第17話 双子の鍵
俺は言葉の刃によって斬られた肩口を、脱げかけた服の裾でも正すかのように「よいしょ」と元の位置へ戻し、慌てる素振りひとつ見せず、短く問いを返す。
「どこまで把握しているんだ?」
「ふふ、まったく動じないか。以前のお前よりも、腹が据わったようだ」
「そんなのいいから、質問に答えろよ。ほらほら」
「そういうところは相変らずだな……とはいえ、こちらが先に情報を渡すとしようか。呼び出したのは私だからな」
アルダダスの持つ情報は以下の通り。
・異界の侵略者の存在を把握していること。
・前魔王ガルボグがそれを誰よりも早く察知し、備えを講じていたこと。
・その備えの一つとして、最東端に位置するレナンセラ村を筆頭とした村々を設けていたこと。
そして――
「ガルボグは異界の侵略者に対する最大級の対抗策として、彼の子である双子の娘の存在があったと聞く。これについての真偽は?」
「その答えを返す前に、こちらから先に問わせてもらおうか」
「なんだ?」
「アルダダス、侵略者に対するあんたたちの対抗策は? それはどこまで対抗できている?」
侵略者に対する対抗手段。
これはお互いにとって最も秘匿性の高い情報と言える。
そのため、軽々に渡せるものではない。
敵が共通しているのならば、互いに情報を共有すべきではないか――そう考える者もいよう。だが、現実は甘くない。
安全保障とは『信じきれぬ者に背を預けぬ』ことに他ならない。
特に今回の敵は、人の心に宿り、その性質を変質させる力を持っている。
つまり、俺もアルダダスも、互いに変質した心を隠しているのではないかという疑いが根底にある。
この猜疑が解消されない限り、腹を割っての話はできない。
問題は、お互いに、それをどう解消するかだが……。
アルダダスは両手を広げて、体全体を俺に曝け出す。
「私から黒い煤は漏れ出ているか?」
「出てないな。だが、自在に操れる可能性もあるから、なんとも……」
「たしかに……しかし、お前は見えた。そして、それを隠すことなくリリスへ伝えた。私はそれを信頼の証として受け取ろう」
「なに?」
アルダダスは燃ゆるような深紅の瞳で俺の目を射抜くように見つめる。
その視線はあまりに真っ直ぐで、俺の翡翠色の瞳を、紅に染め上げんばかりの圧力を帯びていた。
彼は一呼吸を置いて、口を開く。
「対抗策は魔力核の有無だ。人型の異界の侵略者は魔力核を持たない。そのため、ある道具を使えば、対象の魔力核の有無で判断が可能であり、正体を見破ることができる。その道具が、この魔石だ」
そう言って、正二十面体の姿をした、蒼黒の魔石を俺に手渡そうとする。
「おいおい、そんなもん、俺に渡していいのか?」
「私はお前に、信頼してもらえる証拠を何も持たない。だから、ここまで踏み込まねばなるまい」
「……わかった」
俺は彼から正十二面体の魔石を受け取り、手のひらほどの大きさの魔石をじっくりと観察する。
魔石の内部には、微細な線と曲線が幾重にも交差し、極小の迷宮のような図形が刻まれている。
らせん状の配列や繰り返し現れる五角星、数列のように等間隔に配置された符号などもまた刻まれる。
それらは素人目にはただの模様にも見えるが、これらの記号群は術式構文の一種。
「ほぅ、かなり高度な演算式を用いている。作った奴はまさに天才だな」
「わかるのか? そう言えば、お前は案外そういうことに詳しい方だったな」
「ガキの頃に頭を押さえつけられながら勉強させられたからな」
「フフ、そうか」
「それで、こいつの使い方は?」
「魔力を籠めて対象者に近づけるだけだ。通常であれば淡く光るだけ。だが、魔力核を持たなければ激しく明滅する」
「ふ~ん」
俺は用心を怠ることなく魔力を魔石に籠めた。魔石を俺に近づけると淡く光る。
アルダダスに近づけても淡く光る。
「ふむ……ここに魔力核を持たない奴がいないから、いまいちわからんな」
「これでは足らないか?」
「いや、十分だ。こいつを詳しそうなやつに預けて分析させようと思うが……構わないよな?」
「ああ、それはお前にやったものだからな。好きにしろ」
「さらに問いを重ねるが……昇華生命体の侵略者に対する対策は?」
「特定の周波数を帯びた魔力波を発する道具を着用することで、心への侵入を防ぐことができる。ただし、完璧とはいいがたいが」
「……対抗策の方は?」
「それはお前たちと同じだ。人の姿と同様、昇華生命体の侵略者にも魔法は通じない。だから、圧倒的な物理攻撃で押し潰すほかない」
「昇華生命体は肉体を持たない。それなのに、物理攻撃が通用するのか?」
「それについては私も疑問に思ったことがある。だが、調査の結果、彼らは物理攻撃に対して苦々しい記憶を所持しているようで、ある一定レベルの物理攻撃を加えると、自身の記憶によって傷を負うようだ」
「自分の記憶で傷がつく? 妙な存在だな」
「ああ、まったくだ」
今の話が事実だとすると、物理攻撃という目に見えて分かりやすい攻撃が侵略者の記憶を刺激し、それにより過去の忌まわしい記憶が蘇り、自らを蝕むということになる。
たしか、俺たち人間でも、過去の記憶の刺激によって、傷ついていない体に傷が浮かんだりすることもあると言うが……そういや、医学の世界では、心の傷として研究されていると聞いたことがあるな。
この情報には実に驚かされた。
しかし、俺はまったく別の件について、より深い驚きと警戒を抱く。
「『お前たちと同じだ』、という言葉。その様子だと、あんたは最東端領域に秘蔵された兵器類まで把握しているみたいだな。いつの間に調べ上げたんだか。まったく、抜け目ねぇな」
「フフ……次はこっちの質問に答えてもらおう。ガルボグの子。双子の存在は真実か否か?」
彼は鋭い光を見せる深紅の瞳で俺の全身を包み込み、俺の反応を余すことなく見つめる。
その眼差しは、真偽を見極めるため。
だから俺は、一切の動きを止めた。
指一本動かさず、瞳も固め、息すらひそめ、聞こえぬはずの鼓動さえも抑え、焦らず、ここでも質問に答えることなく、逆に問いを返す。
「問いに問いを重ねて悪いが、まだ懸念がある。クルスがノーレインの村に現れたのは、レナンセラの動向を把握されたからと受け取っていいんだな?」
「ああ」
「だが、何故勇者クルスを送ってきた。通常であれば偵察隊、次に軍じゃないのか?」
「それについては申し訳ないと思っている」
「うん?」
「軍を動かさぬよう横やりを入れたのだが、陛下が直接クルスに偵察を命じてしまったのだ。まさか、人間族最強の剣をいきなり動かすとは誤算だった」
「ああ、それで」
「命じた理由には、レナンセラの脅威を測る意味合いもあったようだ。軍が動かせぬなら、最強をとな……」
レナンセラの備えを測るために、陛下は軍を派兵するつもりだった。
しかし、アルダダスがその動きを封じたことで、陛下はいっそのこと最強の剣――勇者クルスをぶつけようと考えた。
もし、ただの村であれば、ノーレイン村のようにあっさり壊滅する。
だが、勇者クルスを退けるほどの備えがあれば、陛下――――すなわち、侵略者は本腰を上げて侵攻を開始するつもりだった。
この時点で、侵略者側もアルダダスも、村についてはある程度の把握を終えているわけだ。
さて、ここからが重要な問題だ――――それは、魔族側にいる侵略者の存在。
(ガルボグの息子――カルミア。あいつは赤ん坊だったアスティを狙っていた)
アスティのみならず、他の兄妹にも魔手は伸びていた。もちろん、双子の妹にも……。
仮に、カルミアが取り込まれた側とすると……侵略者はすでに双子の切り札の存在を認知している可能性も……。
(あの時のカルミアの行動がそのためだと言い切れないが、現時点では把握していると思った方がいいな)
アスティを取り巻く環境が、目に見えて悪化している。
レナンセラ村、アルダダス、カルミア、そして侵略者――娘は今や、あらゆる勢力の注目の的。
(仮に、旅に出なくても、こうなっていたわけか)
何とも嫌な感じだ。知らぬ間に盤面を用意されて、気づけば四方を囲まれ、すでにやれることは少ないという……。
しかし、これ以上このことに頭を悩ませても、時間ばかりを奪われるだけで答えが出ない。
今はアルダダスへの返答へ頭を切り替えよう。
双子の存在――アスティと、その妹であるプリムラについて。




