七百二十九 結人編 「気付けるものも気付けない」
六月三十日。土曜日。昨日の雨はやんだけど、雲が広がっていて不安定そうな天気だった。実際、時々雨が降ってはやんでってしてた。でも蒸し暑い。
こんな日は、あの人形ギャラリーの喫茶スペースでゆっくりするに限る。鈴虫寺の近くのあの喫茶店もいいんだけど、この蒸し暑さだと歩いていくにはさすがに辛いからね。
「暑いですね。気を付けていってきてください」
鷲崎さんが見送ってくれるけど、先週とは違って今度は暑さに気を付けなきゃいけないっていうのが何とも。
「どう?。結人くんの様子は?」
沙奈子と絵里奈がいつものように人形を見に行って、その間に僕と玲那は喫茶室で話をする。
「うん。だいぶ落ち着いてると思うよ。態度が悪いのは相変わらずだけど、でも僕たちに対しては別に攻撃的ってわけでもないし。基本的に不器用なだけなんだと思う」
「…そっか、そうだよね。私も結人くんは本当は優しい子なんだと思う。最初の出会いがマズかっただけなんだよ」
その時、玲那が少しうつむき加減になって、寂しそうな笑みを浮かべた気がした。
「だけど、良かった……。結人くんには、織姫やお父さんがいてくれて……。私の時は、そういう大人が近くになかったから……」
玲那の言葉に、ハッとなる。確かに、玲那には僕や鷲崎さんみたいな大人がいなかったって言ってた。
そうだ。玲那が事件を起こしてしまったのは、結局、そういうことなんじゃないかな。大人になってから香保理さんや絵里奈や僕に出逢えたけど、それでもあんな事件になってしまった。
遅かったんだ。もっと早くに救われてたら、あの事件は起こらなかったかもしれない。本当の両親のところから救い出されて幸せに暮らすことができれば、そこまで追い詰められなかったかもしれない。
もちろんそれは今さら確かめようもない『たられば』でしかないけど、玲那がそれを言うっていうのが重要なんじゃないかな。この子自身が、そう感じてるってことなんじゃないのかな。
「正直、あの頃の私のことを思ったら、結人くんが羨ましいくらいだよ。こんなに気にかけてくれる人がいるんだもん……。
もしかしたら私の時にもいない訳じゃなかったのかもだけど、でも、『救われた』っていう実感はなかった。それで言えば、結人くんにはそう感じられるだけのものがちゃんとあると思うんだ。あとは彼がそれに気付けるかどうかだけなんじゃないかな」
「そうかもしれない。だから僕は、大人として結人くんにそれを分からせてあげないといけないと思うんだ」
「だね。子供が自分で気付くのを待ってるだけじゃ、何のために大人がいるのか分からないよ……。それに、あんなんじゃ、気付けるものも気付けない……」




