八百三十五 結人編 「一時的に言われっぱなしに」
十月十一日。木曜日。朝から降ったりやんだりの天気。
今日は沙奈子が帰ってくる。だから平和記念公園で起こったことについて、あの子の様子を見ながら、表情を見ながら、仕草を見ながら、気配を感じ取りながら詳しく聞きたいと思う。
でも、もし、沙奈子が話したがらなかったら、無理に聞き出すのはやめようとも思ってるけど。
仕事中は集中しながらも、休憩時間とかにはそんなことを考えてた。
すると洲律さんが、
「沙奈子ちゃん。今日、帰ってくるんですよね。修学旅行は楽しんでほしいけど、その間、ドレスの制作が止まるのは、正直、気を揉んでしまいます」
って話しかけてくる。
「はは、すいません」
素直に言わせてもらうと、洲律さんのノリには僕はついていけないものを感じてた。波長も合わないタイプだ。
でも、悪い人じゃないのは分かってる。だから話し掛けられれば返事もする。
なるほどこういう時のために『社交辞令』は作られたんだな。っていうのを改めて実感するかな。もしくは、あまりいい関係じゃない者同士が、表面上だけでも平穏にやり取りするための『作法』として始まったのかなとも思ったりする。そう考えるとしっくりくるんだ。
もちろん、洲律さんを敵認定してるってわけじゃない。ただ、敵じゃなくても素直な気持ちとして『苦手だな』って感じる相手っていうのはいると思う。そういう人とでも無駄に衝突したりしないようにするために、社交辞令は必要なんだろうな。
『自分の気持ちに正直に』と言えば聞こえはいいけど、それを言い訳に他人に攻撃的になるのは違うんじゃないかなって僕は思う。
『こいつ気に入らない』っていう自分の気持ちに正直になって罵ったりするのが大人のすることとは思えない。そういうことをする人ほど、自分が罵られたりしたらキレるっていう印象がある。自分は正直になりたいけど、他人が自分の気持ちに正直になるのは許せないみたいだな。
だけど、それってただのワガママじゃないのかな。自分が言われたくないのなら、他人に対しても言わないようにするのが筋ってものじゃないのかな。
そう言うと、
『じゃあ、言われっぱなしでいろって言うのか!?』
って言う人もいるだろうな。
でもそれ、相手も同じことを考えてるんじゃないかなってきがするんだ。
そうやって、お互いに、『相手が先に言った!』って言い合って、水掛け論になるんだろうな。
少なくとも僕はそんなことをしていたいとは思わないんだ。
一時的に言われっぱなしになったとしても、ね。




