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元勇者、魔王の娘を育てる~父と娘が紡ぐ、ふたつの物語~  作者: 雪野湯
第二章 子どもたちの目指す道

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第27話 闇と月の光が交差する影

――深夜


 町は深い眠りに沈み、夜はことさらに静まり返っていた。

 城壁から遠く離れた森。その草木の影に紛れて佇む、四つの影。

 影は深く黒衣に身を包み、夜の獣の如く森を見据える。


 空を仰げば、月は無慈悲なまでに冴え渡り、白銀の光を地上へと惜しみなく注ぐ。

 雲ひとつなく、夜の(とばり)は薄く、闇は浅い。

 光の中での潜入とは、死に手を引かれて歩むに等しい無謀 。



 それでもアスティたちは……。


「すっごい晴れてるね。お月様が綺麗」

「でも、行くしかねぇよな」

「潜入には最悪な条件……風だけは辛うじて味方してくれているけど」


「ああ、そのようだ。風の流れが、音も匂いも敵へ届かぬよう導いてくれている」


 そう呟いた老将ガイウスへ、三人の子どもたちの目が寄る。

 大柄な老人……もともと黒衣なので衣装はそのまま。それは闇に溶け込み姿を虚ろにしているが、それ以上に大きすぎて目立ちすぎる。手に持つ槍もまた巨大。



 フローラは場違いなガイウスの存在へ、目を糸のように細めながら躊躇いがちに問いかけた。

「いまさらですが、細身のエルダー様の方が今回の作戦には向いていたのでは?」

「心配無用だ。隠形(おんぎょう)の術程度なら身に着けておる」


 ガイウスは小さく息をつく。その途端、彼の存在が霧に飲まれたかのように霞む。

 三人は目の前にあるはずの巨躯を肌に感じることができず戸惑いを見せた。


「すごい、近くにいるのにいない感じに……」

「これが気配を断つってやつか?」

「気配どころか、瞳に映る姿さえも認識しづらくするなんて、素晴らしい術です」


「フフ、褒めても何も出ぬぞ。さて、斥候と陽動、退路の確保を担う者たちは、すでに森の周縁(しゅうえん)に散っている。我らも役目を果たそう」

 

 月は高く、白々と森を照らし、風だけが彼らを包み隠す。

 影のない地に、影の者たちが今、忍び込まんとしていた。




――森へ


 森の闇は浅く、月光が葉の隙間を縫って降り注いでいた。

 彼らの足音は土に吸われ、体に触れる枝葉の揺れは慎ましやか。


 黒衣の影が一つ、また一つ、音もなく木々の間を滑っていく。


 息を潜め、風の流れに身を委ねながら、影たちは前へ。

 ただ、敵の気配を探りつつ、音無き道を這うように進んでいた。


「待て」


 ガイウスの微かな声に従い、一同は音もなく歩みを止めた。

 前方の暗闇が揺らぎ、闇との境界があいまいな三つの姿を現す。


 黒衣に身を包む三つの闇はガイウスへ近づき、そっと耳打ちをした。

「ふむ、そうか。どうやら、アスティが正解だったようだ」



 頭目ジオラスが陣を構え、身を休めているだろう幕舎の位置。

 それをアデルとアスティが予測し、自分だけが助かる場所にジオラスが構えているとした、アスティの読みが的中したようだ。


 アスティは得意げな顔を見せて、アデルにこう言葉を渡す。

「朝食のベーコン、いただき」

「くっそ、大好物なのに」


 どうやら二人は、どちらの読みが当たるのか賭けをしていたようだ。

 これから敵陣の奥深くに潜入し、敵の大将を討ち取らんとする状況で緊張感の欠片もないやり取りに、ガイウスは眉を折り、二人に代わりフローラが謝罪を行う。



「申し訳ございません、ガイウス様」

「……いや、余計な緊張で体を固くするよりは良いだろう。それに、お前たちを見ていると懐かしい思い出が蘇る」

「思い出、ですか?」


「ああ」


 ガイウスは月の光を受け止める枝葉を見つめ、静かに過去を語る。

「もう何十年前だろうか? とある少年たちが、お前たちと全く同じ作戦を立てたことがあるのだ」

「わたしたちと……? ということは、状況も同じでして?」

「いや、今以上に最悪だった。敵は魔族の将軍。兵は三千。こちらはわずか三百。剣も弓も槍も尽き果て、飢えに追われ、ただ街の堅牢さに頼るだけの状況であった」


「それではもう、勝利の目は……」


「ああ、だから、もはや敵の将軍を討つほかなかった。ワシも副将として、再三そのことを軍団長に具申したのだが、聞きもらえなんだ」

「なぜですか? 何故、軍団長は座して死を待つような真似を?」


「単純な話だ。死に怯え、戦うことを恐れ、ただ引きこもっていた」

「……それは、最低な将ですね――あ、失礼しました。無礼な言葉を」

「いや、謝罪は必要ない。ワシもそう思っておる。そして、あの時、軍団長の(めい)を無視できなかった己を、今も恥じておる」


 礼節を重んじる老将には珍しい、上役に対しての礼を失する言葉。

 それだけ、彼にとって苦々しい過去なのだろう。



 話を近くで聞いていたアデルが会話に加わってくる。

「でも、結局、その少年たちって奴のアイデアを採用したんだろ?」

「いいや、軍団長により却下された。だが、少年たちはそれに憤慨し、無謀にも二人だけで、三千の魔族が待ち受ける陣へ向かった」


「――え? む、無茶苦茶じゃん」


「ああ、まったくもって無謀だ。その二人……特にもう一人の少年の雰囲気はアデルに似ているが、お前の方が遥かに賢い。アレは何にも考えておらんかったからな」

「へへ、そう――って、もしかしてその様子だと、二人は作戦もなく突っ込んだの?」

「敵の大将に近づくまでの策は講じていたがな。と言っても、こっそり近づくという程度の話だが」



 ここまで黙って話を聞いていたアスティは困惑の表情を浮かべている。

「すっごい、おバカ。アデルの言うとおり、無茶苦茶すぎる。でも、そんな作戦じゃ……」



 まともに考えれば、辿り着くこともできずに少年二人は犠牲になっただろう。三人の子どもたちはそう受け止めていた。

 しかし――――ガイウスは小さく笑みを零す。どういう訳か、寂しさを交え……。


「それがな、見事、魔族の将軍を討ち取った」

「「「え!?」」」

「三人とも、声を静めよ」


「あ、ごめんなさい」

「わりぃ、じっちゃん」

「申し訳ございません、ガイウス様」


「いや、このような状況で無駄話をしたワシに非があろう」



 

 ガイウスはそう言葉を置いて、話を閉じた。

 アスティとアデルは話の続き……特に、二人の少年の存在が気になるようだが、フローラは気を引き締めるよう声をかける。


「二人とも、今は作戦に集中しましょう」

「うん、そうね」

「ああ、失敗は許されねぇからな」


 フローラの一言で、緊張がほどけていた少年と少女は、戦士としての顔へと変わる。

 ここは敵陣。町の命運を握る作戦。失敗すれば――いや、成功しても無事に逃げ切れる保証はない。

 そのような中で、十五歳という少年少女たちが動揺を抱くことなく、策へ身を投じる。

 

 ガイウスは小さく首を振った。

(いやはや、彼らの親はどのようにこの子らを育てたのやら。おそらく、想像を絶する死線を潜り抜けてきた御仁なのだろうな。その経験を余すことなく伝え、この子たちも、それをしっかりと血肉にしておる。見事なものよ)



 老将は小さな間を挟み、決意を胸深くへ刻む。

(だからこそ、このような場で散らすわけにはいかぬ。策の成否に限らず、ワシが身を()ってして帰してやらねばな)





――斥候から報告を受け、さらに森の奥へ進む。


 やがて、木立の切れ目に緩やかな斜面が現れる。

 丘陵(きゅうりょう)――さらにその上で、かすかに布のはためく音――頭目ジオラスが休む赤褐色の幕舎。



 黒衣の影たちは言葉を交わさず、小さな頷きを見せた。

 周囲の木々に隠れながら、足音を殺して一歩、一歩と歩む。

 風が押し寄せる音だけが、鼓膜を震わせる。


 幕舎はさほど大きくなく、むしろ簡素。

 しかし、内部に潜む頭目ジオラスの存在が、その布を重くし、邪悪に感じさせる。

 周囲は静まり返り、ただ、風の舞だけが音を奏でる。


 

 あと少し――あと数歩で、邪悪を包む布へと……。



 黒衣に身を包むアスティ・アデル・フローラ。そして、老将ガイウスは幕舎をくぐろうとした。

 


「そこにオレはいないぜ、お客さん方」


 どこか(しわが)れた、底意地の悪いだみ声が背後から響いた。

 四人は一斉に後ろへ振り返る。



 彼らの視線の先に、一人の男。

 

 身長は高く、引き締まった筋肉と安定したその体躯は、戦場で培った強靭さを感じさせるもの。

 灰色がかった茶髪を白のバンダナで無造作に束ね、冷徹さと狡猾さを隠し切れない暗灰色(あんかいしょく)の瞳を鋭く光らせている。


 男は緑革(みどりかわ)の鎧と、簡素な装飾が施された湾曲の刃を持つ剣・シャムシールを身につけ、実戦を重視した装いをしていた。



「ククククク、オレの予想通り、物資が尽きかけてるなら、こんな賭けに出るんじゃないかと思って山を張ってみたが――まさか、どんぴしゃだったとはな」

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