第28話 死線に踊る
アスティたちの背後に現れた、頭目ジオラス。
予想外の出来事を前に言葉を失う彼女たちを、ジオラスは濁り帯びた暗灰色の瞳に捉え、顎の無精ひげをじょりっと擦る。
すると、四方から盗賊の一団が姿を現した。
その数は五十を超えるだろうか――全ての者が武器を構え、弓を携えた者はガイウスを中心に、アスティ・アデル・フローラを一片の空白も許すことなく狙いを定めていた。
老将ガイウスは歯噛みを見せる。
「たかが盗賊如きが、斥候にも悟らせず、見事に気配を断っておるとは。誤算だった」
「へっ、そいつはぁ、どうも。斥候諸君にはお前さん方が望む情報を渡しておいた。オレがここにいるってな」
「クッ」
「だがな、誤算はこっちもおんなじなんだぜ。まさか、獅子将軍様自ら、オレの命を取りに来るとはなぁ。オレも出世したもんだぜ。クククク」
彼の笑いに呼応して、盗賊たちも薄ら笑いを浮かべる。
アスティは小声でアデルとフローラに指示を与える。その声にまだ焦りはない。
「作戦は失敗。撤退の準備を」
「わかってる。だけどまだだ」
「ええ、斥候の方々が、陽動と攪乱の部隊にこの事態を伝えているはず。だから――」
フローラの声が終わりへ届く前に、丘陵より下にある幕舎から火の手が上がった。
下からは混乱に渦巻く声が聞こえてくるが――――ジオラスは後ろを振り向きもしない。
「陽動か。慌てふためいたオレたちに隙が生じ、そこを突き、逃げる腹積もりなんだろうが……そこまでオレは軽くないぜ。なぁ、ガイウス様よ」
「こ、こやつ!」
盗賊の頭目ジオラス――彼は、ガイウスやアスティたちが想像していた以上の切れ者。
ジオラスが顎をしゃくり上げると、一人の盗賊が頷き、混乱極まる下へと向かっていった。
その間、彼はずっとアスティたちを見据えたまま。
「さて、ガイウス殿に、デルビヨで大活躍のお子様方御一行。この戦の要を担っている連中がわざわざお越しってことは、倉庫の前に積まれた食料の山ははったりで、オレの読み通り、今日明日には尽きるってところだな」
彼は、ガイウスの姿を目にしたときに、すべてを見抜いていた。
もはや為す術がないからこそ、直接自分を狙いに来たのだと。
何もかもを看破されたことに、ガイウスたちの心に焦りが走った――――一人を除いて!!
彼は殺意纏う矢に急所を狙われているにもかかわらず、剣を抜く。
「ああ、だから、今ここでてめぇを斬っちまえば、俺たちの勝ちってことだな」
アデルは――剣先をまっすぐとジオラスに突きつけた。
その場違いで不遜な態度に、ジオラスは肩を震わせ、喉の奥で笑いを漏らす。
「クク、ククク、バカなガキだな。いまさら何が――――っ!?」
アデルは黒衣を脱ぎ捨て、稲妻の如く間合いを詰め、剣を閃かせる――三人の名と共に!
「じっちゃん、フローラ防御! アスティ、来い!」
飛び出した彼を狙って矢の雨が注がれる。
その鋭利な雨たちは、ガイウスが手にした回る大槍の壁により、歩を進めること叶わず。
フローラが産み出した障壁の前にひざを折り、触れることなく地に矢を垂れる。
アデルは剣をジオラスへと振り下ろし、アスティも黒衣を脱ぎ捨て、低く屈み足元を斬り払った。
「こ、こいつら!!」
ジオラスはアデルの剣を弾き、身を翻し後方へ下がり、アスティの斬撃を避けた。
しかし、二人の攻撃の手は止まらない。
アデルとアスティは匠な足運びで上下左右に体を動かし、刃を振るい続ける。
頭目ジオラスも二人に合わせ、体を踊らせている。
三人は立ち替わり入れ替わり、その場を変えていく。
その剣舞の如き輪舞を前に、他の盗賊たちは足を縫い留められたかのように動けず。
もし、不用意に刃が織りなす結界へ身を投じれば、それは死を意味する。
矢もまた狙いを定めることができず、惑いの中で指を鈍らせていた。
ジオラスは刃の双璧に囲まれ、絶えず死線が舞う。もしここで、一呼吸でも動きを止めれば、肉を切り裂かれるであろう。
そのような中でありながらも、彼は笑みを崩さない。
「クク、やるねぇ。ガキども」
「この人――」
「――強い!!」
剣速は俊敏なアスティを凌ぎ、剛威は力強いアデルを圧する。一刃一刃を受けるたびに剣は弾かれ、構えを維持することすらままならない。
「だけど!!」
「負けるかよ!!」
アスティとアデルの剣圧が一気に高まる。
アスティの剣は音を切り裂き、アデルの剣は刃音を痺れさせる。
怒涛の猛攻により、ジオラスはゆっくりと後退していく。
「チッ、生意気なガキどもめ。おらぁぁ!!」
ジオラスは一振りで二人の剣を振り払う。
そして、半歩後ろへ下がると、シャムシールを水平に構え、刃を振るった。
「四劔輪舞!」
振るわれた刃は四つに分かれ、同時にアスティとアデルに襲いかかってきた。
アスティは二つの刃を受け流そうとするも、剣を弾かれ、後方へと飛ばざる得なかった。
アデルは一つの刃を弾き返したものの、二つ目が間に合わず、バランスを崩しながらも後方へ飛ぶ。
二人は息切れを交えつつ、身の裡に走る戦慄に、肌の一片までを支配される。
「な、なに今の!? 一つの剣が上下左右の四つに?」
「しかも同時に来やがった!!」
「チッ、今のも避けやがるのか。そんな奴、今までいなかったのによ。ムカつくガキどもだぜ。だが、詰みだ」
動きを止めた二人に矢の焦点がぴたりと合う。
アスティは周囲に警戒を置いた。だが、アデルは今だジオラスを睨み続けている。
「まだ、終われるかよ……」
「おいおい、ガキ。もう、終わりだってのがわかんねぇのか?」
「勝手に終わりなんて決めるんじゃねぇ!」
「終わりなんだよ! もう、周りは固められているんだぜ。陽動も失敗。さらにオレが一声かければ、四千の兵がてめーらに襲いかかってくる。これを終わったって言わずして、なんて言うんだよ!?」
「そんなの知るかよ!!」
「……はっ?」
アデルは剣を持つ手を激しく震わせながら、再び剣先をジオラスへ向けた。
「あんたは強ぇ。滅茶苦茶強え! だから勝ちてぇ! 俺の剣であんたを打ち倒したい! こんな楽しい戦い、終わらせてたまるかよ!!」
「何を言ってんだ、このアホは?」
ジオラスはアデルの瞳を見据えた。
アデルの黒き瞳はこの戦場を忘れ、血の香りに濡れた風を愉しむように輝きを増していく。
彼は手の震えを全身へ届け、笑う――
「すげぇよ、あんたは……俺とアスティの二人を相手にしても、びくともしない。そんなことできるのは、父ちゃんとヤーロゥおじさんくらいだけだと思ってた。世界はやっぱり……広いんだな」
「てめえは一体何を言って……」
「なぁ、アスティ……旅に出て、本当に良かったと思わねぇか? こんな人がいるんだぜ」
戦いの律動に心酔する彼の声に、アスティは朧な声しか返せない。
「え、うん……」
アデルは剣を構え、震えを止め、闘争の中に浮かび上がる無垢な笑顔を見せる。
「さぁ、続けようぜ。逃げんなよ、おっさん」
ひたすら純粋に、剣という技に魅入られた笑み。
それを目にして、ジオラスの表情には苛立ちが浮かぶ。
「このアホが……状況を全く理解してやがらねぇ。それに――」
ジオラスは再びアデルの瞳を見た。
そこに浮かぶは――ジオラスに対する敬意と畏れと興奮がないまぜになったもの。
――純真無垢に剣に憧れる少年の姿。
この瞳にジオラスは眉を曇らせ、心の中で舌を打った。
(チッ、嫌なことを思い出させる目だぜ。夢と希望に溢れた、あの頃の……ムカつく……ムカつく……ああ、イライラするぜ、このガキ!!)
彼の思いは、ゆっくりと声となり、外へと漏れ出てくる。
「アホが……現実はそう甘くねぇんだよ。お前が見ている強さには、挫折と絶望しか残ってねぇんだぞ」
「おっさん、なにを言ってんだ?」
「ああ、そうだな。理解できねぇだろうな、クソガキには! だから、その身に刻み込んでやる!! 骨の芯にまでにな!! てめぇらぁ! 手出しはするな! ガイウスどもを見張ってろ!」
彼のこの声に、盗賊の一人が戸惑いを見せるが……。
「おい、ジオラス! 何を馬鹿な――」
「黙って従え。二度は言わねぇぞ」
「あ、ああ、すまない」
ジオラスは剣を握り、揺らりと構える。
「おい、ガキ。てめぇは旅に出たばかりか?」
「ん、ああそうだけど? それがどうした?」
「へんっ、だからそんなにアホなのか」
「なんだと!?」
「てめぇはアホで純粋で、自分は何でもできるだの、物語の主人公だのと勘違いしてやがる。だがな……この世界には糞しか残ってねぇんだよ。夢もない。希望もない。あるのは、嘘塗れの世界。目の前に見える夢も希望も偽りの塊。それを、オレが教えてやるよ」
「わけのわかんねぇことばかり言いやがって!」
ジオラスは小さく首を横に振った。それはあまりにも無知で、赤子のような純白さを纏うアデルを呆れて。
彼はガイウスとフローラに冷ややかに告げる。
「ガイウス、魔法使いの嬢ちゃん。動くなよ。動けば、しまいだ」
「ぐっ……おのれ!!」
「もう! アデルなんでこんな無茶を――でも……」
(この状況を打開するには、これしかない)
次にジオラスは、アスティへ話しかけた。
「剣士の嬢ちゃんもかかって来な」
「へ?」
「オレ様が本気で相手してやる。だがそれだと、この馬鹿ガキ一人じゃ一瞬で終わっちまうからな」
この言葉に、アデルが叫び声をあげようとしたが――ジオラスはそれを許しはしなかった。
「ざけんな、俺は一人で――」
「自惚れんなよ、クソガキ! 実力の差はわかってるだろうが! オレが塩を送ってやってんだ。黙って受け取れ! それが今のお前の実力なんだよ、わかったか!!」
「で、でも――くそっ!!」
アデル自身もそれはわかっていた。一対一では敵わないことを。
一方、アスティはというと、このジオラスの奇妙な行為に疑問を抱かずにはいられなかった。
「あなたはどうして、こんなことを? こんなことをする必要なんてないのに?」
「……ただの気まぐれだ」
「気まぐれって……」
「そうだな……一つ言えば、そこのクソガキの甘っちょろさにイラついて、お仕置きをしたくなっただけだ。ほら、気まぐれな時間は長く持たねぇぞ――――来な!」




