第21話 八歳の記憶・前編
――八歳・秋
湿潤に満たされた風からは粘度が失われ、さらりと肌を撫でる涼やかな風へと変わる季節。
俺は視線を空の果てに向けて、瞳に血塗られた戦場の記憶を映す。
(あの戦いも秋の頃だったな。補給路を断たれ、援軍もなく、四方を敵に囲まれた籠城戦。あの戦いをきっかけに、俺は勇者を目指すことになった。友を犠牲にして……)
勝手気ままに冒険をしていた少年が勇者を目指すきっかけになった戦い。
秋の風を頬に受けて、ふと、そんな昔話を思い出した。
瞳を果ての空から下げて、遼遠の王都へと向ける。
(クルスは勇者としてどれほど成長しただろうか? だが、聞こえてくるのは……)
この絶壁に閉ざされた東方領域の最東端であっても、外の情報は届いてくる。
外では戦いが激化の一途を辿り、血で血を洗うこの世の地獄と言ってもよい様相を呈しているという。
その主だった理由は魔族側の政変。
魔王の息子カルミア……アスティの兄にあたるカルミアが父であるガルボグの命を奪い、玉座を奪ったことを端に発する混乱。
カルミアは魔族の諸侯をまとめきれず、魔族は半ば内乱状態に陥ったそうだ。
俺はアスティの姿を思い描き、それはさも当然だと納得する。
(兄妹の粛清。それは親類縁者にも及んだのだろうな。そんなことをすれば一族の力は衰え、他の一族が台頭してくることは目に見えていた。愚かな男だな、カルミアは……)
魔王ガルボグから玉座を奪い、己の地位を盤石にするため脅威を排除したいという思いは理解できる。
だがそれは、あくまでも王位を脅かす存在だけにとどめるべきだった。
それなのに、当時赤子であったアスティまで粛清しようとするなんて……これでは一族の力を弱めるようなもの。
害のない者には役職を与え、牙ある者からは牙を奪い無力化してから同様に役職を与え、一族による支配を強める。
これが良いとは言えないが、権力基盤が盤石ではない場合、一族の結びつきを強固にする必要性がある。そうしないと、他の一族による影響力が入り込んでくるからな。
だがカルミアは、自ら一族の力を削いで、他の一族が台頭するきっかけを与えた。
それにより、魔族は権力争いに溺れ、弱体化。
そのおかげで、クルスたちが成長できる時間が生まれたとも言えるのだが…………その反面、魔族の大貴族たちは内部の勢力図を書き換えるために、影響力の拡大と名声を求め、人間族へ無用な攻撃を仕掛けてくるようになった。
それは時を追うごとに過激さを増して、それに応えるように人間族側も過激さが増していく。
今では互いに民間人、女子供年寄りも関係なく、虐殺を行っているというが……。
俺は軽く鼻から息を漏らす。
「フッ、それはさすがにないか。ここは中央から遠く離れた場所。ここまで情報が届く前に、余計なものがくっついて、ありもしない出来事が付け足されているんだろうな」
魔族側の混乱。
彼らは一族の誇示のために軍功を求め、その過激さが増しているのは事実だろう。それにより、かつてないほど人間族側に憎しみが広がっているのも事実だろう。だが、非戦闘員にまで危害が及んでいるとは思えない。
なにせ、この千年間、人間族と魔族は争いを続け、その間に条約が制定されて、そのような愚かな行為は禁じており、そしてこの三百年間、それらはほとんど起きていない。仮に起きた場合でも、互いにその部隊や責任者を厳罰に処している。
だから俺は、これらの情報をゴシップの類程度にしか受け止めていなかった……。
――――
外の世界のことはさておき、娘について語ろう。
アスティは八歳となり、反抗期が落ち着きを見せ始めていた。
子守りのばーさん曰く、またすぐに次の波がやってくるらしいが……。
子どもは理性と社会性の未熟さのため、反発という行為で己を表し、自我を形成していく。
親はそれを理解して、子どもたちの理性と社会性を養わなければならない。
ある意味、俺も親としての理性と社会性、そして忍耐を試されるわけだが……これらはカシアやローレといった、多くの助けがあるので乗り越えていけるだろう。
――――
ある日の午後、俺はちょっとした仕事を任されて学舎へ訪れていた。
少しばかり早く来すぎたため、まだ授業中のようだ。
学舎は木造の一階建てで、オレンジの屋根が乗っかり、室内は五十人ほどが机を並べて学べる広さ。
生徒の年齢は様々で六歳から十四歳。
俺はガラス窓から中を覗き見る。
するとちょうど、ちょっぴり素直になったアスティが魔法を学んでいた。
皆を教え導く先生は、魔法が得意なローレ。
姿はいつも通りの多様なフリルがついたホワイトロリータの姿。
いま行われている授業は魔導学の初歩についてのようだが、アスティは座学で魔法を学ぶよりも実践で覚える方が得意なようで、新しい魔法を教えてもらったらまず生み出す。と、いった感じで魔法を身に着けている様子。
それにローレは眉をひそめて困り顔。
「はぁ、しっかり座学で基礎を理解してからじゃないと危険なんだけど。魔法が得意な人って、極端なのよねぇ」
座学が得意なタイプは新たな魔導理論を構築する研究職に向いており、実践が得意なタイプは魔法を操ることに長けている傾向が強い。
アスティは後者のようだ。
そんなアスティの姿を恨めしそうに見ている、ローレの娘フローラ。
彼女は父ヒースが魔族のため、人間族と魔族のハーフ。
そのため、魔力覚醒が起きるまで魔法を本格的に学べない。
現状では初歩と言える簡単な魔法を使用できるだけで、それもまた非常にか細い。
だから今は座学に集中しているわけだが、幼馴染であるアスティが手のひらサイズの火球を生み出している姿に、あからさまな不満顔を見せていた。
その一方、魔力覚醒が起きたアスティは通常の子どもたちよりも早い段階で魔法に触れることができる……しかし、ローレによると、七歳で魔力覚醒が訪れた割には成長が鈍いらしい。
親としてはなんとも歯がゆい話である。
不満顔を見せていたフローラが恨めしそうに声を漏らす。
「いいな~、わたしも早く強い魔法を使えるようになりたい」
この声に、隣の席でノートに落書きをしていたアデルが答えた。
「だよなぁ~、魔法って面白そうだし」
「そう思うならちゃんとノート取ろうよ」
「魔法は使えるようになりたいけど、勉強はきらいなんだよ。それにあんなじっとして、ムムムッてやるよりも体を動かす方がすきだし」
そう言って、アデルは定規を剣に見立てて振り回す。
それにフローラが小さな叫び声を上げた。
「きゃっ! もう、あぶないよ」
「大丈夫だって! おれは父ちゃんみたいなすごうでの剣士なる男だぜ」
「意味わかんないから! もう、ママに――じゃない、先生に言いつけるやるんだから!」
「や、やめろよ! 今日怒られたらヤーロゥおじさんの授業を――――っ!? おじさん!!」
フローラに咎められて慌てていたアデルと、窓越しで目が合った。
俺は軽く片手を上げて挨拶を交わし、学舎の玄関前に向かい、中へと入る。




