第15話 交易の町デルビヨ
――――人間族の町・デルビヨ
ここまでの道中、多少心に重石がくっつくようなことはあったが、旅そのものはおおむね平穏に推移し、交易の町デルビヨへと到着した。
この町は、レナンセラ村から見て南西の方角にあり、歩いて半月ほどかかる距離に位置している。
もし地図上でレナンセラと、壊滅したノーレインを直線で結んだとすれば、デルビヨはその二点を底辺とした、三角形における南側の頂点にあたる。
三つの村と町は、まるで目に見えぬ三角形を描くように、大地の上に散らばっているかのようだ。
町の規模は中程度ながら、人口はわずか二千ほどで、交易の町としてはやや少ない印象を受ける。
その理由は、この町が、周辺の村々から運ばれてくる様々な物資を集め、取引の場として機能しているにすぎないからだ。
つまり、町は舞台を用意すれど、主役はあくまで外から訪れる旅人や商人たちというわけだ。
このため、他所からの出入りは頻繁にあるものの、定住する住民はごく限られた者たちにとどまっていた。
さらに特筆すべきは、兵の数が三千にものぼり、人口を上回っている点。
理由の一端によそ者の監視という目的もあるだろうが、何よりも根本にあるものは、町の近くに盗賊の塒があり、絶えず緊張を孕む情勢が続いていることが挙げられる。
こうした背景から、町は真四角の形状をとり、周囲は高さ四メートルほどの城壁に囲まれていた。
その城壁の内側では、主要な街路がきちんと舗装され、日々多くの人々が行き交っている。
馬車が轍を刻み、人々の声が交錯する通りには、各種の商店が軒を連ねており、繁華な喧噪が四方より絶えず湧き上がる。
レナンセラ村ではまずみられない景気の良い光景なのだが……町の住民の様子が少し妙だ。
(栄えているように見えるが、どうも住民にいま一つ生気がないような? 何やら未来を憂いる沈痛な色が見え隠れしているな)
先にも触れた盗賊の存在が、町に重くのしかかっているのだろうか?
(たしかこの町は、メディウス家が治めていたはず。代々、凡庸ながら必要最低限の政務は熟してきた家系だったよな――と、いかんいかん。今の俺はヤーロゥ。余計な詮索をよそう)
気を取り直して、町について話へ戻そう。
ここは人間族の町のため、魔族の血を引くアスティとハーフのフローラは、村長からいただいた、六芒星の頂点に魔石を散りばめたバッジを使い、その力によって人間の姿へと姿を変えている。
人のように丸耳で、口元に牙のない娘の姿は実に新鮮だが、同時に違和感を覚えてしょうがない。
だが、これで安心して、人間族の町に入ることができるというもの。
念のため、バッジは人の目に触れぬよう、衣服の内に隠してある。
俺もまた、俺のことを勇者と知る者がこの地にいる可能性を念頭に置き、フードを深く被り、顔を晒さないよう注意を払った。
俺はバッジに手にして、変身機能に付随した通信機能を操るが……。
「なんか、うまく機能してないな。聞き取れないわけじゃないが、声が聞き取りづらいというか」
これにフローラが、町の中央をじっと見据えながら答えてきた。
「中央に魔石の反応があります。おそらく盗賊への備えのための備蓄だと思いますが……いえ、それにしては量が多すぎる気が……?」
「どうした、フローラ?」
フローラは軽く頭を振って、肩を竦めた。
「いえ、何でもありません。備蓄されている魔石から生み出される魔力波が、通信に干渉しているのだと思います。わたしでも多少の調整はできますが、長距離通信は難しいと思いますよ」
「そうか……そうなると、町の外に出れば、連絡を取りにくくなるな」
町の外に出る――俺はアルダダスとの会談に臨むため、子どもたちをこの町に残していくつもりだ。
アルダダスとはかつて友だったとはいえ、それは十五年前の話。
クルスのように異界の侵略者の影響がなくとも、アルダダスもまた何かが変わったかもしれない。これはそのための用心。
「にしても、困ったな。連絡が取りづらいせいで不安要素が増えた。ここはフローラにしっかりしてもらわないといけないな」
「……はい、上手く手綱を締めておきます」
そう言って、俺たちはアスティとアデルの姿を瞳に映す。
「うわ~、アデル見て見て! お店がいっぱい! 村じゃ考えられないよ!」
「おう、人もいっぱいだしな! それにあの高い建物! すっげぇ、五階建てとか! どんな人が住んでんだろうな!!」
「あっちには塔みたいなのもあるよ! 上に登れるのかな?」
「お、あれは教会か? でっけいし、いっぱい絵みたいなのが刻まれてて綺麗すぎるだろ!!」
二人は完全にお上りさんと化して、はしゃぎにはしゃいでいた。
その喜びようは微笑ましくも、同時に幾ばくかの不安を呼び起こす。
「はぁ、不安だ……フローラは平気なのか?」
「二人に出し抜かれたので、今回はわたしが止め役です」
「ふふ、面白い関係だな」
以前も少し触れたが、仮にフローラが先にはしゃいでいたら、アデルが止め役に回っていただろう……壊滅したノーレイン村の時は、三人とも好奇心に呑まれ、誰一人として冷静さを保てなかったが。
だが、たいていの場合は三人の間で役割が生じている。
物事を冷静に見つめる役目とそうでない者と。
ある意味、それは損な役回りでもあるが……その役割を最も多く担うのはアデルであり、アスティは常にはしゃぐ側。
「……フローラ、娘がいつも迷惑をかける」
「いえいえ、あーちゃんが楽しんでる姿を見るのは大好きですから」
「そう言ってくれるとありがたい。だが、釘は刺しておかないとな」
俺は両手をパンパンと打ち鳴らし、二人に話しかけた。
「ほらほら、はしゃぎたい気持ちはわかるが少し抑えろ」
「だって! あちこち見たいし!」
「おじさん、自由時間! 少しでいいから自由時間を頂戴!!」
「まったく自由時間も何も、しばらくお前たちだけになるんだからあとでたっぷりその時間が来るだろ。とりあえず、宿を取るから、そこで待っててくれ。おそらく、十日ほどで戻ってこれるから」
「ねぇ、お父さん。私たちもついて行っちゃダメなの?」
「状況がどう転ぶかわからないからな。お前たちはこの町に残った方が安全だろう」
「でも……」
「なに、心配するな。クルスは怪我でしばらく動けないし、あれほどの強敵にそうそう出くわすこともないだろ」
そう言いながら、俺は懐から金を取り出す。これは十五年前、レナンセラ村に訪れる以前に、俺の手元にあった金だ。
「村では物々交換が主流で、金銭のやり取りは慣れてないだろうが、計算くらいはできるだろう?」
「うん」
「預けておくから、好きに使え。無駄遣いはするなよ――と言いたいが、その感覚は難しいか?」
「大丈夫、自制くらいはできるから! ね、アデル!」
「ああ、出店の美味そう飯を食べ歩くくらいしかしないぜ!」
二人は仲睦まじく「ねぇ~」っと声を掛け合っている。
その様を目にした俺は、胸に残る不安を拭い切れぬまま、フローラに視線を送る。
「……フローラ、本当に頼んだぞ」
「はい、任せておいてください!」
二人のことはフローラに託し、俺はアルダダスとの約束の場所――『あの場所』へと赴こうとした。しかし、その足をアスティが止める。
「あ、そうだ。お父さん、例の人と会った後はどうするの?」
「ジャレッドと連絡を取って、その後の協議次第かな」
「協議の間は?」
「そうだなぁ……」
俺は町の真南を向く。
「この町から南へ下った場所に俺の故郷があるから、一度顔を出しておいた方がいいか?」
「え、お父さんの故郷!?」
「ああ……でも、結構距離があるからまた今度で――」
「私、行きたい!」
アスティの高らかな声に、アデルとフローラも続く。
「俺も興味ある! だって、勇……の故郷だもんな!」
「ごめんなさい、ヤーロゥさん。わたしもぜひ、訪れてみたいです」
「別に謝ることもないが……なんもないつまらん村だぞ。あるの稲田とキャベツ畑くらいで」
「それでも行きたいの! だって、お父さんの家族がその村にいるんでしょ? 一度会ってみたいし。それにお父さんだって十五年以上会ってないんでしょ? 積もる話ってのがあるんじゃない?」
「積もる話? あるかな?」
「あるでしょ! だって、ずっと連絡を取ってないんだから! お父さんのお母さんやお父さんも、きっと心配してると思うし」
俺は両腕を組んで、大量の疑問符を纏いつつ体を傾ける。
「してるかなぁ??」
「してるに決まってるよ。お父さんだって、私とずっと離れ離れになったら心配してくれるんじゃないの?」
「それはもちろんするさ」
「だったら、同じだよ」
「いや、お袋と親父はしないな」
「え?」
「俺の村の連中は淡白な者ばかりで、俺ほど感情豊かじゃないんだ。だから、お前が思い描くような情に厚い親子像はないぞ」
この俺の言葉に、アスティ・アデル・フローラは口々に反応を示した。
「どんな親子関係なの……?」
「むしろ、ますます興味が湧いた」
「たしか、異端の神アスカを祀る村でしたよね? だから、価値観が違うんでしょうか? 実に興味がそそられます」
三人の眼差しが、真っ直ぐと俺に注がれる。
俺はその視線を受けつつ、頭をぽりぽりと掻いて、こう返した。
「ま、暇があるようだったら顔を出してみるか。お前たちを連れてな」
―――――――――――
こうして、話は一段落つき、俺はアルダダスとの約束の場所へ向かうこととした。
アスティとアデルとフローラはデルビヨの町でお留守番。
フローラには二人が羽目を外さないように監視を頼む。
また、最悪の場合を想定し、アスティとフローラの素性が露見したときのために、秘密の合流地点も定めておいた。
俺はデルビヨの町の西門から外へと出ていく。
その途中、背後より洩れ聞こえてきた町の男たちの会話が、ふと耳を掠める。
「領主様、大丈夫かな? 二千の兵士を連れて出たって話だけど」
「あの方ならうまくやってくれるだろ。これで盗賊の不安から解消されるってもんだ。兵士だって、デルビヨの精鋭ばかりだからな」
俺は足を止めることなく、会話の余韻を胸の奥で反芻しながら、思考を巡らせる。
(デルビヨの領主メディウス家は盗賊対策に乗り出してるのか? 凡庸と言われてるが立派な領主様じゃないか。しかし、盗賊か……気になるが、町の防備は固そうだし、問題はないだろう)
――俺はこのとき、己の身に忍び寄っていた緩慢な衰えを、正確に見極められずにいた。
現役を退き、十五年。
肉体こそ、かつての全盛と比べ、八割の力を保っていたものの、戦士としての思考の冴え――つまり、瞬時に戦況を見抜き、最適な一手を打つための感性と直観は、静かに鈍色へと褪せ始めていた。




