第4話 十五年の邂逅
――ノーレイン村
人間族領域の東端北側に位置し、魔族領域との境界にほど近い村。
そのため、些少ながらも魔族と交流があるという稀有な村でもある。
敵地の近くというだけあって、簡素だが防壁が村をぐるりと囲む。
しかし、今はその防壁は瓦礫と化し、防壁内部の家屋も破壊し尽されており、崩れ落ちたレンガや土壁や石材たちは焦げ臭さを纏う。
否応なしに視線は地へ落ちる。そこには、沈黙に沈み横たわる大勢の人々。
老若男女問わず、幼子や赤子に至るまで音を生む者はいない……。
微かに漂う薄煙の向こうに立つ男へ、俺は問いかけた。
「これは、お前がやったのか――――クルス=オーウェン」
――クルス=オーウェン……俺から勇者の名を受け継いだ少年――
名を呼ばれた彼は煙の中から歩み出て、俺へ微笑みを見せた。
「ジルドラン様、やはり生きていらっしゃたのですね。懐かしい……本当に懐かしい……」
クルスは深紅の瞳を潤ませる。
そんな彼の姿は、俺が記憶しているかつての少年の姿ではない。
戦士として、勇者として成長を遂げた大人の姿。
ツーブロックだった深紅の髪は長髪に変わり、幼い顔立ちは精悍なものへ。
背は伸び、背の高い俺と並ぶほど。
体の線は細身だが、その輪郭は研ぎ澄まされた刀身のように鋭く無駄がない。
両足は大地に根を張り、両腕は腰に差した白銀の長剣と見合う力強さを感じさせ、動きに淀みはない。
頬には剣による生々しい傷痕。
白を主体に黒が交わる軽装鎧を纏った彼は、一歩前へ進み、もう一度俺の名を呼ぶ。
「ジルドラン様、本当に、本当に良かった。あなたさえいれば、この馬鹿げた戦いを終わらせることができる」
「馬鹿げた戦い? 何のことを言っているんだ、クルス?」
問うと、彼は一拍を置き、大声で叫んだ。
「魔族との戦いに決まっているでしょう! あのような下劣な連中を絶滅させて、この大陸から――いえ、世界から消し去ること!! それは勇者であるあなたが一番ご存じのはず!!」
突如爆発した激情。
俺は表情を変えることなく、内心で眉を折る。
(なんだ、随分と情緒不安定に見えるが? しかも、魔族を絶滅させるだと?)
人間族と魔族は敵対しているため、そういった過激な考えを持つ者たちは少なくない。
しかし、実際はそのようなこと不可能であり、両陣営とも大陸の主だった場所を手に入れ、優位性を保ち、豊かさを得ることを主目的としている。
最終目標も、相手を奴隷にするか、大陸から追い出す。と、いったもので、種族の全滅を目的とはしていない。
俺は頭を捻る。
(ここ十五年で過激派の連中が台頭したのか? だからと言って、あのクルスがそのような考えに染まるものか?)
俺の知るクルスは溌溂とした少年。心に影などなかった。
しかし――
(十五年……戦場に在り続けたこいつの心に闇が宿ったのかもな。俺と同じように)
俺もまた、戦いに身を置いたことで、少年時代から比べれば、命に対する比重が軽くなっていた。
だが俺は、勇者の名を降ろし、この十五年――――アスティを通して、再び命の大切さを思い出した。
俺は軽く頭を振る。
(と、今は感傷に浸っている場合じゃないな。仮にクルスが闇に飲まれたとしても、この行為は行き過ぎだ)
折り重なり、山となった遺体。焼き焦げた者、血に塗れる者。そして、そこに交わる幼子たち。
「クルス、この村を襲ったのはお前なのか?」
「ええ、そうです」
「なぜ、同族の人間族を? しかも民間人。中には戦う術を持たない、老人や女性や幼子までいる。赤ん坊までも……」
「決まっているでしょう! こいつらは魔族と与したからです!!」
「魔族と与した? いったい、彼らは何をしたんだ?」
「魔族と交流していました」
「ん?」
「行商人を通して、忌むべき魔族と交流していた。これは万死に値する!!」
「……そんなことで、虐殺を?」
俺は瓦礫と化した村を見回した。
そこには、恐怖と苦痛の表情だけを残響としてこの世に遺し、消え去った人々の気配が漂う。
再び、顔をクルスへ戻し、彼の深紅の瞳を覗き込む。
瞳の中には、純粋に正義を成したという誇りが宿る。
(狂ってはいない。これらは信念として行った行為――馬鹿な! 戦いの中でいくら魔族への憎しみを重ねようと、こんな真似が……?)
レナンセラ村にいた頃でも、外の出来事を聞き及んでいた。
人間族と魔族のいがみ合いは臨界点を超えて、かつてないほどに憎しみ合っていると……。
(憎しみは、これほどまでというのか? 魔族の行商人が行き交うというだけで、同族である幼子を斬り捨て、赤ん坊を火に焼べるほどまでに、憎しみが溢れているというのか?)
俺は、世界の状況を甘く見ていた。
たじろぐ俺を前にして、クルスはこう語りかけてくる。
「もう、これは済んだ話。そんなことよりもジルドラン様、再び勇者の座へお付き下さい。貴族連中は愚にもつかぬ噂を流してあなたを貶めていますが、誰もそのようなこと信じていません」
「馬鹿を言え、いまさら勇者なんぞに戻れるか」
「そのようなこと断じてありません! あなたは私たちの希望だった! ただ一人で魔族と相対し、一歩も引かず、人間族を守り続けた。彼の魔王ガルボグさえも退けた勇者! まさに守護の象徴!! 皆はあなたの再来を願ってやまないのです!!」
「その評価はありがたいが、俺はもう四十五で昔と同じには――――って、そんな話はどうでもいい! クルス、俺は現状をよく知らん。だが、はっきり言えることはある。いかなる理由があろうと民間人に対する虐殺行為は間違った行いだ!」
「いえ、正しき行いです! 彼らは裏切り者! 裏切り者には死を! 当然の帰結!!」
「どこが当然なんだ!? だいたい、人間族と魔族の両者でさえ、民間人への手出しは『ジエラン協定』による違反行為だぞ! それが同族ともなれば、違反どころの話じゃねぇ!」
「そのような協定、とっくの昔に無くなっていますよ!」
「なっ?」
クルスは両腕を上げて、震える手を睨みつける。
しかし、視線は遥か遠くを望み、そこへ過去の在りし情景を映し込んでいるようだった。
「魔族は人間族の村を焼いた。大人も子供もなく拷問にかけて、女性を嬲り、母に泣き縋る子供の前で、その母の遺体を犯した……そうだというのに、何故! 人間族だけがお利口に協定を守らなければならないんですか!!」
「そんなことが…………いや、その憎しみはわかる。だがそれは、一部の愚かな存在だけだろう?」
「すべてですよ、ジルドラン様。魔族のすべてが、下劣で野蛮な行為を当然として行っています」
「すべて……」
彼は広げていた両手を握りしめ、爪を突き立て、皮膚を破り、血を落とす。
「ああ、許さない。絶対に許さない。あのような連中は存在してはならないんだ。絶滅させない限り、真の平和はない。ジルドラン様!!」
彼は朱に染まる手のひらをこちらへ伸ばす。
「共に参りましょう。人間族の恒久的な平和のために……」
狂気の沙汰……しかし、瞳に宿る思いは確かな正義を信じる正気。
俺の知らぬ間に、世界は狂気が正気として存在する世界になってしまったようだ。
血が滴り落ちるクルスの手を見つめ、次の言葉を悩む。
(この様子だと、下手なことを言えば俺のことも殺しかねんな)
俺はクルスの姿を翡翠色の瞳に映し、彼の背後にある気配へ意識を飛ばした。
(クルスから湧き出る戦気……俺を遥かに超えてやがる。さらに、後ろには五人の気配――どれもが暗部のもの? ったく、勇者が連む組織じゃねぇだろ……さて、この場、どう切り抜ける?)
このとき俺は、目の前の敵にしか意識が向いておらず、背後から迫る気配に気づいていなかった。
そのため、最悪の事態が起きてしまう――
「お父さん!!」
「――――なっ!?」
背中に当たった娘の声。
後ろを振り返ると、アスティ、アデル、フローラの姿が!!
「お前たち、どうしてきたんだ!? ――はっ!?」
すぐさま、正面へ向き直った。
クルスは小さく一言を漏らすと、次には――激怒した。
「ジルドラン様の娘? だけど、あの姿は――――魔族!! ま、まさか、ジルドラン様!! あなたは、人間族を裏切っていたのかぁぁあぁぁあ!!」




