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元勇者、魔王の娘を育てる~父と娘が紡ぐ、ふたつの物語~  作者: 雪野湯
第二章 子どもたちの目指す道

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第30話 黎明の剣

 アデルはただひとり、ジオラスの眼前に立ち、両手で剣を強く握りしめ、重心を落とし、静かに構えを取る。

  その眼差しはまっすぐに、恐れを微塵も感じさせず、敵を見据えていた。

 

 


 その姿を目にしたジオラスは、思わず眉を寄せ、こめかみの血管が激しく脈打つのを感じた。

 怒気を込めた声で、言葉を叩きつけんとしたその瞬間――


「おい、ガキ。何をふざけた真似――うっ!?」


 アデルの全身を取り巻く空気が変わった。

 揺らぐ剣気が彼の周囲に立ち昇り、まるで陽炎のように空間を歪ませる。

 それは熱ではない。覚悟と気迫の奔流が形を得て、目に見えるほどに凝縮された剣士の気の顕れだった。


 ジオラスは目を見開く。

 今、目の前にいるのは子どもなどではない。(まご)うことなき――剣士!!



 だが、何故か彼は、そんな思いを抱いた心のざわめきに苛立ちを覚え、歯の根を軋ませ、奥歯を砕かんとするほどに噛みしめた。

(本当にふざけやがって! ガキがこんな……オレは、認めねぇぞ。ああ、認めてたまるもんか!!)


 ジオラスは己の怒りを(やいば)に乗せ、シャムシールを水平に構える。

 その切先は迷いなく、アデルへと向けられた。


 鋭い灰色の瞳と、真っ直ぐな漆黒の瞳が交差する。

 そこに言葉はいらなかった。

 

 次に交わるのは――剣と剣、ただそれだけだった。




 二人の間に漂う緊張を見守りながら、アスティは大きく息を吐き出した。

 そして、肩を怒らせてため息をつき、腰に片手を当て、地団太を踏むような仕草で不満を示す。


「はぁ~……もう、勝手なんだから!!」


 彼女は手にした剣を、澄んだ青の鞘に納めると、地面を踏み鳴らしつつ、剣を手にした盗賊たちへ近づく。

 無防備なままに寄ってくる彼女へ盗賊たちは虚を突かれ動揺し、襲いかかることなく戸惑いの声たちを上げた


「お、おい、勝手に動くんじゃねぇ!」

「まさか、逃げる気か?」

「こ、小娘! 妙なことを考えてるんなら――」



「そこ、どいて!!」


「「「お、おう……」」」


 アスティの一喝に盗賊たちは思わず左右に分かれ、道を開ける。

 開かれた先には数個の樽があった。


 アスティは樽たちを靴の先でこんこんと叩き、音の軽さから中身の入ってない空の樽を見つけ出す。 

 それを迷いなく蹴っ飛ばし、樽を横倒しにすると、その上にお尻を置いた。


 そして、戦いの中心にいるアデルとジオラスを、黄金の双眸でじっと見据える。


「アデル! 『観』ててあげる。だから、あとがあったら私に任せなさい!!」

 そう言って、アスティは黄金の瞳に意識と魔力を集め、これから始まろうとしている戦いの一手一足、気迫の微細な揺らぎすら(のが)さぬように、瞳から心へと映し込むための()を整えた。


 アデルは振り返らず、一つの礼……そして、無用な心配だと発する。

「あんがとな、アスティ。お前の観察眼なら、あとは安心して任せられる。でもな――――お前の出番はないぜ」


 返した言葉は、奮い立たせるでも奢るものもない。ただ、落ち着いた、涼やかな響きだけが帯びる。




 彼の声を耳にしたフローラは静かに乾いた息を吐いた。

「……まったく、色々考えていたわたしがバカみたいじゃない」

 囁くようにそう言い、囲いから(のが)れるために密かに練り上げていた魔力を霧散させた。

 

 それに対して、傍らに立っていたガイウスは小さく声を漏らす。


「フローラ……」

「申し訳ございません、ガイウス様。アデルもおバカですけど、わたしたちも同じくらいおバカなんです」

 そう言葉を残すと黒衣を脱ぎ捨て、アスティの元へ近づき、彼女と同じように樽を物色して、手にしていた魔導杖(まどうじょう)で殴り飛ばして転がし、その上にお尻を置く。



 盗賊たちは困惑を隠せなかった。

 自らの眼前で、女たちが臆することもなく堂々と座り込む様は、剣が並ぶ戦場には不似合いな光景。

「お、おまえらな! 何考えてんだ!?」

「そうだぜ、敵の目の前で武器も持たずによ!」

「危ないだろうが! って、俺たちの言うことじゃないが……」



 彼らの戸惑いに、アスティはアデルの姿を見据えたまま答えを返す。


「私は剣を使っているけど、剣の道なんてのは全然わからないんだよね」

「おい、小娘。何を言って――」

「だけど、剣の道を歩む人の背中くらいはわかる。私は一人の剣使いとして、剣の道を歩む覚悟を見せた、アデルの歩む先を知りたい」



 アスティは、静かに髪を撫でる夜風に身を任せながら、ふと、その視線を盗賊たちに向けた。

 柔らかながらも凛とした声で、穏やかに語りかける。


「盗賊のあなたたちも剣を使う。そこに極みの道なんていう、大層な思いはないかもしれない。でも、知りたくない? 同じの剣士として、二人の剣士の行く末を。私たちでは歩めない道の先に何があるのかを……」


 彼女の眼差しは揺るぎなく、まっすぐに二人の剣士を見つめていた。

 アデルから立ち昇る、澄んだ剣気。

 それに呼応するように、盗賊の頭であるジオラスもまた、ひと時その役目を忘れ、一人の剣士として、剣の柄から剣先までに己の想いを乗せる。



 アスティの言葉は、長きに渡る盗賊稼業の中で、どこかに置き忘れてきた剣士としての誇りを呼び覚まし、彼らの胸奥に(かす)かな火を灯す。

 盗賊たちは彼女の声に導かれ、二人の剣士の姿を瞳に映し込み、言葉もなく立ち尽くす。


 その中で、彼女の近くに立っている盗賊が小さく笑った。



「へへ、見事な口説き文句だぜ。今まで色んな女から色んな言葉を聞いてきたが、こんな小娘が……いや、こんなにも心に響く殺し文句を聞いたのは初めてだ。てめぇ、良い女じゃねぇか」


 彼は口元を緩め、手にしていた剣を鞘へと戻した。

 いや、彼だけではない。その隣にいた者も剣を収める。それは波紋のごとく広がり、盗賊たちは剣を収め、気づけば誰一人として剣を構えておらず、誰もが二人の剣士の戦いに敬意を捧げていた。



 そんな中で、アスティは声をかけてきた盗賊へ……眉を顰めつつ、目を細めて困惑の表情を浮かべる。


「あなたに良い女って言われても、うれしくないなぁ」

「ぐっ、てめぇな!」

 

 さらにフローラが、冷たい微笑を添えて追い討ちをかける。

「うん、そんなにモテるように見えないよね。あ、アレだ。お客様用のリップサービスを真に受けてるのかな?」

「おま、お前らなぁ……前言撤回だ! 嫌な女だ! 今まで出会った中で、ダントツで嫌な女たちだよ、お前らは!!」



 敵陣の真っ只中。生と死の境。敵に囲まれて絶体絶命という中にはふさわしくない、ひとときの花が咲いたかのような、奇妙な会話が流れる。


 

 ただ、ぽつねんと立ち尽くすガイウスの眼差しには、夢現(ゆめうつつ)のような迷いが差していた。

(信じられん。何が起こっている? 盗賊たちが、剣を収めるだと?)


――盗賊とは即ち、無法の体現者。


 彼らにとって力こそが(ことわり)であり、剣こそが唯一の説得力であった ――――いや、だからこそ、いま目の前に現れようとしている力へ、心を伏したのだろう。


 ガイウスは目を細め、遠くに弓を構え、じりじりと機を窺っていた盗賊へと意識を向けた。

(あれほど鋭く鮮烈であった殺意が……消えておる。彼らは今、これから始まる何かに心を囚われておるのか。これはまるで…… )


 老いた騎士の胸裏(きょうり)に浮かぶのは、かつて幾度となく戦場で目撃した、ある種の神秘――それは常識の埒外にある、戦場における祭典。



 ガイウスの琥珀色の瞳が、アデルを見据える。

 少年とは名ばかり。

 彼の身体から立ち昇る剣気は、熱風のごとく夜を灼き、それは風と渦巻いて天を震わせる。


(狂気が渦巻く戦場で、時が凍る瞬間。皆が剣を収め、ただ一つの戦いに意識を集める瞬間がある。それは――――将同士の一騎打ち! 盗賊たちは知らず知らずのうちに、アデルという少年を将として見做した。彼に宿る、天賦の器を見たのだろう)



――剣気が(ほとばし)る姿は剣士。

 しかし、そこに秘められし資質は、ただの剣士にはない『将たる風格』。


(だが、それはジオラスとて同様――)


 ジオラスの身にもまた、尋常ならざる剣気が(みなぎ)る。

 その光景に、老将は内心に重いものを(たた)え、無言の嘆息を漏らす。


(四千もの荒くれ者を従える統率力。短時間に仕掛けた包囲戦の才。奇襲に対する備え 。そして、一人の剣士としての矜持。かような才を持つ者が、盗賊などという業に身をやつさねばならぬとは……)



 それは彼に機会がなかったからだろうか? それとも出会いがなかったからだろうか?

 (いな)――時代がそれを許さなかったのだろう。



 ジオラスが歩んだ道を、ガイウスは知る由もない。だが、今という時代の歪みに思いを馳せれば、おおよそ察することはできた。


 ジオラスは貴族ではない。搾取される側の、庶民出の剣士。

(多くを奪われたのだろうな。剣士としての道を歩み中で、大切な何かを。それを守るうちに、あやつは堕ちていった……)


 老将は、ジオラスとアデルの姿を、老いの滲む瞳に刻み込む。

 月明りが照らし出すその二人からは、夜の静寂を裂くような凄烈(せいれつ)なる気配が放たれていた。


(堕ちた剣士と、これより未来(みち)を切り開かんとする若き剣士。ジオラスめが歯噛みを見せるわけだ)

 

 哀しむべきは、ジオラスの才が決して劣っていないということであった。

 だが、彼はすでに、領主殺しという取り返しのつかぬ道を歩み出した者 。

 もはや、全てが手遅れ……。



 ガイウスは過去への想念を断ち切り、今を見据えた。

 盗賊たちの意識は、完全に二人へ向いている。

 下で起きていた火事を消し止めた盗賊たちも一人、また一人とこの場に(つど)うが、二人の姿を目にすると、すぐに心を奪われ立ち尽くす。


(これだけの視線が二人に注がれておる今ならば、脱出の好機とも言えよう。だが――あまりに無粋というもの)



 老将は、重々しく手にした大槍の石突きを地に突き立て、ただ静かに、その末を見届けることを選んだ。

 そして、今まさに剣士としての才を花開かんとしているアデルをどこか寂し気な瞳で見つめる。


(フフ、何が命を賭して守ってやらねばだ。老いぼれが大口を叩いたものよ。 老いた獅子が若獅子の心配などをするとはな――――行け、アデル。ワシは、お前という剣士の芽吹きの時を、ただ、信じて見届けよう )

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