第32話 十三歳の記憶・前編
――十三歳・冬
今年の冬は珍しく雪が多く、膝が隠れるほどの白銀が村を飲み込んだ。
一面を白に塗り潰した静寂な景色。
だが、その下には、命の育みを待つ真の姿がある。
真の姿――真実……あと二年――二年後、十五歳となり、子から大人として入り口に立つアスティへ、実の父が魔王ガルボグであることを伝えねば……。
その前準備として落盤事故以降、俺はアスティに対して厳しく当たるようになっていた。
それは父としてではなく、教育者として。
この子が真実を知ったその先に、どのような道を選ぼうとも耐えられるように。
アスティは俺の変化に戸惑いつつも、厳しくなった剣の訓練や高度な戦略・戦術の教えを通じて、これは自分のことを一人前に扱ってくれている証だと受け取ったようだ。
次にリンデン村長とこの最東端の地に隠された秘密についてだが、これの進展はまったくみられない。
父から戦士としての姿に変容した俺に対して、リンデンは最大限の警戒を抱く。
そのため俺は、彼にこれ以上無用な警戒心を与えることを避け、秘密を探るのをやめた。
アスティは十三になり、その気になれば連れ立ってこの地を離れることも可能だが、それでもぎりぎりまでこの子を安全な場所で育て、外へと送り出してやりたい。
さて、その外だが……漏れ聞こえてくる話は到底信じられないものばかりだった。
禁じられていた細菌兵器の使用。
毒による水質汚染。
肉体に宿る魔力核を暴走させて、肉体を崩壊させることのできる新兵器の登場に使用などなど……。
しかも、それらを民間人相手に!
千年争いながらも枠を軍にとどめ、汚染や病気といった危険な兵器や戦術などを封じていたのに、それらが破られ、当然の如く使用される世界へと変わってしまった。
たしかに、俺が現役の勇者だった時代にも暴走はあった。
憎しみと憎しみが絡まり、重なり、あってはならない行為を行う者たちもいた。
しかし、それらは一部であり、のちに罰せられている。
だが今は、その罰はなく、代わりにあるのは称賛。
敵をどれだけ殺したのか? 敵をいかに苦痛に塗れさせ嬲ったのか? 敵の心を凌辱し、どのようにして嘆きの崖へと突き落したのか?
幼い子どもの命を奪い、首を掲げ、赤子は床に叩きつけて頭を踏み潰す。
……ここは外と断絶された世界であり、世界の端にある場所。
さすがにこれらの情報は誇張されたものと信じたいが……話半分でも外は地獄だろう。
何故、このようなことになってしまったのか?
外で何が起こっている?
そして、もし、アスティが外へ出る選択肢を選んでしまったとき、そんな世界へ大切な娘を送り出して良いのかという思いが心を焼く。
あと二年――まだ二年――この二年以内に俺は気持ちの整理を終わらせて、アスティを鍛え上げねば。
――――山雪深い川辺
山に立ち並ぶ針葉樹は雪の白衣を纏い、まるで葬列のような景色を広げる。
凍える死者を送り出す葬列の合間に流れる、一滴の川。
そこまで馬を使い訪れた俺とジャレッドは、アスティ・アデル・フローラに稽古をつけていた。
俺がアデルを相手して、ジャレッドがアスティとフローラの相手をする。
アスティは銀狐の毛皮を纏い、白銀に輝く片手剣を両手で握りしめている。
フローラは白鼬の毛皮を纏い、漆黒の魔石水晶が冠に収まる樫の杖を握りしめる。
対峙するジャレッドは右手から大剣をだらりと下げて立つ。
フローラが無数の水弾を放ち、牽制。
その隙を突き、アスティが魔法の風を纏う剣で斬り込んでいるが、ジャレッドは牽制のための水弾を大剣でまとめて切り裂き、斬り込んできたアスティの剣を激しく受け止め、その衝撃で風を消し去り、力任せに押し出して体ごと後方へと弾き飛ばす。
二人とも考えて戦っているようだが、なかなか狙い通りにはいかないようだ。
だが、十三という年齢にしてはかなりのもの。
十三歳になる少し前に魔力覚醒を得たフローラの魔力は日々成長しており、先ほどの魔法も短時間で無数の水弾を生みという、高等技術を容易く行っている。
さらには、魔力を魔法へと変換する際の、時間差と変換効率も見事なもの。
魔力を魔法へと変換する際は、どうしても魔力の一部が霧散して無駄になってしまう。
しかしフローラは、その無駄を2%以内に留めている。
並の魔法使いなら10%以内。一流なら5%以内。2%とはまさに驚異的な数字だ。
ちなみに俺は17%も無駄にしてしまう。だが、魔力の量だけはやたらあるのでそれで補っている。
次にアスティだが、魔法と剣を操り、身体能力も高いため素早くて力も強いが……少し器用貧乏な部分は否めない。
もちろん、総合力が高いことは良いことであるし、バランスが良いことも問題ない。
だが、決め手に欠ける。
その分、戦闘の立ち回りや先読みは一流と言っても過言ではない。
さらに、観察眼が優れており、一度でも敵から攻撃を受ければ、その攻撃に対処することができる。
(とはいえ、その最初の攻撃でおっちぬ場合があるからなぁ。あいつには俺の故郷に伝わる必殺技でも伝授してやるか。もっとも、俺は二つあるうちの一つしか使えないし、それも未熟だけど)
で、最後のアデルとなるのだが。
「でりゃぁあぁあ!」
雪山だというのに、父親と同様の黒のタンクトップ姿のアデルが剣を振り下ろしてきた。
そいつを弾き、アデルの上体が上擦ったところで右から胴を薙ぐ――と見せかけて、手首を返し左から薙ぐ。
「――っ!? この!!」
アデルは見せかけに釣られ、左の脇腹に剣の刃を立てて構えようとしたが、すぐさま剣を回転させて何とか俺の剣を受け流した。
「はぁはぁ、あぶねぇ。今のはぎりぎりだった」
「ふむ……」
アデル――――こいつはとんでもない天才だ!
元々才能があると思っていたが、十三歳でありながら反応速度が速すぎる。
そして、速度だけじゃない。戦闘の勘も良すぎる。
上体が上擦り、バランスを崩したにもかかわらず、俺の動きを読んで左脇腹を庇おうとしたが、僅かな手首の変化に気づき、それに対応した。
速度・体幹・勘と、熟練剣士かと思わせるほどの戦い方。
(こいつを将来、確実に俺を超えるな。いや、俺どころかクルスも。下手すりゃガルボグすらも捉えられるんじゃねぇか? もう少しだけ、力と速度を増してみるか)
剣速と力を徐々に上げていく。
アデルはそれに必死に追いつき、食らいつく。
(お、いいねぇ……って、こいつ、戦いながら自分の動きの最適化を始めやがった)
剣速に追いつくために無駄な動作を削ぎ、体重移動で力に対抗する。
(なんだ、こいつは? はぁ~、クルスと言い、確実に次代は育ち、前代を超えていくわけか。俺は完全に過去の存在だな)
「お、おじさん……」
「いやはや、時代とはそういうもんだけど悲しいねぇ」
「あ、あの、おじさん!」
「ん、どうした?」
「もう、むり! 無理すぎて死ぬ!!」
俺が片手で適当に振り回していた剣を、アデルは両手で持った剣でのたうち回るように応戦していた。
「ああ、悪い悪い。つい」
剣を収める。アデルはその場で両膝をついてぜぇぜぇと息を切らす。
「ひぎぃ、ひぎぃ、いきが、いきが、いきが、できない」
「しゃべれてるから息はできてるぞ」
「ヤ、ヤーロゥおじさんの、あくま~」
絞り出る声。そこに野太い声が交わる。
「おいおいおいおい、俺の息子を殺す気か?」
「いや~、なかなかやるんで、ついな――って、ジャレッドも人のこと言えないだろ」
肩に大剣の刃を置いたジャレッドの後ろでは、体全身を雪原に預けるアスティとフローラの姿が。
「がははは、ガキんちょのくせに一端の戦士みたいな戦い方をするんで、ついな」
「おいおい、俺の娘を殺す気か?」
「そりゃ、お互い様だ」
と、俺たちが互いに笑い声を上げる。
その笑いを挟み込むように呪いの声が雪山に轟く。
「あくまだ~、あくまが二人もいるぞ~」
「あーちゃん、わたし、もうむり~」
「私も動けない。なのにあの二人、娘と息子がぶっ倒れてるのを見て笑ってるし!!」




