八百八十八 結人編 「ストレス解消のために」
十一月二十九日。木曜日。曇り。
『人間はまったく悪口を言わないでおくことなんてできない』
とか言う人がいる。
確かに心理学的にも、
『たまに悪口を言うのは精神衛生上効果的だ』
っていう話もあるみたいだ。
だけど、それはあくまでも、本人の耳に決して届かなければ、目に留まらなければ、っていう話なんじゃないかな。
だって、その悪口が本人の耳に届いたり、目に留まったりすれば、言われた方だって黙ってられないだろうから、言い返されたりとかするのが普通だと思う。
だから、悪口とか愚痴といったものは、誰かの耳に入れたり、目に留まるような形では出さないようにするか、せめて対象を特定できないようにするとかの配慮はした方がいいんじゃないかな。
ただこの時、個人を特定できないようにってことで対象をぼかそうとして括りを大きくし過ぎると、例えば、『男なんて』『女なんて』っていう形にしてしまうと、今度は当てはまる人が多くなりすぎて、当てはまった人から言い返されたりって感じになってる例も多いと思う。
ストレス解消のためにやってることのはずなのに、他人を不快にさせてストレスを与えたことで反撃されてまたストレスになるなんて、それこそ本末転倒以外の何物でもないよね。
僕はそういうのはしたくない。
わざわざ自分からストレスを増やすようなことなんて。
それに、言葉は選んでるつもりでも、僕も批判的なことはついつい口にしたりしてると思う。たぶん、僕の場合はそれで十分、事足りてるんだろうな。
と言うか、悪口を言う以外の方法でストレスを解消できてるからかもしれない。
そうだ、別に悪口を言わなきゃストレスが解消できないわけじゃないと思う。それ以外の方法で解消できるならそれに越したことはないと思うんだ。
だいたい、心理学的な実験の結果で悪口を言うことの効果を示す結果が出たんだとしても、全員が全員、同じ結果になったわけじゃないんじゃないかな。それに、悪口の効果を確認しようとして行った実験だったら、それ以外のストレス解消法を同時に試したりはしてないはずだよね。もし悪口以外の方法も同時に試してたんなら、ストレスが軽減された理由が特定できなくなってしまうし。
そう考えたら、やっぱり安易に頼ったり効能を信じたりするのは危険だなって感じる。
『諸刃の剣』って感じかな。
もしそれを使うなら、すごく注意深く慎重にしないといけない気もする。
ストレス解消のために新しいストレスを増やしてたんじゃ、本当に何をしてるのか分からないから。




