七百十四 結人編 「有名な言葉」
六月十五日。金曜日。今朝は激しい雨音で目が覚めた。かなりの強い雨だ。こんな時は沙奈子の左腕に今もうっすらと残る傷痕の原因になったあの日のことを思い出す。
気にしても仕方ないのは分かってても、忘れてしまうこともできないのは事実だ。
そう言えば、あの来支間って人が玲那の『お客』の一人に似てたっていう話については、星谷さんが調べてくれてた。それによると、来支間さんのお父さんには双子の兄がいて、その人は現在、消息が不明ということだった。
そして、その人が玲那の『お客』だった可能性が高いって。
だからもし、あの時、玲那が『来支間さんのお父さんが私のお客だったかもしれない』って言ったのをそのまま受け取って騒ぎ立ててたりしたら、きっと僕たちの方が大きなダメージを受けてたと思う。それを考えたら迂闊なことをしなくて本当に良かった。
そうだ。僕たちは素人なんだから、そうやってはっきりしたことを調べることさえままならない。星谷さんが調べてくれてやっとそういうことが分かるくらいなんだから、その時の思い込みとか何となくで『復讐』に踏み切ってたら、直接は関係のない人を巻き込んでた。
こうやって自分たちのことを詳しく思い返すだけでも、どれだけ危険なことか分かるんだ。
それを考えずにその場の感情だけで突っ走ったら、余計に不幸を招くこともあると思う。しかも自分だけが不幸になるなら『身から出た錆』と言えなくもないだろうけど、それで他人を不幸にしたら、どうやって責任を取るんだろう。
『考えるな、感じろ』っていう有名な言葉があるのは僕も知ってる。でもそれを拡大解釈して、その場の感情だけで動くことを正当化するための言い訳に使うのも違うんじゃないかな。
人間は間違うし失敗するんだ。それはどんな時でも。そのことを忘れないようにしたい。それを忘れて、気付かないふりをして、突っ走ってしまった結果どうなったかっていうのを端的に表してる事件も多いんじゃないかな。
僕はいつもこうやって考えすぎる癖があるのは自分でも分かってる。考えすぎて動けない時だってある。でも、考えずに動いて大きな失敗をしてしまったら、僕はきっと自分を許せない。ましてやそれで沙奈子や絵里奈や玲那を不幸にしてしまったら、それこそ耐えられない。
『やらずに後悔するより、やって後悔する方がいい』なんていう、これまた有名な言葉もあるけど、よく考えもせずに行動を起こすことの言い訳に使うのもやっぱり違うんじゃないかな。




