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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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八百二十七 結人編 「お節介を焼くみたいにして」

十月五日。金曜日。今日もまた降ったりやんだりの天気。




『自分こんなに努力してるんだから報われるべき』


僕はこの考え方に対しては、昔から違和感しかなかった。


『努力すれば報われる。のなら、どうして努力しても報われない人がいるんだろう?』


って思ってた。それに対する自分なりの答えに辿り着いた気がする。


それは、


『努力するのは大前提。努力したから結果が得られるんじゃなく、ちゃんと結果に繋がるような適切な努力をしたかどうかが結局は大事なんじゃないか』


ってこと。


そうなんだ。努力は誰だってしてると思う。どういう形であれ。だけど、その努力が結果に繋がるか繋がらないかは、結局は『結果に繋がる努力の仕方』だったかどうかの問題だと思うんだ。


例えば、一流のプロ野球選手を参考にして、その人がやったという努力を完璧に真似したからといって誰もがプロ野球選手になれるとは限らない。プロ野球選手と同じ技能や技術が身に付くとは限らない。


じゃあ、プロ野球選手になれるかなれないかの違いはどこにあるのかって言えば、その努力の仕方が、自分に合ってるかどうか、自分が持ってる特質に合ってるかどうか、才能に合ってるかどうか、そして、自分の置かれてる状況に合ってるかどうか、自分の才能と努力をきちんと見てくれる人が身近にいるかどうか、それを伸ばしてくれる人がいるかどうか、というようなことも考え併せて、そういうこと全部がちゃんと噛み合わないと『プロ野球選手になる』という結果には繋がらないんじゃないかって思うようになったんだ。


そしてそれは、『子供を育てる』ってことにも当てはまるんじゃないかな。


子供をこの世に送り出した親として努力するのは最低限当たり前のことで、それは何の自慢にもならなくて、重要なのは『適切な努力』をしたかどうかで、子供が自分の思ってた通りに育たなかったのなら、それは親である自分の努力の仕方が『適切じゃなかった』っていうことに外ならない。


ってことなんじゃないかって、沙奈子と一緒に暮らしてみて、山仁やまひとさんを見てて、千早ちはやちゃんや波多野さんや田上たのうえさんを見てて、思ったんだ。


でも、だからといって、千早ちゃんのお母さんや、波多野さんや田上さんのご両親に、


『あなたは間違ってます!』


とは言わない。


だって、それを言ったって聞いてもらえるはずがないから。それを聞いてもらえる立場じゃないから。


ドラマとかだと、お節介を焼くみたいにして『あなたは間違ってます!』って感じで食って掛かって、なんだかんだでそれが結果として上手くいくみたいな展開があったりするけど、正直、それがどうして上手くいったのかを納得できる形で描写してるものを見た記憶がないんだ。



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