八百二十九 結人編 「ドラマの登場人物みたいに」
十月六日。土曜日。降ったりやんだりは変わらないけど、今日はなんだかやけに蒸し暑い気がする。
でも僕と沙奈子は、いつも通り、絵里奈と玲那に会いに行く。
ドラマの登場人物みたいにお節介を焼いてくる人について、
『ドラマの真似をして他人にお節介を焼いてる自分が好きなだけにしか見えない』
なんて言ったら、
『他人の親切をそんな受け取り方するのが悪い!』
って言う人が必ずいると思う。
だけどもうそれが、
『他人の気持ちなんて本当は分からないという証拠』
なんだと思う。
だって、
『そう思わずにいられない僕の気持ち』
が分かってないんだから。
何か事件とかが起こる度に、
『被害者や遺族の気持ちを考えろ!』
って声高に叫ぶ人がいるけど、僕は知ってる。そういうことを言う人が、玲那の『事件』の時に何をしたのか。
『被害者である玲那の実のお父さんの気持ちを考えて、玲那を攻撃した』
という事実を。
その瞬間、そうするしかなかった、それしかできなかった『玲那の気持ち』なんてまるで考えずに、加害者である玲那を攻撃したんだ。
他人の気持ちが分かるなら、どうしてそんなことをしたの?。玲那がどんな目に遭って、どんな気持ちでいたのか、なぜ分からなかったの?。
その事実がある限り、
『他人の気持ちが分かる』
なんてことを言う人は、信用できない。
『本当は分からないけど、分かろうと努力はする』
人なら、まだ信用できる可能性はあるけど。
沙奈子も、絵里奈も、玲那も、星谷さんも、千早ちゃんも、山仁さんも、イチコさんも、大希くんも、波多野さんも、田上さんも、本気で他人の気持ちが分かるとは思ってない。
分かるとは思ってないけど、分かりたいと思ってる人たちだ。
分かりたいとは言ってくれるけど、分かってるからこうしろとは言ってこない人たちだ。
『あなたはこうなんでしょ?、だからこうしなさい!』と押し付けてきたリしない人たちだ。
ついそんな風に言ってしまうことがあったとしても、本気でそんなことは考えていない人たちだ。
『そんなこと思ってない』って言ったら、ちゃんとそれに耳を傾けてくれる人たちだ。
だから信じられる。
そういう姿を見てるから、僕もそれを見倣いたいっていう気持ちになる。『ああしろこうしろ』と言われなくても、その通りにしたくなる。
何かしてほしいことがあるのなら、自分がその人に信用されるべき、信頼されるべきだと思う。だって人は、信用してる人、信頼してる人のことなら見倣いたいって気持ちになれるだろうし。
だけどそれも、『必ずそうなるはずだ』とか、『そうならなきゃおかしい』みたいなことは言わないようにしなくちゃ。
そんな風に思ってると、そうならなかった時に『どうして?』ってイライラしてしまうだろうからね。




