第21話 静謐なる屋敷にて――才、未だ知れず
――――領主メディウスの屋敷・現指揮所
領主であるメディウスの屋敷は、華美にも質素にも偏らぬ中庸な佇まいでありながら、堂々たる風格と静謐なる威厳が息づいていた。
三階にまで及ぶその構えは、領主の血統を代々積み重ねてきた時間と誇りの象徴であろう。
正面を守るは、重厚なる鉄の門扉。
連なる格子細工の塀は、精緻な意匠を備えながらも過剰な華美を排し、潔い節制と品格を湛えている。
格式高くも古びたる様子は見られず、かといって贅を誇示する気配もない。
実に、清廉の趣きすら漂う屋敷であった。
屋敷の姿を通して、今は亡きメディウスの沈着にして廉直なる人柄が垣間見える。
その屋敷の中央、屋敷の心臓部に当たる位置には大広間。
十人以上が左右に並んでもなお余りある、重々しき樫の長卓。
歳月を織り込んだ渦巻きが浮かび上がる木目の表面には、幾度となく打ち据えられた拳や、ペンの筆圧によって刻まれた線が走っていた。
ここでは多くの熱籠る激論が交わされたのであろう。
しかし今は、広間に熱はなく、空気は沈み、肌寒さすら感じさせる。
その長卓から離れた窓辺には、二人の男が立ち、会話を交わしていた。
一人は退役軍人である老将ガイウス=アイン=ゴールドクレスト。
彼は現役時代、巨躯に纏う重装鎧と大槍を振り回す戦いの荒々しさを讃えられ、獅子将軍と称されていた。
だが今は、その肉体に見合う豪奢なる武装や装飾の姿はない。
老将の衣は簡素ながら、上質な静けさがそこにあった。
黒染めの長衣は緩やかに体に沿いながら、無駄のない断ち方で仕立てられており、黒の衣は老いの象徴である白髪と交わることで威厳を静かに語る。
ガイウスは多くの禍福を刻んできた琥珀の瞳を一人の若い男へ振った。
その若者の名は、エルダー。
下級貴族の生まれである彼は七歳の折りに小姓としてガイウスの下へ訪れ、十五にして騎士の補佐役である従者となり、十八となった今では正式な騎士として仕えている。
エルダーはガイウスの片腕として、常に深青の綴甲を纏い、長剣を携える。
鎧は、深青の革に鉄の小板を丹念に縫い綴じたもので、胸部には鈍い光を放つ鉄札が幾列にも並び、肩や太腿には柔軟な革が使われていた。
肩に届く新緑の髪は軽やかに揺れ、若葉の露を思わせる澄明な緑の瞳と合わさって、見る者の目を惹きつける。
だが、その魅力的な外見に反して、常に眉は少し困ったように下がり、どこか頼りなげな雰囲気を纏う。
剣技はガイウスの下で鍛え上げられ、確かな腕前を誇るのだが……。
ガイウスは若き騎士へ、ゆっくりと話しかけた。
「今日も生き延びることができたな」
「はい。ですが、それも……」
「ああ、町の者たちには悟られぬようにせねばな」
盗賊相手の籠城戦。
ガイウスにとっては、さほど難儀な戦ではなかった。
だが、その裏には大きな懸念が影を差しており、このままでは……。
彼は軽く首を振り、話題をアスティ・アデル・フローラのものへと移す。
「今日の戦いにおいても、あの少年少女たちは活躍を見せたようだな」
「そう報告を受けています。実に見事ですが……彼女たちは一体何者なのでしょうか? 傭兵という雰囲気もありませんし、かといって貴族や騎士という雰囲気もなく……」
「正体は知れぬが、彼女たちのおかげでデルビヨの町は生き長らえている。それにつけても……彼女たちの才覚の恐ろしさよ」
「ええ、剣や魔法の腕もさることながら、戦術においても基本をしっかり学んでいる様子で」
「ワシが瞠目したのはその才ではない」
「え?」
ガイウスはガラス窓の向こう側を凝視し、三人の若き戦士たちを、一人一人と評していく。
「アデルという少年。戦う姿は仲間たちを鼓舞し、共に肩を並べ歩もうという思いを膨らませていく」
続けて、通りを行き交う者たちに目を向けながら、彼は語る。
「アスティという少女。戦いへ赴く彼女の背中に多くが惹きつけられ、怯えに沈む者たちへ勇気を与える。まるでその姿はジル……いや、さすがにそれは……」
老将はひとつ、喉の奥で小さく笑い、最後にフローラについて語る。瞳は遠謀を望み……。
「そして、フローラという少女。彼女の声は数多の者たちの心へと届く。齢や経験に関わらず、彼女の言葉は人の胸奥に届く。勇士であれ、童であれ、彼女の声を聞けば心を痺れさせて、音に酔う。三人皆に人を惹きつける才があるが、その中でも彼女は群を抜いておる。それは恐ろしいほどに……」
ガイウスはフローラの人の心を惹きつける声の強さに、杞憂とも知れぬ想いに囚われていた。
しかし、その思いに気づかないエルダーは手放しでフローラを褒める。
「たしかにフローラさんの声には不思議な魅力があります。普段はとても落ち着いた雰囲気でありながら、そこに強い感情を乗せると心を激しく打つ。それは一瞥するだけで時が止まり、呼吸さえ忘れてしまう美しさと相まって――っと、まぁ、ですね!」
急に言葉を切ったエルダーは、顔を赤らめて何もない場所へと目を逸らした。
そのあからさまな態度にガイウスは小さな笑いを立てるが、それには触れず、話の歩を進める。
「残存兵が若き者ばかりだったということもあるが、才あれど、十五歳の少年少女が、反発を覚えさせることなく見事なまでにまとめ上げておる。統率の才があるというのもまた舌を巻く」
「アデルに至っては、ガイウス様に連なる熟練の者たちもまとめ上げてますからね。というか、彼は物怖じしなさすぎだ」
彼は困ったような眉をさらに下げて、困り顔を見せている。
その下がった眉へ、眉根を寄せてぶつけるガイウス。
「何かあったのか?」
「剣の勝負を挑まれました。貴族の騎士がどれほどのものか知りたいとかで。アスティさんとフローラさんが止めてくれましたが……」
「はははは、それは災難であったな」
「笑い事ではありませんよ! こんな状況で何を考えているのやら。それに一応、僕は貴族ですよ。なのに、あの物言い。他の貴族であったらどうなったものか」
「たしかにそれは、今後の彼の身に関わることだな。今は戦の最中なので、そのことは脇に置くとして……エルダー、何故相手をしてやらなかった?」
「戦いの前に味方を怪我させるなんてできませんよ」
「そうか……お前ほどの腕をもってしても、遊んでやれるほどの相手ではないか。あの少年は……」
「ええ、今はまだ僕の腕が勝ってますが…………いえ、まだまだ負けるわけには!」
エルダーはぐっと拳を握り締めた。
彼の拳の内側には、何度も皮を擦り剥き、タコを潰し、鍛え上げてきた剣を握るための手がある。
彼はガイウスの下で修練を積み重ねてきた。
相手が才能ある存在であったとしても、そうやすやすと背中を越えられてたまるものかという、剣士としての意地と誇りがある!
猛るエルダーの姿を見て、ガイウスは目を細めた。
「フフ、良い刺激になりそうだな」
「ん? ガイウス様、いま何かおっしゃいましたか?」
「何も言っておらんよ。それよりも、彼女たちが来たようだ」
ガイウスは大広間と廊下を繋ぐ、重厚な木製の扉へ顔を向けた。




