第22話 戦局を変える刃
アスティ、フローラ、アデルの三名が、大広間に姿を現した。
彼女たちはまず、老将ガイウスと騎士エルダーに対し、深い謝意と挨拶の言葉をそれぞれに述べる。
「申し訳ありません、待たせてしまい」
「ガイウス様、エルダー様、遅れての参上、誠に無礼の段、お詫び申し上げます」
「エルダー兄ちゃんにガイウスのじっちゃん、悪い! 町のみんなにつかまっ――ごふぅ!?」
アスティとフローラが揃って、アデルの鳩尾に肘鉄を食らわせた。
二人はアデルの胸倉を掴み、憤然と詰め寄る。
「相手は貴族様だって言ってるでしょ!!」
「分を弁えて言ってるじゃないの! アデルだけじゃなくて、わたしとあーちゃんの首が飛ぶかもしれないのに!!」
「いや、ごめ――そ、そのまえに、いきが……」
アデルの顔が赤から青へと変化していく。
その様を見て、ガイウスが止めに入った。
「今は戦時下。礼儀よりも優先されるべき事柄は山積している。こちらは気にしておらんので、アデルを許してやってくれ」
ガイウスの一声で、二人は不承不承ながらもアデルを解放した。
咳き込むアデルを、アスティとフローラが睨みつける。
「もう、ガイウス様がお優しいから良かったものの」
「あーちゃんの言うとおりだよ」
「ごほごほ、悪かったって。えっと、すみません。ガイウス様にエルダー様」
彼にしては不似合いな、妙にかしこまった敬称に、エルダーの腕先にはぞわりと鳥肌が走った。
「君からそう呼ばれると、どうにもぞっとするな。もう、僕のことは今までどおりで構わないよ」
「あははは、ワシの方もかまわんぞ。アデルを見ていると、古い友人の若い頃を思い出して、懐かしい気持ちになるからな」
彼らは寛容にアデルの態度を受け入れてくれるが……フローラがそれを許さない。
「ガイウス様、エルダー様」
「何かな?」
「なんでしょうか、フローラさん?」
フローラは青い瞳を暗く淀ませて、こう静かに告げた。
「ご配慮、痛み入ります。ですが、あまり甘やかさないでくださいね……」
「あ、ああ」
「は、はい、すみません……」
場は寒々と凍てつき固まるが、戦場の針は止まってはくれない。
一同は大広場の中心に据えられた、樫の長卓を挟み込むように座った。
長卓の片側にはガイウスとエルダーが並び、相対する席へアスティを中心に置き、アデルとフローラが座る。
皆が席に着くと、さっそくガイウスは懸念事項を三人へ伝えようとしたのが……。
「実はお前たちに黙っていたことがある。このままでは戦闘の継続は難しく――」
ここから先の言葉を、アスティたちはすでに理解していた。
「軍事物資が足らないんですね」
「食料も全く足りていませんね」
「井戸があるから、水の確保には問題ないだろうけどな。井戸水の供給源が地下水で助かったぜ」
「なんと……」
ガイウスはこの秘密を見抜かれていたことに唖然とした表情を見せ、思わずエルダーへと視線を向ける。
彼は微かに首を横に振る。つまり、この情報は三人に一切漏らしていないということ。
二人の驚きをよそに、アスティ、フローラ、アデルは物資について冷静に語り始めた。
「現在、兵士はおよそ千人。よそから来た人たちは逃げちゃいましたけど、残った住民は二千人。主だった食料は乾燥肉や穀物、堅焼きパンなど。一人当たりの必要な量はおよそ1.5kg。現在、この町に存在する食料の量は、民間の物資をかき集めても精々9トン。これでは、二日しかもたない」
「武器も足りていません。特に籠城戦に必要な弓が。一兵士当たりの矢の消費量は通常は二十本。しかし、今回は籠城戦ですので、その倍以上を消費します。つまり四十~五十本ほど。ですが、備蓄はわずか三万本。状況次第では、明日には底をつきます」
「矢だけじゃねぇ。弓の予備もなければ、剣や槍の替えも不足している。本来なら、人数分の替えが必要だから、全て千本ずつ用意すべきなのに、残りは百にも満たない。これじゃあ、明日はまともに戦えるかどうか。ったく、なんでこんなに備蓄が少ないんだ? 栄えてる町なのに」
さらに、アスティたちは物資不足の実情をより鮮明に明らかにしていく。
「ええ、本当に色々足りてない。燃料も足りてないしね。城壁を照らす焚き火や照明用の油なども。ご飯を作る薪もね」
「医療セットも消毒液も包帯も足りない。どういうわけか、魔石の備蓄だけは潤沢にありますので、癒しの魔法で誤魔化していますけど……それも魔法使いが不足していて、焼け石に水です」
「今ある物資をどれだけ節約しても、もって二日が限界。しかも、この町は領主を失った状態。いくらガイウスのじっちゃんが名将でも、本来の指揮官である領主がいないんじゃ、士気を保てない。物資が尽きた時点で、俺たちの負けだ」
十五歳という若さにもかかわらず、冷静に、そして緻密に現状を語るその姿に、ガイウスは言葉を失った。
(信じられん。この年齢でここまで的確に状況を見極めるとは……)
エルダーは秘匿だったはずの物資の状態を既知していた三人へ、その理由を問うた。
「君たちはどうしてここまで詳しいんだ。これは機密扱いにしていたのに?」
三人は互いに顔を見合わせて、エルダーへ答えを返す。
「籠城戦で大事なのは物資だって、お父さんたちから厳しく習ってきたからね」
「ええ、ですから、開戦当初から、この町の物資の状態をいの一番に把握するために動いていました」
「そしたら全然足らねぇでやんの。仕方なく、これもまとめておいた。万が一のために」
そう言って、アデルが卓上に置いた書類の束を、エルダーが手に取る。
「アデル、これは?」
「食料が枯渇したときのための、食料以外の食料の把握。野草や小動物や虫なんかのね」
「なっ!?」
「でも、それが必要になるほど、士気を維持できないだろうから、意味ないけど。それでも一応な」
「君は……君たちは、そこまで最悪の事態を想定していたのか……」
「父ちゃんたちにそこらへんは厳しく指導されてたからな。なぁ、エルダー兄ちゃん? 援軍がここに来るまでどのくらいかかる?」
アデルの問いには、エルダーではなく、老将ガイウスがゆるりと顎を引き、低く、重々しい声で応じた。
「盗賊どもが街道を完全に封鎖して、こちらからの連絡手段を断っている。となれば、他の町から、デルビヨの現状を気づいてもらうしかほかない。仮に早々と気づいたとしても、軍の編成と進軍を含め、最短でも二十日は要するだろう」
「て~ことは、今日で三日目。戦えるのは残り二日。十五日も足らない。せめて、物資があと四日持てば何とかなるのになぁ」
アデルが零したその『四日』という数字に、ガイウスは眉をひそめ、疑念を含んだ声で問い返す。
「四日? なぜ四日持てばよいのだ?」
「ヤーロゥおじさんが戻ってくるから」
「ヤーロゥ?」
ここでアスティが手を上げて答えを返した。
「私の父です。旅の引率者みたいな感じでして。今はちょっとした用事で離れてますけど」
「父君が戻ってくれば、現状を打破できると?」
「打破できるというか、あっさり勝っちゃうと思います」
食料は底を突きかけ、戦力差は絶望的。
街道は蟻一匹すら通せぬほど封鎖されているというのに、そこを通り抜け、父親が戻り、勝つという少女の言葉に、ガイウスは眉間に皺を走らせる。
隣に座るエルダーは三人に聞こえぬよう、声を潜めて言う。
「ガイウス様。どうやら、アスティさんの父君が、彼女たちの師のようですね。そのため、全幅の信頼を寄せているのでしょうが……過大な期待のようにも見えます」
「そのようだな」
一方、アスティは、四日という時間に頭を悩ませている。
「その気になれば持たせられるだろうけど、犠牲がどれだけ出るかわからないし」
「だよな~、飯もまともに食えないのに、戦えって無茶ぶりすぎるし。飯が少なくても、せめて士気さえ上がれば、少しは犠牲者を抑えられるかもなぁ」
二人の声を聞いていたフローラには、二人が思い悩んだ犠牲者を抑えつつも、四日という時間を稼ぐ方法が一つ浮かんでいた。
だが、それを行えないジレンマに苛立ちを表し、長卓を拳で打った。
「もう! アデルの言うとおり、士気さえ上がれば何とかなるのに!! メディウス様のご息女であらせられるエミリア様は何をなされているのですか!? この地の象徴であるお方が、民に寄り添うだけで……たったそれだけで、どれほど士気が上がるか!」
そう、これが唯一の解だった。
物資も食料も不足しているこの状況で、犠牲者を抑えつつ、四日の延命を行える最も効果的な手段。
それはつまり、領主の娘であるエミリアが先頭へ立ち、民を鼓舞し、進むべき道を示すこと。
しかし、そのエミリアは戦場に姿を見せぬばかりか、この戦の趨勢を左右する、この大広間にすら姿を現さない。
このフローラの非難じみた声に、ガイウスは落ち着いた調子で諭すように返す。
「メディウス殿は伴侶を亡くし、残された娘エミリアを何よりも大切に育ててこられた。故に、こういった荒事は不得手なのだろう。そのため、ワシに全てを一任された次第だ」
「そういった事情は顧慮しているつもりです。ですが、せめて、傷つき倒れた兵士や、怯える住民の皆さんへ、一言だけでも声をかけてくだされば――」
「フローラ、それ以上は過ぎる。抑えてほしい」
ガイウスの諫めに、フローラは苛立った心を静め、数度深呼吸を行い、己の胸中に湧いた怒りを押し留める。
ささくれ立った空気が大広間を包む。
その空気に耐えかねたエルダーが、話題を変えつつ、ある提案を口にしたのだが――。
「ともかく、食料の備蓄が心許ない。明日からは食料の配給を制限して――」
「そいつは間違いだぜ。エルダー兄ちゃん」
「え、間違い?」
アデルは言葉を遮って、長卓の上に町の周辺地図を広げた。
エルダーは何事だと地図へ若葉色の瞳を落とすが、アスティとフローラはアデルの考えを理解しているようで、くすりと笑う。
「なんだ、同じこと考えてたんだ」
「まぁ、これしかないかも。力技だけど」
戸惑うエルダーを横に置き、ガイウスは長年戦場を見つめてきた老練な琥珀の瞳で三人を見つめた。
「策があるのだな。アスティ、アデル、フローラ」
「ええ、この三日の戦いで、敵の指揮は盗賊の頭目だけが執っていると把握しています」
「うむ、頭目ジオラスがおらぬ部隊の動きはさしたる脅威でもなく、動きも散漫だからな」
「で、こっちは食料も物資も底を突きかけてる。だから、底を突く前に俺たちが動くしかないってわけだ」
「その通りだ。問題はその中身――どう動くかだが」
「援軍の見込みもなく、二日後には降伏しかない。ここに至ってはもはや、一つしか策は残されていません」
「それはなんだ?」
ガイウスは大きく目を見開き、三人の子どもたち――いや、戦局を見据える戦士たちの顔を、一人ひとり見据えた。
三人は無言で頷き合い、そして、声を揃えて策を明かす。
「頭目を討つ!」
「指揮官の撃破!」
「大将首を獲る!」




