八百三 結人編 「ただ行動で示すだけ」
九月十日。月曜日。朝から雨。秋の長雨ってやつなのだろうか。
それでも、雨合羽を着て会社に向かう。正直、蒸れて気持ちはよくないけど、すし詰めでやっぱり蒸れるバスの車内の不快さと比べてもどっちもどっちという感じなので、自分一人が不快なだけで済む分、こちらの方が気は楽かもしれない。それに、涼しくなってくれたからまだマシだし。
自転車での傘さし運転はしたくない。それは、法律で明確に禁止されてる行為だから。それをやってしまうと、僕は沙奈子に顔向けできない。
気にし過ぎだという人もいると思う。そこまで四角四面に考えなくてもいいじゃないかと言う人もいると思う。そんな息苦しい世界なんて嫌だと言う人もいると思う。
だけど前にも言ったけど、昔の僕は、そうやって自分自身を甘やかす大人を内心では馬鹿にしてた子供だったんだ。自分のことはそんな風に甘やかすのに、
『自分は子供は甘やかさない主義だから』
とか抜け抜けと言う大人を心底馬鹿にしてきた。
『自分は甘えてるクセに子供は甘やかさないとか、どの口が言うんだ!?』
って、大人しくて聞き分けの良い子のフリをしながら心の奥底で思ってた。
自分がそうやって馬鹿にしてた大人に自分がなってしまったら、僕は沙奈子に対して胸を張れないんだ。
何一つ間違いを犯さない、完璧にルールを守る完全無比な『正しい人間』になるべきだと言いたいんじゃない。僕はただ、
『自分が完璧じゃないのなら、他人にも完璧を求めるのはよそう』
って思うだけなんだ。だから他人に対して面と向かってあれこれ言わないようにもしてる。明らかに間違ったことをしてても敢えて注意とかしない。
もしそれでその人が警察に逮捕とかされても、それはその人自身の責任だからね。
『注意しなかった他人が悪い』
なんて言ってもそれを警察や検察は認めてくれないだろうし。
ただ、もし、目の前で子供に暴力を振るってる人がいたら、振るおうとしてる人がいたら、つい、ってことはあるかもしれないけど……。
でも、きっと、考えてしまうんだろうな。
『もしこれで僕に何かあったりしたら沙奈子はどうなってしまうんだろう?。絵里奈は?、玲那は?』
それどころか、
『これをきっかけに僕が恨まれて、それで沙奈子が巻き込まれたりしたら……?』
って考えてしまったら、僕は何もできなくなってしまうかもしれない。
だから言うんだ。僕は善人でも聖人でもないって。そして、正義でもない。そんな僕が結人くんに対して偉そうなことは何も言えない。ただ行動で示すだけなんだ。
善人でも、聖人でも、正義でもなくても、人は生きていけるって。
だけど同時に、わざと他人を傷付けたり苦しめたりしなくても、生きていけるって。




