうだが、威力も俺の胴を()ぐには十分すぎるもの。そこで俺は――――そうだ、俺はとっさにこう考えたんだ!!」



――三刃目を受けた反発力を利用して、四刃目へ『必要最低限』に、()を添えようって――



 そう、それが『あの時の金切り音』。

 才気に達した者にのみ届く、鋼が震え、空気を裂く精妙なる響き。  

 それは、アデルとジオラス、ふたりの耳の奥にのみ刻まれた音だった。



 その微細な響きの余韻を、胸奥に刻み、ジオラスは粛然と問いを放つ。

「なんで、必要最低限だったんだ? しっかり弾いちまえば、二の腕を切らずに済んだのによ」


「そんなことをすれば、あんたはすぐに対応してくるからだ。三刃目を弾いた勢い利用して剣の軌道を変えた時には、俺の構えは乱れていた。手にしていた剣は刃が返り、柄は前を向いた状態。その姿勢で、無理やり俺は、四刃目に剣を当てた」


「それでも、お前なら弾くことはできただろうに」


「ああ。でも、弾けば、すぐにジオラス――あんたは剣を戻し、構えを取り直し、俺の心臓を貫いてきたはずだ。姿勢を崩していた俺では、それに対応できない。だからこそ、必要最低限の力で、四刃目を受けた。ただ(やいば)の勢いを殺し、胴ではなく、二の腕で止めるために…… 」



 ジオラスは瞳を細めた。足りぬとばかりに、もう一度問う。  

「まだ、あるだろ。もう一度聞く。なぜ、弾かなかった?」


 それにアデルは、静かであるが、確かな声で応じた

「……あんたは、この技に絶対的な信頼を置いていた。置いていなければ、三度も使ったりしない。その自信を心に感じた俺は、ジオラス――あんたを信頼した」

「信頼、だと?」


「俺が()を小さく当てた時、四劔輪舞(しけんりんぶ)の四刃目はまだ生きていた。剣の先、剣の腹で振り抜かれれば、俺の胴を両断できる。だから、あんたは自分自身を信頼して、自分の剣速を信頼して、今まで積み上げたものを信頼して、(やいば)を戻さず、振り抜くことにした! 俺が『前』へ出る速度よりも早く、剣が届くと、信じて!!」



 もし、アデルが完全に四刃目を弾いていれば、ジオラスは即座に剣を引き戻し、突きを放ち、体勢を崩したアデルの心臓を一突きにしていただろう。

 だが、弾かずに――威力と速度をわずかに殺す程度の刃当(はあ)てにより、ジオラスの選択肢は分かたれた。

 


――戻すか・振り抜くか――


 

 四劔輪舞(しけんりんぶ)――それは魂と誇りを籠めて練り上げてきた、自らの信条であり、矜持であった技……当然、振り抜く! 振り抜くに決まっている!!


 

 ジオラスはか細い笑いを立てて、ぽつりと呟く。

「へっ、オレ様の奥義どころか、心まで見切られちまっていたのか……大した男だぜ。最後に……オレを殺さなかった理由は?」


「俺の構えは乱され、(やいば)は自分に、()は前に返っていた。ここから(やいば)を切り返そうものなら、あんたに体勢を整えさせる時間を与えちまう。だから俺は、()をそのまま前へ突き出した。柄頭(つかがしら)で、あんたの鳩尾(みぞおち)を打ち抜く以外になかったからだ」

「打ち抜く以外、ね……」


 低く呟きながら、ジオラスは揺れる暗灰色(あんかいしょく)の瞳を地面へ落とした。

 その視線の先には、アデルの左足が地面を踏みしめた跡が、深く刻まれていた。


(柄を打ち出す瞬間、地を踏みしめ、素早く重心を落とし移動させることで、体重と速度の力を柄頭(つかがしら)の一点に集めてやがる。ガキの癖に、剣術だけじゃなくて武術もしっかり修めてるとはな。へへへ、ったくよ、本当にムカつくぜ。本物様はよ) 

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