八百五十九 結人編 「言ってるんでしょ?」
十一月一日。木曜日。薄曇りの雲の向こうから太陽が覗いてる。
つくづく『大人』って汚いと思う。
法律の網をかいくぐって、解釈論で誤魔化して、『ギリギリ違法とは言い切れない』商売をしてそれで大きな顔をしてたりする。
『完全に違法ってことにならなきゃ何をしたっていい』
って恥ずかしげもなくそれを正当なものだと主張したりしてる。
大人がそんなことをしてるのに、子供に『ズルいことするな』って言えるの?。大人がズルいことをしてる見本を見せておいて、子供にはそれを真似するなって本気で言えるの?。
恥ずかしげもなく。
法律上グレーな部分を利用して商売をすることが、大人として誇らしい姿なの?。
『商売っていうのはそういうものだ』
とか開き直るなら、大人ぶらないでほしいと思う。『ズルい真似』『汚い真似』をするのが当然の権利だと言うのなら、大人なんて少しも立派なものじゃないよね。
『大人は偉い』なんて、どの口が言うんだろうって思う。
そういうことをするのなら、『子供を躾ける』なんて言わないでほしいなって気がするんだ。
少なくとも僕は、そんな大人を立派だなんて欠片も思わないし、見倣いたいとも思わないし、尊敬も信頼もしたくない。
そういう商売をしたいのなら、それが法律には触れてないと、当然の権利だと言うのなら、軽蔑されることも覚悟しないとおかしいんじゃないかな。
とにかく、大人はぜんぜん立派でもないし偉くもないんだ。自分が大人になってみて、つくづく分かった。大人は単にズルくて身勝手で浅ましくて厚顔無恥なだけだって。
他人のことは馬鹿にして見下すのに、自分がそうされるとキレるんだって。
大人ってその程度なんだって。
これじゃ、結人くんにバカにされても当然だよね。だから彼が大人を馬鹿にしてても何も腹が立たない。現に馬鹿にされるようなことをしてるんだから。
だけど同時に、他人を馬鹿にする態度を彼が取り続けることが彼自身のためになるかって言ったら、それも違う気がする。
馬鹿にしたくなっても、敢えて馬鹿にはしない。
それが結局、自分が大人になる時に、子供にとって手本となる大人になるためのコツのような気がする。
他人を馬鹿にする人って、信頼されないんだ。
だって、いくら美辞麗句を並べたって、立派そうなことを言ってたって、
『どうせ腹の中じゃ他人を馬鹿にしてるんでしょ?』
って思われるだけだから。
『相手のいないところじゃ、陰口とか言ってるんでしょ?』
って思われるだけだから。
もし実際には言ってなかったとしても、『言ってるんでしょ?』って思われる時点でもう信頼されてないよね。




