六百九十五 結人編 「大人全てを憎んでた」
五月二十七日。日曜日。天気が良くて朝からもう暑い。
今日も当然、千早ちゃんたちが来る。でも、結人くんについてはお昼は誘わない。昨日の夕食は鷲崎さんと一緒に食べてくれたし、今日も夕食に誘うけど、急がない。
あまり強引なことをすれば、彼を追い詰めることになるからね。
結人くんが攻撃的なのは、結局は『大人への復讐』なんだと思う。そういうものを、何となくだけど心の中に秘めていたのは、昔の僕も同じだった。はっきりとは自覚してなかったけど、今から思えば『いつか復讐してやる』みたいなことをぼんやりと考えてた覚えがある。
わざわざそういうものにはっきりとした形をこちらから与える必要はないはずなんだ。
結人くんは今、『自分がされたことを考えたら大人に対して復讐するのは当然の権利』みたいに考えてると思う。その気持ちは僕にも十分、想像できる。
だけど、『復讐する権利』なんてのは、幻想なんだよ。ドラマやアニメではそういうのも持て囃されるけど、現実ではそんな都合よくいかないんだ。両親や大人たちから散々酷い目に遭わされた玲那でさえ、そういう事情が本当なのかどうか判別できない人たちからは、『親に育ててもらった恩を忘れたクソ女』と罵られもした。そういうものなんだよ。
ましてや結人くんの場合は、ずっと鷲崎さんが傍にいてくれたからね。実の母親に殺されかけたっていう事実があっても、今は鷲崎さんに大切にしてもらえてるから、それこそ、『昔のことをいつまで根に持ってるんだ!?』みたいに責められるのは分かり切ってるんだ。
それに、大人全体をひとまとめにして復讐の対象にすることも、きっと認めてもらえない。やられた方からすれば、直接虐待してきた大人も、助けてくれなかった大人もどっちも同じように『許せない相手』になることもあるけど、そうやって自分が復讐の対象になるかもしれないとなれば、『自分は関係ないだろ!?』と言うのも人間ってものだと思う。
でもね、『復讐』に目が眩んだ人間にとっては、そんな理屈、通用しないっていうのも事実だと思うんだよ。『復讐を認める』っていうのは、そういうことも含めて認めることになってしまうんだよ。都合よく自分だけは復讐の対象から外してもらえると考えるのは甘いと、僕はすごく感じてる。
自分が、大人全てを憎んでた時期があっただけにね。
『復讐を認めない』のは、自分や自分の周りの人を守るためでもあると思うんだ。自分が復讐したいと思った時にはそれを認めてもらえないのは許せないと感じるとしても、復讐を考えてる人は実際には冷静ではいられないことも忘れちゃいけないと、今では実感してる。




