八百八十六 結人編 「確かめながら接する」
十一月二十七日。火曜日。薄曇り。
あの劇について、結人くん自身は、当然のように触れようとはしない。夕食の時にも相変わらず一切、口をきこうともしない。ここまで来るとむしろ感心さえしてしまう。そこまで黙ってて居心地が悪かったりしないのだろうか?って。
……いや、もしかすると彼にとっては『黙っていられる』こと自体が楽なのかもしれないな。
強引に彼の態度を改めさせようとする人なんかだと、とにかくあれこれ口出しして彼にコミュニケーションを取らせようとするだろうし。
だけど、僕がもし結人くんの立場だったら、そういう人のことはそれこそ信用しないと思う。
他人を自分の思う通りに操ることしか考えてない人だから。
自分の思ってる形でコミュニケーションを取ること以外は正しくないと思ってる人だから。
自分の思い通りにならない相手は傷付けてもいいと思ってるタイプの人だから。
僕はそんな人のことは信頼できない。
そういう人にしつこく挨拶とかを強要されたら、僕はきっとその人のことを憎んでしまう。
だってそうだよね?。本当に礼儀とかをわきまえてる人は、相手を強引に隷従させようとしたりしないだろうから。
だけど他人を自分の思い通りに操ろうとする人にとって大事なのは礼儀とか礼節じゃなく、自分の思い通りになるかどうかなんじゃないかな。だから相手の気持ちなんか考えもせずに自分に従うことを強要できるんだろうな。
相手を強引に従わせようとするのが、礼儀や礼節に則った行為なの?。相手に隷従を求めるのが、礼儀や礼節っていうものなの?。
僕のイメージからするとそういうのって最も遠いところにある気がするんだけど、僕の感覚が間違ってるの?。
もし、礼儀とか礼節を学んでほしいと思うのなら、他人の心にずけずけと踏み入るようなことはしちゃいけないと思うんだけどな。教えようとしてる人が礼儀も礼節も無視してたら、まるで説得力がないと思う。
あと、他人に何かを言う時に言葉も選ばないような人がマナー云々を言うと、本当に冷める。
自分がそう感じるから、僕は結人くんに対してずけずけと何かを言おうとは思わないんだ。そんなことされたら、僕なら逆に心を閉ざしてしまうから。
自然に彼が『大丈夫かな』と思ってくれるようになるまでとにかく無理をしない。彼の様子を窺いながら待つ。
沙奈子の時にも、そうしてたから。
もっとも、あの時には意図してそうしてたわけじゃないけど。結果としてそうだっただけで。
でも、今なら分かっててそれができる。彼の様子を確かめながら接するというのがね。




