七百二十八 結人編 「自分がどうやって」
六月二十九日。金曜日。今日も朝から雨。
二年前から思うと、僕は本当に大きく変わってしまった。人によってはそれを『ブレてる』とか感じるかもしれないけど、僕自身は自分の変化を『成長』だと思ってる。
僕は、自分の考えに固執して現実を見ない大人を見て育ってきた。だから、『経験を積んでも何一つ考えを変えない』ことを立派だとは思わない。『自分の信念を貫いてる』とは思わない。そういうのはただの『妄執』だって感じてる。
人間は、完璧じゃない。『全く変える必要もない完璧な考え方』ができる人なんているとは思えない。大筋の部分については変わらなくても、細かい部分は自分の経験をもとに微調整していくのが大事なんじゃないかなって思うんだ。
もっとも、僕の場合は『微調整』どころじゃ済まなかったけど。
僕の考え方の根幹からして変えられてしまった気がしてる。
『他人とは一緒になんて暮らせない。家族なんて要らない。信用できない』
っていう、根幹の部分からね。
それを変えたのは、沙奈子なんだ。
あの子が、本当にちょっとずつ僕に心を開いていってくれる様子を見て、沙奈子が心を開いていってくれる度に僕も心が解きほぐされるのを感じて、
『ああ、こういうのもありなんだ……』
って思わされたんだ。
だから僕は、それまでの自分の考え方とは違うそれを受け入れた。意識してそうしてた訳じゃないにして、結果的には受け入れたんだ。そしてそれが今の僕を作った。
そのおかげで今の幸せを手に入れられたんだ。
『一人でいるのが結局は幸せだ』というそれまでの自分の考えとは相容れないはずのそれを受け入れたことで。
自分の考え方を変えるのはすごく不安なことだと僕も思う。僕の場合はそれを意識する暇もなく流される形で変わっていっただけなのも事実だ。そういう意味じゃ、『僕は自分の意志で自分を変えた』なんて偉そうなことは言えないし、言うつもりもないんだ。
でも、変わったことで得られたものがあったのも事実だし、その事実を見ないことにしたいとも思わない。
もちろん、気楽に生きられなくなったのも事実だと思う。それを否定もしない。
だけど気楽に生きてるっていうことは、『楽な生き方をしてる』っていうのもまた事実じゃないかな。楽な生き方をするのを自慢するのは、それは自慢になるのかな。
僕がこんな風に言うのを『自慢』だと思う人もいるかもしれない。
でも、そうじゃないんだ。そんなことがしたいんじゃない。
僕はただ、自分がどうやって今の僕になったのかを振り返りたいだけなんだ。




