表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元勇者、魔王の娘を育てる~父と娘が紡ぐ、ふたつの物語~  作者: 雪野湯
第二章 子どもたちの目指す道

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

74/100

第31話 アデルの真価

 アデルは足の指先をわずかに動かし、音もなく、じりじりとジオラスとの間合いを詰めてゆく。

 それは地を這う蝸牛(かたつむり)よりも緩慢で、静寂の中にあって、風の壁をじわりと押し広げていくかのように、極めて緩やかなものだった。


 ジオラスは清廉な剣気を纏う少年アデルを暗灰色(あんかいしょく)の瞳の奥底――魂の核と呼ぶべき深奥(しんおう)にまで焼きつかせながら、心の内にて激しい否定を繰り返す。


(このガキが本物? 本物だと!? ありえねぇ、認めねぇ――それだけは絶対認めたくねぇ!!)


 胸の奥深くに封じ込めていたはずの過ぎ去りし光景が、ひときわ鮮烈な色をもって、彼の中で甦る。



――――十七年前


 ジオラスがまだ十の齢を数えるばかりの頃、彼の暮らしていた村は、突如として盗賊どもの襲撃に遭った。

 家々は業火に呑まれ、財は奪われ、尊厳は凌辱され、命もまたあまりに容易く残酷なまでに壊されていった……。


 その地獄の只中に、一人の剣士がふらりと現れた。

 百を数える盗賊たちの群れを、容易く斬り伏せ、打ち滅ぼす。

 その身に纏うは返り血――着衣すら紅に染め抜かれた姿は、まさしく修羅 。

 あまりに圧倒的な強さとその出で立ちに、村の者たちは感謝よりも先に、畏怖という名の沈黙を纏う。


 だがその中で、少年ジオラスは勇気をもって、こう問いかけた。


「あ、あの!」

「ん、なんだ、少年?」

「ぼ、ぼくも、あなたみたいな剣士になれますか!?」


 その問いに、剣士はわずかに笑みを浮かべると、穏やかな手つきでジオラスの頭に触れ、優しく撫でた。

「さぁな。だけど、お前が『本物』なら何にだってなれるさ」

「本物?」


 剣士は撫でていた手を拳に変えて、少年の心の中心を、軽く、とんと打つ。

「ああ、本物だ。お前の心……偽りのない心あるならな。夢のために、自分に嘘をつかず歩み続ければ、誰だって『本物の男』になれるんだ」




――――情景は掻き消え、残酷な現実へと還る。



 ジオラスは心の中で、拭いようのない悔恨と涙を滲ませる。

(……オレは、あの人のように誰かを助けたかった。そのために腕を磨いて、学び、這い上がろうとしたってのに! このざまだよ!!)



 ジオラスは、己自身への苛立ち、アデルという少年に対する妬心(としん)僻心(ひがごころ)――それらが混然となった眼光を閃かせた。

(冗談じゃねぇぜ! こんなところで、こんなガキに負けるようなら……オレの人生は一体なんだったんだよ! このガキの、こいつの……『本物』の踏み台になるために生きてきたってのか、オレは!! くそ、くそ、くそっ!!)



 憎しみの矛先を少年に向けようとも、否定の叫びを幾度心の中で反芻しようとも――それらのすべてを、静かに、しかし確かに打ち消す、胸奥に囁く声がある。

 それは、言葉にはならぬが、真に響く声――



――彼は本物である、と――



 ジオラスは舌打ちを一つ鳴らし、低く、感情を押し殺した声を放った。


「チッ……おい、ガキ」

「なんだよ?」

「年はいくつだ?」

「十五だが?」

「くそったれ、ほんとにガキじゃねぇかよ――名は?」

「アデル」

「アデル、か……その名前、しっかり覚えといてやるぜ。墓標に刻むためにな……」



 そう言葉が口から離れた瞬間、戦いの幕を引き裂くように、いたずらな風が舞い、一枚の木の葉が空よりひらりと落ちて、アデルとジオラスの交差する視線を遮った。


 アデルは大地を蹴り上げて、迷いなく、前へと翔け出した。

 対するジオラスは、剣を水平に構え、(おの)が技量の(すい)を集約させた、渾身の一閃を放たんとする。

 風の音すら置き去りにし、練り上げ、積み上げてきたすべてを賭した、最速にして最強の剣技――!!



四劔輪舞(しけんりんぶ)!!」

 


 その斬撃は、まるで四方に舞う剣の舞踏。

 風が吼え、空気が裂け、時さえも一瞬凍りつく。


 

 その凍えを前に、アデルは狂気めいた笑みを唇の端に浮かべつつ、心の奥底で静かに数を刻む。


(一つ!)

 頭上から襲い来る一閃を(やいば)で弾く!


(二つ!)

 足元より跳ね上げる斬撃をこれまた弾く!


(三つ!)

 右方より薙ぎ払われる一撃を――っ!?




…………アデルは自身の力量と、ジオラスの奥義を秤にかけ、その現実を冷静に見極めていた。

 四つに分かたれた死の(やいば)

 そのうち三刃(さんじん)までは対応し、凌ぎ得ると確信していた。


 されど、最後の一刃がどうしても届かない。


 届かなくてもいい――届く前に駆け抜けるつもりでいた。

 だが、しかし、ジオラスの放った奥義は、この三度の中で最も鋭く、速く、それはアデルの予測を越えていた。


 

 だが、本物とは――予測を凌駕されたその瞬間にこそ、真価を示すもの!!


 

――キンッ



 と、小さな金切り音が空気の中にひとつ、染み渡るように鳴り渡った。

 それはアデルとジオラスにしか届かない、小さな小さな奏音。

 

 だが、これこそが、アデルがこの極限の間際において放った才気の証明。

 彼がジオラスに見せつけた、本物の男としての短き奏楽であった――!



 己の腕に努力など無き者であれば、この音を前に、迷いを見せたであろう。

 しかし、ジオラスという男は、この奥義に全てを注ぎ、己の誇りを宿していた。

 

 だからこそ、彼もまた躊躇うことなく、押し通す!


「クソガキがぁぁぁあぁッ!!」

「うおおおおおおおおおお!!」


 怒号と咆哮が重なり、魂と魂がぶつかり合う――――。  



「ぐはっ……」


 呻き声が一つ、静寂の中に溶け入り、やがて露と消える。

 間もなく、血の雫が草叢(くさむら)に、ぽたり、ぽたりと零れ落ち、沈黙に生々しき現実を刻む音を添えた。


 アデルが防ぎ切れなかった四つ目の(やいば)は――――彼の二の腕に食い込み、深々と肉を裂いていた。

 傷口を一瞥し、アデルはその激痛に顔をわずかに歪めながらも、唇の端に冷ややかな笑みを浮かべる。



――(やいば)は肉を断つとも、骨を断つことは(あた)わず――



 夜空を舞う風は、ひとしき翻り、次第に一点へと収束していく。

 そこにあったのは、アデルの渾身の一撃――――。


 柄を固く握りしめ、突き出した柄頭(つかがしら)がジオラスの鳩尾深くに食い込んでいたのだ。

 ジオラスは握り締めていたはずの剣を指先から零し、両手を腹に当てて屈み込み、胃の中のものを激しく地へ吐き出した。


 アデルは柄を返し、無言のまま、地に膝をついたジオラスの首元へ、そっと刃を添える。



 ただ、静寂の中に、風が鳴る音だけが響く。

 盗賊たちはこの結末を予想していなかった。そうなると思ってもみなかった。

 あり得ない現実を前に、言葉が生まれない。


 いや、二人の剣士が交差した先に、何があったのか見えなかったため、理解が及んでいないのだろう。



 ガイウスはアデルの見せた片鱗に戦慄し、冷や汗を背に走らせる。

(見事だ、アデル。あの刹那、第四の(やいば)により、胴を真っ二つに断たれているはずだった。その運命を、己の剣と技と閃きによって切り開いて見せた!)



 フローラは、アスティやアデルほど武の才に恵まれていない。

 そのため、アデルの見せた真価の一端を掴み切れずにいた。

 だから、隣に座るアスティに尋ねるのだが……。


「あーちゃん、いまのって……」

「……ふむふむ、あの技、なるほど。だとしたら、ああやれば……私なら、うん」

「あーちゃん?」

「あ、ごめん。どうしたの、フーちゃん?」

「いえ、何か考え事をしていたみたいだったから」


「ああ、うん。アデルとジオラスって人の戦いをじっくり観察して、あの奥義の構造と破り方を解いたところ」

「解いた?」


 そう問いかけるが、アスティはアデルの真価(すがた)に心を奪われ、言葉が耳に届いていない。

「まったく、アデルも無茶する。三つ目の瞬間を見たときは、全身の総毛が立っちゃったよ。っと、それよりもフーちゃん、アデルの治療を。あの深さだと、骨まで届いているはずだから」

「あ……うん、そうだね。それじゃ、行ってくる」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ