六百九十三 結人編 「自分の大切な人が」
五月二十五日。金曜日。今日は朝からいい天気だった。しかもいきなり暑い。
『幸せになる』っていうのは何だろう?。
正直、今でもよく分からない。今の自分を幸せだと確かに感じるのに、どうやってそうなってきたのかっていうのを思い出そうとするとすごく曖昧模糊なんだ。『こうすれば幸せになれる』っていうはっきりしたものもありつつ、同時に『じゃあそれが本当に効果があって幸せになれたのか?』って言われると、なんだか分からなくなる。
でもそれは、何を幸せと感じるかっていうのが人によって違うからなんだろうなっていうのも分かる気はするんだ。
僕は今、自分を幸せだと感じてる。だけど僕と同じ立場に他の誰かがなった時、その人はこの状態を幸せと感じるんだろうか?。
それが分からない。僕にとっては間違いなく幸せでも、他の人にとってはどうなんだろう。
だけど、これを幸せだと、沙奈子や、絵里奈や、玲那が感じてくれてるっていうのも分かるんだ。だから僕も幸せだと感じられるというのもある気がする。
だからやっぱり、僕は幸せなんだ。
今回の事件の容疑者や波多野さんのお兄さんにとっての『幸せ』って何だったんだろう?。
他人を傷付けて苦しめてでも目先の自分の欲求や欲望を叶えるのが『幸せ』だったのかな?。
けれどそんな『幸せ』、他の人は認めてくれるのかな?。『好きにしたらいいじゃん』って言ってくれるのかな?。
『そんなの認めない!』って言う人、思う人、感じる人が多いそれって、誰かからすぐに壊されてしまう『幸せ』じゃないかな。無関係な女の子に乱暴して自分は『幸せ』なんて、誰が認めてくれるんだろう?。そんなのを認めてくれるような世の中って、生きやすい世の中なのかな?。
だってそうだよね。他人を傷付けて苦しめて得られるものが幸せっていう世の中だったら、誰かの幸せの為に自分が壊されて苦しめられることだって認めなきゃいけなくなるんじゃないのかな?。
僕は、嫌だ。
そんな世の中は嫌だ。誰かの幸せのために沙奈子や絵里奈や玲那や、星谷さんや千早ちゃんや大希くんやイチコさんや山仁さんや波多野さんや田上さんや鷲崎さんが苦しめ傷付けられても当たり前なんていう世の中なんか認めたくない。
だから僕も、他人をわざと傷付けたり苦しめたりしたいとは思わない。知らず知らずのうちに結果としてそんなことがあるとしても、わざとは嫌だ。そういうのは避けたい。僕の大切な人たちが幸せになって欲しいから。
これを甘いとか綺麗事とか言う人もいるんだろうな。だけどこれを綺麗事だと言う人は、自分の大切な人が傷付けられて苦しめられていいって言うの?。
僕はそうは思わないよ。




