七百六十八 結人編 「貸すだけだからね」
僕と二人きりなのが居心地悪かったのか海に入っていってしまった結人くんと入れ替わるようにして鷲崎さんが戻ってきて、
「ちょっと、トイレ行ってきます」
とだけ告げて海の家の方へと小走りでかけて行った。
それから五分ちょっとくらい過ぎてまた結人くんも水を飲みに戻ってきたんだけど、その時の彼の様子に、僕はハッとなった。
険しい、ううん、はっきり言って『怖い』顔で何かを睨んでたんだ。その視線の先を追って、僕も察してしまった。
『ナンパだ…!』
鷲崎さんがナンパ男たちに絡まれてたんだ。それを見る結人くんの顔が、まるで獣みたいに見えた気がした。だから僕はほとんど無意識のうちに、
「おりちゃ~ん、こっちこっち~!!」
普段なら絶対に出さないような明るくて軽い感じの声が出た。その声の感じのままのノリで大袈裟に手を振ると、鷲崎さんも気付いてくれて、
「達さ~ん!」
って、鼻にかかった感じの、いわゆる『猫撫で声』で応えてくれて、やっぱり大きく手を振ってくれた。やっぱりそのままのノリで走り出して、ナンパ男たちを振り切る。
僕のところまで戻ってきた鷲崎さんは、赤い顔をして、すごく嬉しそうに僕の腕に抱きついてきた。すると胸が押し当てられて、何とも言えない柔らかい感触が。
絵里奈のも結構な柔らかさだったけど、鷲崎さんのはそれに輪を掛けて柔らかかった。
普段は意識してないのに、さすがに直接それを感じてしまうと、ドキンと鼓動が早くなるのが分かってしまった。
ごめん絵里奈。だけどこれは鷲崎さんを守るためだったんだ。それに、
「ありがとうございます、先輩。ナンパがしつこくって」
鷲崎さんがそう言ってくれたのを耳にした瞬間、すっと自分が冷静になるのが分かった。
そうだ。これは絵里奈と初めて海に行った時にもやったことだ。別にやましい気持ちもない。
何気なく沙奈子の方に視線を向けると、沙奈子も特に気にした様子もなく千早ちゃんたちと遊んでた。ホッとするのを感じる。
これがもし、沙奈子が気にしてるようなら僕も申し訳ないなって思うけど、そうじゃないんなら平気だ。
絵里奈もこういうことがあるだろうっていうのは承知してて僕たちを送り出してくれたのが分かる。
と、そこに、鷲崎さんのスマホに着信があって、玲那からのメッセージが。
『織姫、分かってると思うけど、お父さんは貸すだけだからね。それ以上はダメだよ。あげないよ』
まったく、どこかで監視してるんじゃないかってタイミングだな。
「…だそうです」
僕に向けてスマホの画面を掲げながら、鷲崎さんが苦笑いを。
「しょうがないコだなあ」
って言いながらも、僕も苦笑いになってたのだった。




