第1話 初めての冒険……なのに……
~第二章・プロローグ~
旅に出た。
父としては、まだ幼さを残す娘たちの背に、そっと手を添えるつもりだった。
だが――
歩き出したその瞬間から、彼女たちはもはや子どもではなかった。
その背に宿るのは、確かな意思。
振り返ることなく進む、強さと覚悟。
追いかけられていると思っていた背中に、気づけば、親である自分が子の背中に見惚れていたのだ。
これは、親が子を導く物語ではない。
子が、世界へと踏み出し、やがて――親の背を越えていく物語である。
――本編へ
「アスティ?」
「う、う……」
「アスティ、アスティ。もう、朝だぞ。起きなさい」
「う、う~ん……もうちょっと」
草の絨毯に薄い布を敷き、毛布に包まって惰眠をむさぼる我が娘アスティ。
「ほらほら、起きる! アデルとフローラはもう起きているんだぞ!」
「ううう、わかったぁ……ふぁぁああ」
アスティは心臓まで丸見えになりそうな大きな口を開いて背伸びをする。
そして、目を擦りながら朝食の準備をしているアデルとフローラの姿を黄金の瞳に映した。
「二人とも、早いね」
「そりゃそうだよ。昨日の夜、あんな事を聞かされたら興奮してぐっすりとはいかないっての」
「そうそう、まさか、あーちゃんが……それになにより……」
アデルは焚き木を抱え、フローラはどこから見つけてきたのか、はちみつたっぷりのハチの巣を両手に持ちながら俺を見つめている。
アデルの黒とフローラの青の瞳に見つめられた俺は、首元を人差し指でポリポリと掻きながら、旅の初日――――昨日の出来事を思い出す。
――――昨日
村を旅立ち、狭い峡谷の道を抜け、桟橋を渡って外の世界へ……。
広がるは、見渡す限りの平原。これといって目新しいものは何もない。
それでも、アスティ、アデル、フローラにとっては初めて触れる外の世界。
すべてが新鮮に映るようで、村でも見ることのできる草花に目を輝かせ、村の空と変わらない空の高さに心を震わし、村にも棲んでいる小動物を追いかけてはしゃいでいる。
そんな三人を見ていると、故郷を飛び出した少年時代の自分の姿を思い出す。
(俺も、そうだったな。村となんだ代わり映えのない景色だってのに、気分は昂揚して、胸を張り、足を高く上げ、腕は大きく振るって歩いていた)
あの頃の俺と同じで、三人の瞳に映る景色はすべてが特別なものなんだ。
流れる小川に反射する光は宝石のように煌びやかで、風に踊り形を変える草原の波は未知の世界への道しるべ。
揺れる花々の囁きは、旅路を祝福する春の調べ。
なんてことはない景色がまばゆく輝き、胸の高鳴りに体が呼応し、全身に宿る充足感が自然と手足を軽やかにしていく。
これは、ただの旅じゃない――――初めての冒険なんだ!!
逸る足先と相反して、未知なる世界の情景に瞳が留まる。
三人は少し歩いては何かを見つけ、楽しそうに笑い。また少し歩いては笑顔を見せている。
三人の子どもたちの姿を翡翠色の瞳に宿し、俺はやれやれと頭を掻いた。
(さっさと人間族と魔族の境界近くにある村へ行って、情報収集を行うつもりだったんだが、こりゃ今日中には無理そうだな)
目的地の村の名前はノーレイン。
俺も訪れたことはないが、人間族の村でありながら魔族領域との境界が近いためか、多少の交流があるという、外では非常に珍しい村。
と言っても、行商人が行き交う程度らしいが。
それでも、前線で魔族との殺し合いに明け暮れていた俺からすれば、十分に驚きのこと。
距離は歩いて一日半程度。
馬なら速足や駈足に休息を交えても、四時間程度。
俺の全力の脚なら一時間足らず。
俺は小川で水を掛け合って遊ぶ子どもたちに目を細める。
(ふふふ、春先の雪解け水が混ざり合う川の水は冷たいだろうに……本当はこれからの旅路の厳しさを考えて、常に体を鍛えてやろうと思っていたんだが)
当初は、子どもたちの体力づくりを兼ねて、ノーレイン村まで持久走でもさせるつもりだった。
この程度の距離、鍛え上げた子どもたちであれば、馬並みの速度で走り切れるはずだからな。
そうすれば、お昼過ぎにはノーレイン村へ到着できると踏んでいた。
だが…………はしゃいでいる子どもたちの姿を見て、その考えを改めた。
(ふふっ、仕方がない。初日くらいはのんびり行くか)
――――そして、夜
野営の準備をそつなくこなす子どもたち。
この子たちには、生き抜く術をすべて叩き込んである。
なので、こんな野営程度ならお手の物。
アデルが背負っていた、やたらとデカいリュックから、子どもたちは必要な道具類を取り出し、寝床の準備と食事の準備を並行して行う。
俺はそのデカいリュックへ、小さくひそめた眉をぶつけた。
(旅の持ち物は最小限であるべきなんだけどなぁ。何が詰まってるんだ、あれ?)
「アデル」
「なに、おじさん?」
「初日からあまり口うるさくは言いたくないんだが、さすがに荷物が多すぎないか?」
「……うん、俺もそう思う」
アデルはどこか気落ちしたような表情で返事をしてきた。
この態度……つまり、不本意なのか?
「そう思ってるならどうして、そんな大荷物を――あっ、カシアが心配して、無理に持たされたのか?」
「ううん、違う。父ちゃんも母ちゃんも旅慣れしてるみたいで、荷物は必要最低限にしとけって言われたし。それには俺も賛成だし」
「ん、わからんな? だったらどうして……」
「それはね、おじさん。こっちの二人のせい……」
アデルが指を差した先――そこでは、アスティとフローラが俺から顔を背けて、申し訳なさそうであり、ひくついた笑顔のような奇妙な表情を見せていた。
アスティは人差し指をくるくる回して、「え~っと」とつぶやき、隣に立つフローラを見た。
見られたフローラはアスティから視線を外し、明後日の方向を見るが、小さなため息に観念を込めて、俺にこう説明してきた。
「ヤーロゥさん。実は……」
「実は?」
「リュックの中身の大部分が、わたしとあーちゃんの服なんです」
「……服?」
「主に、下着」
「下着?」
「ほら、わたしたち、女の子ですから。旅でも身だしなみはちゃんとしておきたいなぁ~っと思いまして。それで、旅の準備の時に、わたしが自分とあーちゃんの下着や衣服をアデルのリュックに押し込んだんです」
「…………はぁ、なるほど」
まぁ、その気持ちはわからないでもない。二人とも年頃の娘だし、そういったことに気遣いたい心もあるだろう。
しかし、旅ともなれば、風呂に入れないこともあるし、トイレだって大自然に囲まれて……となる。
そういった環境に慣れるためにも、早めに不便な旅に慣れておいた方がいいんだが。
俺はアスティへ顔を向ける。すると、アスティは小さく謝ってきた。
「えっと、ごめんね。お父さん」
「ふむ……それは俺にじゃないと思うけどな」
そう言葉を漏らし、顔をアデルへと向けた。
彼は感情の籠らぬ無色透明な表情でこう言う。
「どうも。記念すべき初めての冒険なのに、大量の女性下着を背負って旅に出た男です」
「……すまん、アデル。娘のせいで……」
その後、俺はアスティとフローラに説教をし、アデルに向かって礼と謝罪をさせてから、食事に移り、それを済ます。
そして、焚き火の火を調整し、毛布の用意を行う。
その途中、アスティは俺へ近づき、アデルとフローラに気づかれないように耳打ちをしてきた。
「お父さん、ちょっと相談があるんだけど……」
「ん、なんだ?」
アスティは一度深い呼吸を交えてから、意を決するように言葉を生んだ。
「お父さん、フーちゃんとアデルに私たちのことを話しておきたいの。ダメかな?」




