第28話 十一歳の記憶・4-3
光の魔法を坑道の天井に掲げ、夕暮れのような昏いオレンジ色の光で周囲を包む。
埋もれた場所からは何やら音が響く。救援隊が坑道を補強しつつ、懸命に穴を掘っているのだろう。
その音に交じり、奥からぴちょんぴちょんと水滴が落ちる音が届く。
ただ、このまま水滴と穴掘りの音に耳を澄ましていても仕方がない。
それに埋もれ、一寸先は闇という状況ではアスティも不安だろう。
だから、話をすることにした。
俺は腫れたアスティの足首を見つめる。
「無茶をしたな」
「うん、そうだね」
「とっさにだったのか?」
「半分は」
「半分?」
「もう半分は……万が一埋まっても、私の方が怪我が少なくて済むかもと思ったから」
「ん?」
「だって、ほら……フーちゃんは半魔だから。『生粋の魔族』の私の方が体は丈夫だと思って……」
生粋の魔族……この言葉を聞いて、心にさざ波が立つ。
(そうか……そうだよな。もう、十一歳。気づいていて当然だ)
俺は生粋の人間族。アスティは生粋の魔族。
この二人では、血の繋がった親子関係は成り立たない。
一時、音は失われ、無音が包む。とても重い。だが、何かを言わなければ。
「アスティ、お父さんは――」
「お父さんは私のお父さんだよ! でも……血は……」
「そうだな、繋がっては……ああ、繋がっては…………いない」
心に痛みを与えぬよう、声を羽毛のように柔らかくし、ふわりと落ちる花弁のようにゆっくり言葉を生んだ。
そうであっても、アスティは一瞬びくりと体を跳ね上げて、すぐに固まってしまった。
俺はアスティの頭を自分の胸元に寄せて、短くも言葉の一音一音に思いを刻む。
「それでも、お前は俺の娘だ」
「うん」
「俺の大切な娘だ、アスティ」
「うん、うん、うん、わかってるよ、お父さん」
アスティは俺の胸の中へ深く頭を寄せて、静かに泣く。
ヒックヒックとか細いしゃくり声に、時折鼻を啜る音が混じり、音は暗闇に溶け込み消えていく。
音は消え、再び穴の掘る音と水滴が落ちる音だけが支配する。その中には、僅かに乱れた鼻息が交じり合う。
涙は止まっても、完全には落ち着いていないようだ。
アスティは何度か目元を拭いて、スッと息を吸うと、ふ~っと吐く。
そして、胸元から顔を離して、魔法の光に揺蕩う黄金の瞳をまっすぐとこちらに向けて見つめてきた。
「私の……その……もう一人の父親は?」
「亡くなっている」
「そうなんだ。それじゃあ、お母さんは?」
「それについてはわからない」
「え?」
「そうだな、説明はややこしくなるが……お前と出会ったのはまだ生まれたばかりの頃。当時俺は旅をしていて、その時たまたま、赤ん坊を連れた女性と出会ったんだ」
「女性? その人がお母さんじゃないの?」
「いや、その方は父親からアスティを預かっていた人だったんだ。しかし、途中で深い傷を負い、亡くなってしまった」
「そんな……」
「その死の間際にお前を託されて、今に至る」
「それじゃあ、お父さんはその人から私を託されただけで、私の本当のおと……」
アスティは一度言葉を止めて飲みこんだ。
そして改めて、言葉を生み、尋ねる。
「私のパパとママのことは知らないんだ?」
パパとママ……『本当』の『お父さん』という呼び方にためらいを覚えて言葉を改めたのか。
俺はじっとこちらを見つめてくるアスティに対して、小さく頬の端を引くつかせた。
それは俺のためらい……。
(ここで話す? アスティが魔王ガルボグの娘であると? だが、まだこの子は――――幼い)
十一歳の少女。真実を渡すに早すぎる。
そう考えるが、頭の片隅に――いや、中心には身勝手な自分がいる。
――伝えたくない!!
そんな自分が!!
話せばアスティはどんな反応を示す? 王族の血を強く意識する? 何も変わらない? 俺にはわからない。
わからないからこそ――怖い……。
だが、だがだ! これはいつかは話さなければならないことなんだ!!
アスティに真実を渡さなければならないんだ!!
隠匿するという選択肢もある。
しかし、それができるほど、俺は強くもなければ弱くもない。
素知らぬ顔で居続けられる自信はない。話せないままでいるほど臆病でもない。
ただ、半端なだけ……。
だから、俺は――。
「ごめんな、俺にはわからない。ただ、お前を託した方から父親の死を伝えられただけで」
「そうなんだ。じゃあ、もしかしたら、ママはどこかで生きてるかもね……」
アスティは顔を歪ませて、そう言葉を落とした。
俺の選択肢は合っていたのだろうか?
その迷いが、アスティを傷つけてしまう。
「お母さんに、会いたいのか?」
「――――っ!? それは――っ!」
アスティは俺の顔を見て、一瞬目を見開くが、すぐに無理やりな笑顔を見せた、
「……ふふ、私にはお父さんがいるから、別にいいかな」
そう言って、ぎこちない笑顔を見せ続ける――――俺は馬鹿だ!!
会いたくないのか、だと?
会いたいに決まっているだろうが!!
幼い頃から母親がいなくて、寂しい思いをしていただろう。
自分には父親しかいなくて疑問に思っていただろう。
母親の温もりに触れたいと願っていただろう。
そんな思いを抱いていることを誰よりも知っている俺が、なんて馬鹿な問いを!!
それどころか!! 俺はアスティを失う不安を顔に出して、傷つけてしまった!!
だからアスティは自分の思いを押さえつけて、俺に笑顔を見せたんだ。
俺のことを気遣い、笑顔で自分の思いを封じた。
俺の、俺の、大馬鹿野郎がぁぁぁぁあ!!
心の中で感情がのたうち回り、それは思考を蹂躙する。
もう、ここで全てをぶちまけてしまえと!!
その行為が及ぼす先に何があるのか考えずに、『自分』が苦しみから解放されたくて、感情と思考がぐちゃぐちゃに混ざり合う!。
でも、その行為は、さらにアスティを傷つけることになるやもしれない!!
だから、俺は思い出す。過去の自分を思い出す。勇者だった自分を。
勇者だった俺は感情を完全に御し、大事を前にすれば心を凍てつかせ、時に大勢を見捨てることもあった。
世界で唯一無二の勇者として。
俺が倒れれば、後にも先にもなく、ただ滅びがあるだけ。
だから、負けられない。どんな手を使っても。多くを助けるために、小さきを見ぬこともできた。
あの頃の自分を思い出し、熱にうなされた心と頭を冷え固まらせる。
(……ここで話せば、余計な混乱を生む。おまけに、村の者の一部は俺の正体に気づいている。それだけでもリスクだ。外の、王国に知られる可能性が高まっている。そんな状況で魔王の娘と明かせばどうなる? 人の口に戸は立てられぬ。話は届く。そうなれば……)
――――元勇者の生存と魔王の娘の存在。王国のみならず、魔族側もここへやってくるだろう。俺たちを利用、抹殺を考えて。
(そうなると厄介だ。リンデンやジャレッドやヒースにも、勇者のことは強く口止めしておかないと。あいつら以外にも、俺のことに気づいた連中がいないか調べておかないとな)
ここで真実を話すと、危険性が高まる。つまり、話せない。
次に考えるは、いつ話すか?
(それはもちろん、独り立ちできる頃になるか。それがいつかとなると……俺が旅に出たのが十四の頃。十四は少し早いか。貴族連中は十五で大人扱いをするらしいから、その頃に話そう。それまでに準備をしておかないと)
それは俺の心の準備と……アスティがどのような選択肢を選んでも対応できる準備。
(剣を鍛えて、旅に必要な知識、戦い方。生きるのに必要なものをすべて教え込む。魔法はローレに任せよう。残りは四年。厳しいな)
俺は顎に手を置いて、これからのアスティについて考える。
するとそこに、アスティが話しかけてきた。言葉に怯えを交えながら……。
「お、お父さん?」
「うん、どうした?」
「いや、なんだか、怖い目をしてたから……」
「怖い?」
「うん、見たこともない目つきで何かを考えてるから……どうしたのかなって……?」
怯えを見せるアスティに気づいた俺は、勇者だったジルドランから父親としてのヤーロゥへと戻る。
(いかんいかん、現役の頃は感情を表に出すことなんてなかったんだが、久しぶりに昔の自分に戻ったせいで、表情まで制御できなかったか。アスティを怖がらせてしまったな)
俺は先ほどの自分を消し去るかのように大仰に笑う。
「あははは、夕食のことを思い出してな」
「夕食?」
「ほら、日帰りの社会科見学だろ? だから、夕食の仕込みを終わらせてたんだが、こんな状況で今日は帰れない。そうなるとせっかくの仕込みが無駄になって腐っちまうなぁ、と思ってな」
「何それっ? すっごい怖い目してるから何かと思ったら!!」
「あはは、悪い悪い」
「こんな状況でよくそんなこと考えられるね、お父さんは!?」
「夕食の準備は大事だからな。そうだ、そろそろお前にも料理の仕方を教えないと」
「ええ~」
「ええ~、じゃない。家事は一通りできないと自分が困るぞ」
「まぁいいけど。苦手ってわけじゃないし、面倒なだけで――って、さっきまですっごい真面目な話をしてた気がするんだけど?」
「そうだったか? ま、気を張り続けても仕方がないだろ。とはいえ、救援が来るまで時間はたっぷりある。話も一段落ついたし、少し休むとしよう」
「もう~」
ぷんぷんと頭から湯気を出しているアスティに背を向けて、ごろりと横になる。
アスティは大きくため息をついてから、同じく横になった。
「どのくらいかかるんだろうね、お父さん?」
「今から寝て起きた頃には、外の空気を吸ってるさ」
「いい加減だなぁ。普通だったこの状況ってかなりヤバいと思うんだけど?」
「そんな状況にならないように、今度からは気をつけてくれ」
「は~い。でも、事故は難しいよ」
「だな……にしても、なんで崩落なんて起きたんだ? 子どもに見学させる場所だから、安全度は高いはずだろうに」
「なんでだろうね? う~ん、どんなに安全だと思っても、思わぬ危険ってあるのかもね」
「だとしたら、運ってとこか」
「なら、私は運がいい方だね」
「どこがだ?」
「ちゃんと生きてるし、こうやってお父さんが来てくれたし」
「あはは、そうだな。じゃあ、そろそろ休め。怖いなら子守唄でも歌ってやるから」
「いらないよ! もう、子ども扱いして! おやすみ、お父さん」
「ああ、おやすみ。アスティ」




