八百九十二 結人編 「責めやすいから責めてるというだけの」
十二月三日。月曜日。昨日の夜から降り出した雨は朝になっても降っていた。
沙奈子や玲那だったら多少甘えてても許せても、結人くんが甘えるのは許せない。
なんてのは、ただの身勝手だと僕は思ってる。それ自体が『甘え』だと思ってるんだ。
だけど実際に、『許してもいいな』と思える相手と『絶対に許せない』って思ってしまう相手がいるのも事実なんだ。
だから、玲那のことをよく知らない人が、
『実の母親の葬式の最中に実の父親を包丁で刺す』
なんていう事件を起こした玲那を『絶対に許せない』と思ってしまうのも当然なんだろうなっていう想いは、実はある。それが、
『どうしてそんなことをしなくちゃいけなくなったのかその事情を知ろうともしないでただ一方的に責めやすいから責めてるというだけの甘え』
であっても、人間っていうのはどうしてもそういう甘えを完全になくすことはできないという現実と向き合えばこそ、自分にもそれと同じ甘えがあると思えばこそ、他人が多少甘えてしまうことも認めなきゃいけないとも思うんだ。
もちろん、事情も知らずに玲那を一方的に責めるような人のことは許せない。だけど、そうやって玲那を責める人にだって、そうせずにいられない何かの事情があるのかもしれない。玲那が実のお父さんを包丁で刺さずにはいられなかったように、ね。
だから許せなくても、認めたくなくても、認めるしかないとは思ってるんだ。
そうすることでしか、人間は互いに折り合って生きることができないと思う。それができない人が人を殺したりするんじゃないかな。
『こんな奴、生きてる価値もない』
とか言って。
その人にとっては失っても構わない相手だから殺せるんだろうし。
玲那が実のお父さんに対してそう思ってたのと同じに。
当然、それと矛盾する想いもあったかもしれなくても、
『お前なんかのこの世界に必要ない!』
っていう想いが上回ったからこそできてしまったんだろうからね。
それは、玲那自身の自己分析でもある。
「あの実母の葬式に出なきゃと思ったのは、たぶん、どんなに憎んでても『自分の実の親だから』っていうのがあったからなんだろうなとは、自分でも思ってるんだ。それがなきゃ、きっと行こうとも思ってなかった。親戚に『薄情者!』とか罵られたって気にもしなかったと思う……。
あの実父に対しても同じ気持ちがあるんだろうな……」
自分の実の両親を『あのひと』と呼んでしまうくらいに気持ちは冷めてても、それでも心のどこかには『実の両親だから』という想いが残ってる。
そんな相手を包丁で刺さずにいられなかった玲那……。
彼女がこの世界で生きることを認められるためには、同じように誰かを『許せない』と思ってしまう人のことも認めなきゃいけないと思うんだ。
玲那は認められて、玲那のことを責める人が存在するのは認めないなんて、そんなムシのいい話が通用しないのがこの世ってものだろうからね。




