八百十五 結人編 「彼の敵になるつもりはなくても」
九月二十二日。土曜日。朝は雨が降ってたけど、昼前くらいから晴れてきた。
今日も絵里奈と玲那に会いに行くために、昼から出掛ける。
その前に、いつものように沙奈子と結人くんが一緒に勉強してる。すっかり当たり前になったその光景に、僕も鷲崎さんもホッとした気持ちになる。
僕たちは何も強要してないのに、結人くんは大人しくそうやって勉強してくれてるんだ。そうするのが当たり前みたいに。
だから、これがきっと彼の本当の姿なんだと思う。暴力的で粗暴な姿は、彼にとって、横暴な大人から身を守るための『鎧』であり、『仮面』なんじゃないかな。
だけどそのことを敢えて彼には言わない。変にそれを指摘するときっと余計に心を閉ざすだろうなっていうのが分かるから。彼にとっては大事な『防衛手段』だし『戦略』だから、敵である大人にそれを見抜かれたとなったら、大問題だろうし。
そういうわけで、鷲崎さんにもあまりその辺りを突っ込まないようにお願いしてた。彼が出掛けてる間にとかね。
「そっか…、そうですよね。そう考えたらいろんなことが『なるほど』って思えます。あの子は本当は優しい子なんです。なのに乱暴なのは、外敵から自分の身を守るためなんですね。あの子にとって世界は敵だらけなんだ……。
当たり前か…。本当なら自分を守ってくれるはずのお母さんに殺されそうになるなんて、何もかも信じられなくなって、何もかもが敵に見えて当然ですよね。
だから私は、私だけはあの子の味方になってあげなきゃいけないんだ。『お母さんになる』っていうのは、そういうことですよね……。
分かりました。先輩や沙奈子ちゃんが『敵』じゃないってことをあの子が実感するまで大人しく見守ります」
「うん。そうしてあげてほしい。僕たちはもちろん彼の敵になるつもりはなくても、それを彼に対して『僕たちを信じろ!』って言ったって信じられなくて当然なんだ。僕だってそんなことを言う人なんて信じられない。『自分を信じろ』って押し付けてくる人は、相手のことを考えてるふりをしてるだけの、その実、『相手のことを考えてるつもりの自分が好き』なだけの人なんだって思い知らされてきた。
相手を信じるかどうかは、本人が判断するしかないんだ。誰かに強要されて信じるものじゃないと思う。
だからさ、彼が僕たちを信じられるようになるまで、ただ待つのが一番だと思うんだ」
「はい、そうですね……」
何かが腑に落ちたって感じで、鷲崎さんもそう言ってくれた。
それからは、彼に対しては『ああしろこうしろ』となるべく口煩く言わないようにしてるらしい。
もちろん、完璧にそうするのは難しいからついってことはあるけど、それでも以前に比べると控えることができてるそうだった。




