八百二十四 結人編 「良いところは取り入れれば」
十月二日。火曜日。今日も引き続いて快晴だ。だけどその割に涼しい。あの酷暑がまるで嘘だったみたいに。
『昔はよかった』
そういう言い方をする人がいる。
でも僕は、そういうのって、正直、懐疑的に見てしまう。だって、そういうのって、自分に都合の悪いところは見ないふりして良いところだけで言ってるようにしか思えないから。
もちろん、昔の全部が悪いと思ってるわけじゃない。今でも参考にした方がいい部分だってあるんだと思う。だけど、本当に良いところだけを参考にしたいだけならわざわざ『昔はよかった』なんて言わなくても、今、自分の考えとして、それを実践すればいいのに敢えて言うということは、今の状況にはそぐわないところも一緒くたにして昔に戻してしまうのが良いと思ってるってことなんじゃないかって気がしてしまうんだ。
特に、『子供に厳しく接すれば道徳が身に付く』とか、『今の世の中は甘やかしすぎだから昔に戻した方がいい』と思ってるのなら、それこそが大人の側の甘えだとしか感じない。丁寧に子供のことを見るのが面倒だから、細かい部分を無視して全部一纏めに同じようにやってしまいたいっていう『甘え』にしか見えないよ。
もし本当に『昔はよかった』のなら、その良かった頃の教育とかを受けた人が成長して社会を動かすようにして『昔はよかったと思えるような世の中』にするわけがないんじゃないかな?。
だけど実際にはどう?。良かったはずの教育とかを受けた人たちが作ってきた今の世の中に不満があるっておかしくない?。それって完全に自己矛盾に陥ってると思うんだ。
昔の教育を受けてきた人達が大人になって作り上げた世の中が『昔はよかったと思えるような世の中になってしまってる』のなら、それは『昔の教育に何か問題があったから』なんじゃないのかな?。
それに、単純に『昔はよかった』って言うのなら、どこまで『昔』ならいいの?。第二次世界大戦前?、それとも大正?、明治?、大政奉還前?、戦国時代の頃?。もし戦国時代まで戻ったりするのなら、それこそ『戦に負けたら切腹』、『失敗したら切腹』、『責任を取るために切腹』ってするの?。
そんなことできる人がどれだけいるの?。百人中何人?。
だいたい、切腹が当たり前だった頃にだって本当に自分で切腹を成功させられた人なんてそんなにいないって聞くよ?。だから介錯をする役目の人ができたんだって。
せっかく、大きな失敗しても切腹までしなくても済む世の中になったのに、戦争で負けてもほとんどの責任者が切腹しなかったのに、切腹しなくても済む世の中にしてきたのに、それを今さら『昔はよかった』なんて言うの?。
良いところは取り入れればいいと思う。でもだからって『昔はよかった』なんて言い方をする必要はまったくないと思うんだ。




