第29話 銀光、三つの刃舞うとき
森の奥深く、月は雲一つない夜空を滑るように進み、銀白の光を梢の隙間から地を照らしていた。
風は微かに揺れ、幕舎の並ぶ一角にて剣を手にした三つの影へ、葉擦れの音だけを届ける。
円陣を描くように取り囲む盗賊たちの視線と、二つの影の後方に控えるガイウスとフローラの視線が、一際鋭くその中央を注視している。
二つの影――――剣を握る少年アデル。同じく剣を握る少女アスティ。
二人は両の足は揺るがず、眼光をまっすぐに鋭い。
アデルは両手で剣を持ち、やや前傾の構えを取る。アスティもまた同じく両手で柄を握り、微細な体重移動で間合いを測っていた。
対するは、白のバンダナを頭に巻いた長身の盗賊の頭目ジオラス。
彼は右腕をだらりと下げ、その手には湾刀――月光を受けて鈍く光るシャムシールを握る。
風が枝葉を揺らすたび、誰の者とも知れぬ衣の裾がわずかに翻り、その動きに瞳は静かに揺れる。
静謐の中で、無言の剣だけが言葉の代わりとなり、間近に訪れる閃きと衝突の刻を語り合う。
盗賊たちの多くが、この静寂の緊張を前に押し黙った。
しかし、ガイウスとフローラはこれを好機と捉え、囲いを突破する隙を窺い、風の囁きに溶け込む儚き声を漏らす。
「フローラ、わかっておるな」
「はい、閃光魔法で――っ!?」
二人の僅かな動きに反応を示し、矢の先を二人に合わせていた盗賊が弦に力を籠める。
すると、弦は張り詰めた空気を割くように、低く澄んだ音を震わせた。
その風よりも小さな音が静寂を切り開く序章となり、アデルとアスティ。そして、頭目ジオラスの戦いの幕が上がった。
大地を力強く蹴り上げ、アデルが風を巻いて左へと回り込む。
同時に、アスティが音もなく右へと弧を描いた。
二人は間合いを正確に測りながら、高低差のある連携の斬撃を微妙にずらしたタイミングで放つ。
上段から鋭く振り下ろされるアスティの刃と、低く踏み込んで跳ね上げるようなアデルの一撃が、まるで一対の牙のごとく襲いかかった。
だがジオラスは、その剣速に怯むことなく、まずアデルの剣を見事に受け流す。
そして、その弾かれた軌道を逆手に取り、アデルの剣をアスティの刃へとぶつけてきた。
鋼が激しく火花を散らし、反動で体勢を崩される二人。
しかし、アデルとアスティはジオラスの追撃が届く寸前、見事な反応で姿勢を立て直す。
ほぼ同時に振るわれたジオラスの二振りの斬撃を受け止め、鋼同士がぶつかり合う音が森の静寂を裂いた。
その音の終わりを待つことなく、アスティとアデルの双剣は閃く。
息もつかせぬ連撃――右へ、左へ、上段からと突き上げる嵐のような斬撃が、絶え間なくジオラスへ襲いかかる。
それをジオラスは、渋面を浮かべ、奥歯をきつく噛みしめながら受け止め続けていた。
(チッ、うぜぇな。クソガキもそうだが、小娘も思ったよりやりやがる。おまけに妙な剣筋をしていて、なんだかわかんねぇが読みづれぇ)
剣がぶつかり合うたびに、彼の眉間に刻まれる皺の数が増している。
それは、焦燥と苛立ちの現れ……。
(くっそたれが――力の差をまざまざと見せつけて心をへし折ってやろうかと思ったのによ――ガキも小娘も、戦いながら研がれていやがる !!)
一方で、アデルとアスティの瞳には、ジオラスの剣筋に宿る凄烈な美と剣の哲理が映っていた。
その振る舞いが盗賊という身分を忘れさせ、敵手でありながら敬意を抱かせるほどに――。
(本当に凄い、この人。剣と風が一体化しているように鋭い。私じゃ、剣の速度が全然追いつかない!)
(クッ! なんて重い一撃なんだよ。速さと相まって受け流すこともできず、受けるたびに体がぶれる!)
だが、二人は食い下がり、差を徐々に詰めていく――。
ジオラスは圧倒的な力で、希望に夢見る少年の心を砕き尽くし、幻想と理想に彩られた未熟な剣を、現実の重みによって打ち据えるつもりであった。
――だが、現実はどうだ。今や彼は、二人の若き剣士を相手に、互角の戦いを強いられている。
(なんなんだ……このガキどもは!? あの城壁での立ち回り――只者じゃねぇとは思ったが……剣の冴えも尋常じゃねぇ! 今、この瞬間にも、オレの技を吸い上げ、研ぎ澄ませてやがる!! )
ジオラスは怒気と焦燥を滲ませながら、剣の柄を砕く勢いで握り締めた。
柄が軋み、刃が閃いた。それは、速く、重い、鋭さと暴威を帯びた一撃。
アスティとアデルはそれを辛くも受け止めるも、その衝撃に抗しきれず、空を舞うように後方へ吹き飛ばされた 。
「――クッ!」
「なんて、おっさんだよ!!」
悪態をつく二人を前に、ジオラスの胸裏には、不意に言葉が過った。
それは、心の奥に刺さった、一つの語。
――本物――
彼はさらに力強く柄を握りしめて、心に響いた言葉を拒絶する。
(そんなわけがねぇ。こんなガキどもが『本物』だなんて、認めねぇ、認めねぇぞ、オレは!!)
ジオラスは剣を水平に構え、刃に禍々しい気配を纏わせる。
その動きを見たアスティとアデルは、ひやりと肌が粟立った。
「あれは――!?」
「やべぇ、来るぞ!!」
「四劔輪舞!」
再び、振るわれた刃は四条の刃となって弾け飛び、アスティとアデルへ同時に襲いかかる。
それは先ほどの技とは比べものにならない。
速度も、密度も、威圧も――段違い !
だが――
アスティは迫る一条の刃を受け流すが、二撃目を捌ききれず、二の腕の皮膚が浅く裂けた。
そこには鮮紅が滲む。
アデルもまた、二つの刃をかろうじて弾き返したものの、風刃の余波が頬を掠め、紅を走らせた 。
またしても仕留め損ねた二人を前に、ジオラスは顔を激しく歪める。
(おいおいおい! 今のマジだったんだぜ! なんで二人とも生きてやがる!? しかも、さっきよりも攻撃が通ってねぇ!!)
彼が初めてこの奥義を放ったとき、アスティは二太刀のうち、一つも受け流せなかった。
アデルは一太刀を弾いたが、二太刀目は追いつけずにいた。
そうだというのに、今はアスティが辛うじて一太刀を受け流し、アデルに至っては二太刀を弾いて見せた。
(なんなんだよ、本当に! こいつらは、こいつらは!!)
ジオラスの心にぐらつきが生じる。
だが、アスティもまた、ジオラスの剣を目にして、打開の目途が立たずに迷いを見せていた。
「全然、追いつけない。魔法を使えば隙が生まれるし……となると、天翼? でも、これだけの盗賊の目を盗むなんて、未熟な私だとできない」
アスティの瞳が、血の滲む二の腕へとわずかに揺れる
「さっきので少し腕を切ったから、次はもっと遅れちゃう……どうしよう、アデル?」
そのアデルは、途切れ途切れに何かを呟いていた。声にならない言葉を、喉奥から掠れるように絞り出す。
「……やっ……だろ。だから……足らない。でも……そこは……」
アデルの耳にアスティの声は届いていない。彼はひたすらにジオラスを見据え、低く、乾いた呟きを漏らし続けている。
その様子に不安を覚えたアスティが、再びは彼の名を呼びかけようとした。
そのとき、アデルの唇が、薄く笑みに歪んだ。
「アデ――」
「フフ」
「アデル?」
「足りねぇか……足りねぇけど――ここは押し通す!」
彼はアスティを背に残したまま、一人、前へと歩み出る。
遠ざかる背中へ、アスティは呼びかけた
「アデル、どうしたの?」
「アスティ、わりぃ。ここから先は、俺一人でやらせてくれ……」




