第18話 六歳の記憶
――――六歳・春
「これと、これと、これはこっちで。これは、カバンのこのポケットに入れて~」
アスティはテーブルの上に鉛筆や定規といった筆記用具を並べて、それをウサギマークのついた布製のペンケースへ収めていく。そして、教科書とノートをオレンジ色の革製の鞄に入れ直す。その一連の作業を上機嫌に何度も繰り返す。
アスティは六歳になり、来週から村の学舎に通い、勉学を学ぶことになった。
そのための学用品を揃えたのだが、アスティは鼻歌交じりにその道具たちを並べては片づけるを繰り返していた。
「アスティ、もう十分だろ。お片付けして、夕食を食べないと」
「ええ~、あと一回だけ!」
「ふむ、一回ね。じゃあ、あと一回だけ」
「うん! え~っと、このペンはこっちで~、このノートはここに入れて~」
自分の所有物ができるというのが、よほどうれしかったのだろう。
アスティは何度も道具を確認して、数を数えて、それを鞄に戻すをずっと行っている。
俺は来週から使用するオレンジの鞄へ瞳を振った。
(あの鞄を渡したときの喜びようはすごかったなぁ)
――三日前
「アスティ、ほら、学舎用の鞄だ」
渡したのは肩から掛けるタイプの鞄。
アスティはそれを手にすると、顔をぱぁっと明るくした。
「うわぁ~、これ、わたしの!?」
「ああ、そうだぞ。ちょっと大きめだけど、お前もすぐに大きくなるから大丈夫かな?」
「うん! おとうさん、ありがとう!!」
革紐を肩から通して、家の中をぴょんぴょんと跳ねまわる。
「こらこら、そんなに飛び跳ねたら埃が舞うから」
「だってぇ~」
「それよりも鞄を開けてみなさい」
「あける?」
磁力を帯びた金具で閉じられた鞄を開く。
ぺろりと捲られた革の裏生地には、小さなウサギの模様が散りばめられていた。
それを目にしたアスティは黄金の瞳をキラキラと輝かせ始めた。
「うわ、うわ、うわ~!!」
「裏地のウサギ模様がかわいかったんでな。だから、その鞄を選んだんだ」
「おとうさん!」
「うん?」
「大好き!!」
そう言って、椅子に腰かけている俺に抱きついてきた。
「おお~っと、危ないぞ」
「おとうさん、おとうさん、好き~!!」
「ああ、そうか。俺もお前のことを愛しているぞ」
俺はアスティの頭を撫でつつ、黒の溶け込むさらさらとした赤色の長い髪に指を通す。
(いつも櫛で髪を梳いてやってるが、そろそろ自分でやれるようにならないと……)
心に宿る寂しさ。
それでも、自分でやれることはやれるように教えていかないといけない。
「アスティはこれから学舎へ通うようになるから、自分でできることはできるようにならないとな」
「じぶんで?」
「そう、自分で。アスティよりも小さい子どもたちにお姉ちゃんとしての手本を見せてあげないと」
「わたしが、おねえちゃん?」
「そうだぞ、お父さんに甘えてばかりじゃなくて、村のちっちゃな子どもたちの手本となるようにな」
俺はそう言葉を渡し、微笑み、頭をそっと撫でる。
そこにあったのはやはり寂しさ。
これから先、どんどんどんどんと俺の手から離れて、アスティは自分でいろいろなことを行えるようになるだろう。
その始まりの扉が、今、開こうとしている。
娘の成長の嬉しさに寂寞が交じ合い、微笑みが崩れ、眉間に小さな皺を生む。
アスティもまた、この少しばかり突き放した物言いに寂しい思いをするだろうと思っていたが……。
パッと俺から離れて、両手でちっちゃな拳を作る。
「うん! これからはなんでも一人でできるようにがんばる!」
「あ、え、そうか……」
「うん、どうしたのおとうさん?」
「いや、なんでもないよ」
あまり寂しさを感じていないようだ。それが一層、俺に寂しさを感じさせた。
――――現在
意識を今へ戻して、俺はアスティの頭をポンポンと軽く叩いてから話しかける。
「そろそろお夕飯を食べようか。お姉ちゃん」
「うん! わたしがのみもののよういするね! もう、小さな子どもじゃないから!」
「ああ、頼んだ」
食事を済ませる。
自分の食器類の後片付けを行うアスティ。
お姉ちゃんという単語が、アスティに自立と責任のようなものを芽生えさせたようだ。
食事が終えて、お風呂の話に移る。
「次は、お風呂に入らないとな。アスティ、準備を」
「一人で入る!」
「へ?」
「一人で入るよ! だって、じぶんのことはじぶんでできるようにならないと」
「だ、だけどな、溺れたりしたら――」
「ひ~と~り~で~は~い~れ~る~」
「わ、わかった。じゃあ、お風呂デビューだ」
「うん、いってくる」
「タオルと下着とパジャマの準備を」
「うん!」
アスティはチェストを開き、そこから下着とパジャマを取り出して、浴室近くの棚に置いてあるバスタオルを手に取り、風呂へ向かった。
一人残された俺は両手で顔を覆う。
「良いことなんだが……良いことなんだが……めちゃくちゃ寂しいぃぃぃ!!」
――湯から上がり
アスティは風呂から上がり、体はちゃんと拭けたようだが、髪の毛はそうはいかず多量の水を含んだまま。
だから、俺が優しく拭いてあげる。
「ほらほら動くなよ~。この後は櫛を通して髪を整えるからなぁ」
「む~、わかった」
全部自分一人でできなかったことにご立腹の様子で、むくれ顔。
俺の方はまだまだ手のかかる我が娘と思い、ほっと胸を撫で下ろす。
仕上げに風の魔法で髪を乾かして、髪に櫛を通しながらお風呂の様子を尋ねた。
「洗い残しはなかったか?」
「だいじょうぶだよ」
「それじゃ、いつものお歌で確認だ。あ~たま」
「お~てて~」
「う~で」
我が家ではこうやって歌いながら洗う順番を確認することが習わしだ。正確に言うと、俺の実家で俺が幼い頃に学んだことだが。
「うん、よしよし。できてるな。次は胸!」
「おなか!」
「背中に~」
「おしりさん」
「ふっともも」
「きゅっきゅとみがいて、さいごにあ~し」
「正解! 洗えてるな」
「うん!」
歌を終えて、髪を梳かし終え、少しごろごろして、就寝。
いつもはアスティと一緒に同じベッドで寝ているのだが、だけど今日は一人で寝たいと言ってきかない。
近いうちに、アスティのためにベッドを作らないとな。
俺は寝室に向かい、アスティをベッドに寝かせる。
そこでアスティはあることに気づき尋ねてきた。
「おとうさんはどこでねるの?」
「おとうさんはリビングにあるソファで寝るよ」
「あ……」
「大丈夫、すぐにアスティ用のベッドを作るから。おとうさんがソファで寝るのは今日、明日くらいだ」
「わたしのベッド!!」
「そうだよ。だから、今日はここで眠りなさい。お休み、アスティ」
「うん、おやすみなさい。おとうさん」
ランプの光を小さくして、ぱたりと扉を閉じる。
そして俺はリビングに戻り、医者のヒースから借りた小説を手にした。
「いつもアスティに合わせて寝ていたからな。空いた時間に読書でもするか。もっとも、あの子が寝静まった後に鍛錬はしていたんだが」
勇者をやめたとはいえ、今日まで鍛錬を欠かしたことはない。
それはいざという時に魔王の娘であるアスティを守るためであり、衰えていく自分の老いの時間を延ばすため。
「アスティが深い眠りに入るまで三十分といったところか、それまでは読書に――うん?」
寝室の扉が開き、赤いウサギと黒いウサギが踊る白いパジャマを着たアスティが体を縮めながら出てくる。
「どうした、アスティ?」
「あのね……わたしのベッドはどこにおくの?」
「そうだなぁ、この家にはリビングと寝室と狭い部屋があるだけだから、狭い部屋に手を入れて、広くしてからそこに置くか」
「――!? おなじへやじゃないの?」
「え……あっ」
アスティの体が小刻みに震えている。
(そっか、一人じゃ寂しくなったんだな)
「そうだなぁ、部屋の準備に時間がかかりそうだから、しばらくは同じ寝室にベッドを置こうかな」
「ほんとう!?」
「うん、本当だ。それとだ」
「な~に、おとうさん?」
「ソファで寝ると腰を痛めそうでな。今日は一緒に寝ていいかな、アスティ?」
「うん! いっしょにねよう、おとうさん!!」




