第5話 黒煤纏う勇者クルスと父ヤーロゥの剣
クルスは大きく背を反らせ、天を仰ぎ憎しみを咆哮した。
俺は急ぎ、子どもたちへ指示を与える。
「アスティ、アデル、フローラ! 今すぐ来た道を戻れ!!」
「え、え、え? 一体何が?」
「おじさん、状況を! あいつは誰!?」
「そうですよ、全然意味が――!!」
「敵は勇者クルス! 事情は知らんが、魔族に対して過剰な憎しみを抱いている。ここは俺が食い止めるから、お前たちは戻れ!」
「でも、おとう――」
「これは命令だ!!」
――初めてだった。
娘に対して命令などという言葉遣いをしたのは……。
しかし、事態は急を要する。
親子の情愛を挟んでいては、子どもたちを助けられない!
「アデル! フローラ!」
「わかった!!」
「はい!」
二人は名を呼ぶだけで、俺の意図を汲み取ってくれた。
アデルはアスティの腕を掴む。
「アスティ、行くぞ!」
「だけど、お父さんを置いて――」
「俺たちがいたら足手纏いなんだよ! わかるだろ、目の前にいる奴のヤバさが!!」
まだまだ荒削りだが、彼らは一端の戦士。
相手の力量を見極める目は持っている。
アスティは奥歯をギリッと噛みしめて、俺へ声をかけた。
「クッ――お父さん、あとでちゃんと事情を話してよね! 必ずだよ!」
「もちろんだ! 必ず戻る!」
「それと、クルスって人を取り巻いている黒い煤には気をつけて! 嫌な感じがするから!」
「煤?」
俺はクルスへ目を向ける。
すると、アスティの言う通り、彼の体から黒い煤のようなものが立ち昇っていた。
(どういうわけだ? アスティから指摘されるまで、まるで気づかなかった……)
それは俺だけではない。アデルとフローラも同様に戸惑いを見せていた。
「ホントだ、なんか湧いてる?」
「なんで気づかなかっただろう? こんなにはっきり見えてるのに……」
クルスから湧き出る煤は一体何だろうか? 何故、アスティだけがそれを視認できて、気づき、俺たちにも見えるようになった?
疑問は尽きない――が、今はそれどころではない!
「お前ら、今は逃げることに集中しろ! 追手が掛かるが防戦に徹して、ひたすら元来た道を戻れ! この意味、分かるな!?」
「うん!」
「おう!」
「はい!」
三人は駆け出す。
同時に、クルスの背後にいた白装束を纏う五つの気配が三人を追って、俺の横を通り過ぎて行く。そいつらもまた、クルスのように黒い煤に包まれていた。
俺は子どもたちのために追手を斬り捨ててやりたかった。しかし、目の前にいる敵――――クルスがそれをさせてくれない!
彼は殺気という目に見えぬ針で、俺の四肢を縫い留めていた。
追手が通りすぎると、その針の気配が僅かに緩み、それに合わせて、俺は腰につけていたナイフへ手を置く。
クルスはぶつぶつと呟き、やがてその声は狂気を孕んでいく。
「どうして、魔族が娘? 貴族連中の言う通り、ジルドラン様は裏切っていた? 裏切り、許せない。裏切り者には死を。そうだ、死を与えるべきなんだ! 許さない、ジルドラン! 人間族を、私を……僕を裏切ったなんてぇぇえぇえ!!」
クルスが白銀に輝くオリハルコンの長剣を引き抜く。
華美な装飾はなく、鍔の部分に魔力を増幅させる赤色の魔石が納まり、同じく魔力を増幅させるオリハルコンと相まって、それは見事なまでに実戦に見合う勇者の一振り。
彼の動きに合わせ、俺もナイフを引き抜き、こう唱えた。
「芙蓉剣・ヴィナスキリマ!!」
手にしたナイフは変幻自在の武器。
名を呼ばれたナイフは、黒く長い剣へと変化する。
柄には桃色の大輪の花である芙蓉の花模様が刻まれ、左右の鍔が花弁のよう開き、姿を現す。
昔の俺であれば、幅広で分厚い大剣へと変化させていたが、今の体力では素早くそれを振るう自信がない。相手が長剣となれば、剣速に追いつくためにはなおさらだ。
さらに一対一となれば、使い勝手の良い長剣が最適。
俺は片手に剣を収めて、猛る赤き魔力を天へ昇らせつつも、心は凍てつかせ、揺らりと構えた。
対するクルスは両手でしっかと剣を握りしめて、憎悪を露わとする。
「ジルドラン……裏切り者のあなたには死すら生温い。ですが、温情。ただ、斬り捨てる。その後はあの娘も!」
「そんなこと、させると思っているのか、クルス?」
「年老い、勇者をやめたあなたはもう、私の敵ではない」
「おいおい、だったらそんな奴を誘うなよ」
「象徴として、あなたは人間族に希望を与える存在だった。バラバラになった人間族の心を、唯一、纏めることのできる方だった。だからこそ……だからこそ……裏切りが許されないんだぁぁあぁ!!」
クルスは一気に俺の懐へ踏み込み、剣を振るう。
俺も剣で応え、迎え撃った。
――ギンッ!
金属同士がぶつかる音と共に、無数の火花が散る。
巻き起こる剣風によって背後にあった家が吹き飛ぶ。
俺は刃を滑らせて彼の剣を左へいなし、バランスを崩させると、すぐさま体を捩じり回し蹴りを見舞う。
しかし、それはクルスの頭上で空を切り、身を屈めた彼は発条のように跳ね、突き立てた剣で俺の心臓を狙った。
その刃を柄頭で弾き、体を低くして剣で足首を狙うが、クルスは飛び上がり、両手で握り締めた剣を一気に振り下ろす。
俺も両手で剣を握り締め、真っ向から受け止めた!
剣と剣がぶつかり合う。
魔力迸るクルスのとても重い剣によって、俺の足元に巨大なクレーターが生まれ、周囲にあったあらゆる存在を押し潰した。
「このっ、どりゃぁあぁぁ!!」
俺はありったけの力を両腕に送り込み、クルスの体ごと後方へと押しやった。
飛ばされた彼は舞うが如く体を回転させて、音もなく柔らに地面を踏む。
しばし、生まれた静寂……。
俺は軽く周囲へ視線を飛ばした。
僅か、数秒のやり取り。
そうだというのに、衝撃波で周囲の家々は砕け散り、クレーター内部にあった遺体は潰されて、人としての原型を留めていない。
「まったく、村の中でやり合うもんじゃねぇな。生き残りがいないってのが、くそったれな幸いだが……」




